魚菜記

 ようやく水槽を立ち上げることが出来た。生体はアフリカンランプアイをメインに、透明系のカラシンミナミヌマエビ水草は、百二十センチに二十種類で、大概のアクアリストが憫笑されそうな、とりとめのない水景だが、もともとこちらが雑草が生い茂る原っぱを理想としているので、これで、いいのである。

 バルコニーでも色んなハーブやら野菜の苗が根付きつつある。ただなにせ本当に前後左右何もないマンションなので、思った以上に風が強く、一度胡瓜の茎を折ってしまったのはむごいことをした、と反省。

 外に飲みに行けないからやむなく熱帯魚やらハーブやらの世話にかまけてる・・・わけでもなくて、うーむ。俺は元々飲みに行かなくても良い人間だったのではないか(酒を止めるわけには非ず)、と思い始めてるのがアブナイ。こーゆーヤツが増えたら、「平時」復帰後盛り場はどうなることやら。

 


○『Newton 別冊 絵でわかるパラドックス大百科 増補第2版』(ニュートンプレス
○瀧井一博『伊藤博文』(中公新書)・・・「知の政治家」の側面を強調。天皇制を国家組織に関連付けようと腐心した、という記述が勉強になった。
○本田創・高山英男『はじめての暗渠散歩』(ちくま文庫
山口瞳江分利満氏の優雅な生活』(ちくま文庫
○フィリップ・フォレスト『洪水』(澤田直訳、河出書房新社
デイヴィッド・ミッチェル『ボーン・クロックス』(北川依子訳、早川書房)・・・環境破壊などで終末を迎えつつある世界を舞台にした最終章の出来がやや落ちるが、世界幻想文学大賞にふさわしい。中年の作家を扱った一章がことに秀逸。
○ジョン・ランチェスター『最後の晩餐の作り方』(小梨直訳、新潮社クレストブックス)
○米虫正巳『自然の哲学史』(講談社選書メチエ)・・・自然の自己完結性、技術との二項対立を執拗に疑う思考こそがむしろ西洋哲学の本流に潜在していたことを説く。
○今井むつみ『英語独習法』(岩波新書)・・・たいそう売れているらしい。かなり本質的な議論を展開してるんやけどなあ。
都筑道夫『吸血鬼飼育法 完全版』(日下三蔵編、ちくま文庫
○ローレン・グロフ『丸い地球のどこかの曲がり角で』(光野多惠子訳、河出書房新社)・・・アメリカの小説読むたびに、身の回りの自然の勢いというか、威力に感嘆する。米虫さんの本ではないが、ヨーロッパとアメリカでも「自然」の肌合いは違うんだろうな。
○大沼宜規『考証の世紀』(吉川弘文館
○西田知己『血の日本思想史』(ちくま新書
永井均内田かずひろ『子どものための哲学対話』(講談社文庫)・・・『翔太と猫のインサイトの夏休み』『マンガは哲学する』系列の本。「上品」の定義が面白い。動物園で見る動物の威厳にいつも打たれるのだが、こういう補助線があるとすっきり納得する。これこそ哲学の真骨頂。
○ジョナサン・シルバータウン『なぜあの人のジョークは面白いのか?』(水谷淳訳、東洋経済新報社)・・・題名に関してはさほど収獲なし。いくつか使えそうなジョークを収集。
ブルーノ・シュルツ『シュルツ全小説』(工藤幸雄訳、平凡社ライブラリー
○若月伸一『聖人祭事紀行』(八坂書房
安岡章太郎『自叙伝旅行』(角川書店
○ウィリアム・シットウェル『食の歴史』(栗山節子訳、柊風舎)・・・お勉強。
○アンドリュー・リマス他『食糧の帝国』(太田出版)・・・お勉強。
○江後迪子『信長のおもてなし』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館)・・・お勉強。
○江後迪子『長崎奉行のお献立』(吉川弘文館)・・・お勉強。
○奥村彪生『日本料理とは何か』(農山漁村文化協会)・・・お勉強。
鶴岡真弓ケルトの想像力』(青土社
沓掛良彦オルフェウス変幻』(京都大学学術出版会)・・・沓掛先生、お元気!というか、枯骨閑人、少し老残の嘆き節をいうのが早すぎたんですね。
○吉田一彦他『神仏融合の東アジア史』(名古屋大学出版会)
長谷川ヨシテルポンコツ武将列伝』(柏書房)・・・一部の歴史シミュレーションゲームマニアに大人気の小田氏治、戦争に弱いという知識はあったが、居城を七たびも落とされたとなると、むしろそのたびに取り返していたしたたかさに目が行く。領民や家臣に慕われていたらしい。小説向けだなあ。
○谷晃『茶話と逸話』(茶書古典集成、淡交社
宮崎法子『花鳥・山水画を読み解く』(角川選書
○中務哲郎訳『フィロゲロス ギリシア笑話集』(叢書アレクサンドリア図書館、国文社)

