イヴは静かに更けて~えんぶり復活(1)

 一介の観光客ですらこんなに舞い上がってるのだから、地元の方々の喜びはどれほどか。えんぶり自体を見たかったのは言うまでもないとして、 愛する八戸の元気な様子に接することこそが結局今回最大の目的だったかもしれない。

 八戸駅前、オンコ(イチイ)の周りは一面真っ白。こうでなくちゃと『中華 達』へ向かう途中もホクホク顔。大盛りで有名な店で、昼の時分どきは近隣の勤め人・学生ですぐいっぱいになる。

 中華飯と唐揚げを注文し、ビールを飲みながら待っていると、相席の若い会社員の「マーボー飯の大」が届く。目立たぬように視線を遣ってビールを噴きそうになった。洗面器に盛ったほうが良さそうな量ではないかいな。いやしかし中華飯も唐揚げもフツーで注文した訳だし……というこちらの猪口才な希望をあっけらかんと裏切った唐揚げは、あくまで突兀と、あくまで巍巍として皿に堆く重なっているのであった。もも肉一枚ではかかるまじ。少なくとも一枚半、ひょっとすれば二枚使っているのではないか。

 熱くてカリッと香ばしく、旨い唐揚げだったけど、二個食べた(二山越えた、と言いたい)ところで諦める。これ以外にやっぱりどさっと出てきた中華飯もあるわけですからな。店員に持ち帰りをお願いすると、間髪入れず手慣れた仕草で器と輪ゴム・袋が出てきた。

 シュトルム・ウント・ドランクの勢いで大マーボー飯を平らげた向かいのお兄さんの口許あたりに憫笑のような表情が動いたのは当方の見間違いではないはずである。

 中心街まではバス。ホテルに荷物を預け、何はともあれまずは長者山新羅神社に向かわねばならぬ。ふもとのまつりんぐ広場(翌朝、行列出発前のえんぶり組が集合する場所)も足跡ひとつない白一色。

 さすがにまだ誰もいない本殿前に額ずき、新羅三郎様素戔嗚尊稲荷大神様に三年を経ての復活をお慶び申し上げ、その機会に来八が叶ったことに対しお礼申し上げる。併せてなろうことなら来年もまたここに詣ることができますようにと祈願。他には何も願わない。

 さてこの夜は初見参、堤町『RESTAURANTE&BAR SAÚDE』へ。ポルトガル料理の店である。ちょうど開催中の「八戸ブイヤベースフェスタ」(今年は十三店が参加)のコースをお願いしていた。料理以下の如し。
アミューズ…牛頰肉と茸のパイ仕立て。
*前菜…(1)八戸産真烏賊、肝となんば(唐辛子)のソース、(2)八戸産水蛸のマリネ、(3)生ハムとポテトサラダ
*ブイヤベース…具材は、車海老・浅蜊・水蛸・鱈・鮎並・カスペ(アカエイね)・メヌケ・沖ハモ(これは初めて。クロアナゴかな?)。カスペのこりこり、鱈のふうわりなどひとくちごとに食感が変わるのがたのしい。後半はスープでトウモロコシ粥。あとデザート。
 料理以外に、酒も愉しめました。ポルトガルなればマデイラは無論のこと、泡も白もちょっといい感じのものがあった。愉快だったのはマデイラのリストにあった説明で、一番古いものには「嘉永三年、ペリー来航の三年前です」とあるのだ。1853年、なんて表記よりよほど喚起力が強くてよろしい。この伝で「ポーツマス条約締結の年」とか「夏目漱石が『明暗』を連載開始した年」とかどんどん書いていけばいい。まあ、「関東大震災」とか「満州事変」だとかは落ち着いて呑めないだろうけど。今はフェスタのさなかでコースだけみたいだが、次はバカリャウ(干し鱈)など好みの一品でワインをゆっくり、という使い方もよさそう。

 ホテルに戻るまえ、みろく横丁で二三軒流したがどこも静かなもの。店の人は嘆いていたけど、当方としてはいかにも久々の祭礼(しかも早朝に始まる)の前夜らしくて気分が良かった。

 この日はロー丁『蜘蛛の糸』で仕上げ。女将、やっぱり南部の美人だなあ。

※次回「神の庭~えんぶり復活(2)」