あとは誰が何と言わなくても、

安田謙一『ライブ漫筆』(誠光社)。ロックもポップスも歌謡曲も全く聴かないけど、ともかく安田謙一の文章の中毒患者なのだ、ワタシは。こちらも行きつけの阪急六甲の某店にもいらっしゃるらしい。一度会いたい。そして呑みたい。

 

※Amazonでも書影が出てこない。。。

 

もうひとつ、

 

 

○『完全版 ピーナツ全集』(河出書房新社)をゆっくりゆっくり読み続けている。引越のときにマンガは全部売り払ってしまったけど(いしいひさいちの『ドーナツ全集』(!)は唯一の例外)、これも全冊持っておきたい。

 

 

 

 

 

 

今週のお題「おうち時間2021」

パン屋へ三里 豆腐屋へ二里

 板宿暮らしにだいぶん馴染んできた。前のマンションは一人住まいを始めて最も長くいたところだったから、引っ越しして一月半でここまで来たのは随分早い。と思ったが、自分が馴染めそうな町を選んで移ったのだから、まあ当たり前ともいえる。

 馴染めそうと感じた一番の理由は無論(と強調したい)、飲み食いする店が多いこと。大資本のチェーンも当然あるのだが、小体な個人経営のところが多いので気に入った。三宮みたいに、食べログミシュランに載って大流行り(してすぐ廃れるまたは味が落ちる)ということもなく、いつも地元の客でそこそこ繁盛してるという按配がよろしい。

 雨の昼下がりにお湯割りをすする店、じっくり旬の肴を味わう店、店主との会話を愉しむ店、とことん呑むための店、と自分なりのコースも出来てきた。

 そうそう、駅前の中心街に八百屋・魚屋などの市場の名残が頑張っているのも嬉しい。店のオバチャンに太刀魚の煮付けの作り方を聞いたその足で、若くてイケメンのコーヒー屋で好みの豆を買うことも出来る。

 これでそこそこの古本屋と、日本酒をしっかり揃えている酒屋があれば申し分ない。まあ気長に探すとするか(詳しい方は御示教惜しみ給はざれ)。あ、今回の題名ですが、多井畑厄神前の天然酵母パン『味取』さんにも、東山市場の『原豆腐店』さんにも原付でシュッと行ける、という意味であります。


○キャロリン・A・デイ『ヴィクトリア朝 病が変えた美と歴史』(桐谷知未訳、原書房
○ハロルド・ヘルマン『数学10大論争』(三宅克哉訳、紀伊國屋書店
○スーザン・グルーム『図説 英国王室の食卓史』(矢沢聖子訳、原書房
○赤松明彦『ヒンドゥー教10講』(岩波新書
宮脇孝雄『洋書ラビリンスへようこそ』(株式会社アルク)・・・ロレンス・ダレル(贔屓の小説家)の伝記が紹介されていたので、さっそくAmazonでポチる。
寮美千子『ノスタルギガンテス』(エフ企画)
○『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』(植村邦彦訳、平凡社ライブラリー)・・・岩波文庫の訳文は相性が悪く、この版でようやくしっかり読めた。ナポレオン3世というつかみどころのない「怪帝」(鹿島茂)を相手にマルクスがイライラしてる感がよく分かる。それにしてもやはり扇動家としては一流ですな、マルクス
○ジル・フュメイ他『食物の世界地図』(柊風舎)
○スチュアート・ファリモンド、辻静雄料理教育研究所『スパイスの科学大図鑑』(誠文堂新光社
○アンナ・シャーマン『追憶の東京』(吉井智津訳、早川書房
○『和辻哲郎座談』(中公文庫)
○岡本裕一朗『哲学と人類』(文藝春秋
○三谷康之編『事典 イギリスの民家と庭文化』(日外アソシエーツ
○辛嶋昇『インド文化入門』(ちくま学芸文庫

 

 

三月盡

 宿替えのばたばたはまだまだ続いており、今回も三月終わりと気付いて慌てて書名を記すのみ。

○母利司朗編『和食文芸入門』(臨川書店
○マーティン・ライアンズ『本の歴史文化図鑑』(三芳康義訳、柊風舎)
○ロデリック・ケイヴ/サラ・アヤド『世界を変えた100の本の歴史図鑑』(大山晶訳、原書房
○フェルナンド・バエス『書物の破壊の世界史』(八重樫克彦訳、紀伊國屋書店出版部
○ロバート・リデル『カヴァフィス 詩と生涯』(茂木政敏・中井久夫訳、みすず書房
○『ニッポンの名茶碗100原寸大図鑑』(小学館
東雅夫編『ゴシック文学入門』(ちくま文庫
○谷川渥『文豪たちの西洋美術』(河出書房新社
三浦功一郎『はじめてのスピノザ』(講談社現代新書
高山宏『アリスに驚け』(青土社
赤坂憲雄『民俗知は可能か』(春秋社)
○姜尚美『京都の中華』(幻冬舎文庫
○信岡朝子『快楽としての動物保護 『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ』(講談社選書メチエ
○小川束『和算』(中公叢書)
○平川敬治『魚食から文化を知る』(鳥影社)
○ロザリンド・E・クラウス『視覚的無意識』(谷川渥訳、月曜社
鷲田清一『つかふ』(小学館
川本三郎『『細雪』とその時代』(中央公論新社
設楽博己『顔の考古学』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館
四方田犬彦『愚行の賦』(講談社
○バーバラ・H・ローゼンワイン他『感情史とは何か』(岩波書店
○尚剛『中国工芸美術史入門』(科学出版社東京)
○サム・J・ミラー『黒魚都市』(中村融訳、早川書房
橋本勝雄編『19世紀イタリア怪奇幻想短篇集』(光文社古典新訳文庫
高山宏訳『ガリヴァー旅行記』(英国十八世紀文学叢書、研究社)
富山太佳夫訳『ガリヴァー旅行記』(ユートピア旅行記叢書、岩波書店
高坂正堯『近代文明への反逆 『ガリヴァー旅行記』から21世紀を読む』(PHP研究所)
○藤居岳人『懐徳堂儒学の研究』(大阪大学出版会)
○エイミー・アザリート『生活道具の文化誌』(大間知知子訳、原書房
○別冊アステイオン『それぞれの山崎正和
山本貴光吉川浩満『人文的、あまりに人文的』(本の雑誌社
○『本のリストの本』(創元社
○金田章裕『和食の地理学』(平凡社新書
○ピーター・W・M・ブレイニー『シェイクスピアのファースト・フォリオ』(五十嵐博久訳、水声社
高橋輝次『古本愛好家の読書日録』(論創社
荒俣宏『妖怪少年の日々 アラマタ自伝』(KADOKAWA)
島田雅彦『空想居酒屋』(NHK出版)
○内藤理恵子『正しい答えのない世界を生きるための「死」の文学入門』(日本実業出版社
○品川哲彦『倫理学入門』(中公新書
スザンヌ・ルーカス『竹の文化誌』(山田美明訳、花と木の図書館、原書房
水上勉『文壇放浪』(中公文庫)
東洋文庫編『岩崎文庫の名品』(山川出版社
○マイキー・ウォルシュ『ジプシーと呼ばれた少年』(村井智之訳、ハーパーコリンズ・ジャパン)
森まゆみ『本とあるく旅』(産業編集センター)
○岸政彦・柴崎友香『大阪』(河出書房新社
渡辺京二『夢ひらく彼方へ』上下(亜紀書房
○山本芳久『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)

 

 

春落ち着かぬころにもあるかな

 新居への移転から始めたブログであるのだから、退去のことはやはり書いておくべきだろう。

 売却から転居に至った経緯については憮然とさせられることいささかならず(借金で夜逃げしたわけではありません)。まあ、しかし自分の持ち物に我と処分を下した訳だから、これ以上はふれない。

 モノを蒐める性分ではないのに、十年住んだらそれなりに増えるもの。購入希望の声を聞いてから実際の引越まで一月と少しあったけれど、すぐに業者を決めて荷造りを始めた。独り身で仕事をしながら一三〇箱ぶんの本と家財道具を整理しようとすれば、毎日少しずつハコを作っていくほかない。帰宅してシャワーを浴び、サントリーの角をぐびぐびやって(ハイボールに非ず)、一冊一冊ホコリを払って、全集や単行本のハコをつぶし(かさばるから)、ああそうそう、段ボールを箱にしてそこに封入する作業を続けていると、あっという間に鬱になりますよ。よくいうように、整理中に本やノートを読み返しては甘酸っぱいだかほろ苦いだかの追憶にふけっていたらまた別かもしれませんが、読書をなによりの道楽としている人間が本を単なるモノとしてのみ扱うのは大概苦痛なる経験である。どうでしょう、プーチンさん、反体制派のインテリを潰すのにこの刑罰を取り入れてはいかがか。

 片付けつつ、「我ながらいい立地、いい間取りのマンションを買ったものだなあ」と思ったぐらいだから、買い主の方がたいへん感じのいい方(鯨馬と比べるとスッポンの見上げる月くらいに上品な御夫婦)だったのは本当に嬉しかった。また奥様がごく近くの出身ということで、ひとしきり近辺の話に花が咲いたことだった。

 あまりにも本が多いので、前日に一台分積み込みしておくという段取りだったのだが、主要な照明が外れた薄暗いなかで、引越業者のお兄さん方の運び出しのまあ速いこと速いこと。小柄で細っこい若い衆が二箱を抱えてちゃーっと走り出すのを見ると思わず「あれよあれよ」と口にしてしまう。

 おかげで、翌日の引越当日は感傷にひたる余裕もなく、あっという間に作業が済んでしまう。昼過ぎ、業者も帰った新しいウチにひとり取り残された(という感覚なのですよ)鯨馬、一時間近くはなんだか真っ白なアタマのままやたらとインスタントコーヒーを啜っておりました。タバコ吸ってた頃ならむやみにふかしてたんだろうな、当然。

 で、新居は次の住まいが決まるまでの仮寓というつもりではあるものの、吉田健一の名ぜりふにいわく、「住んだところが故郷である」。まだ一週間も経っていないながら、今度の住まいの気に入ったところ。


○広い・・・独り暮らしには過ぎた広さだった前の住居よりまだ広い。おまけに「ルーフバルコニー」がむやみに広い。春夏のシーズンは、ビアガーデンにBBQに皆様どうぞご利用下さい。
○綺麗・・・いくら全面リフォームとは言え古いマンションだから、これは眺望の面。全戸南向きなので(山の麓だからそうなるほかない)、夜明けの海の色とそれから日没時分に神戸空港に飛行機が降下してゆくところを真横から缶ビール片手に眺められるのはなかなかのもの。
○涼しい?・・・いや、高所恐怖症は布団を乾すのがコワイくらいの立地だから、窓を開けるとこれは荒野ですかいというほど風が吹き抜ける。引越を機に古いエアコンは全部捨ててしまったが、次何台買うか、ちょっと様子を見てみようと思う。
○まち・・・いくつかの街で物件を探して回ったけど、やはり小綺麗でお洒落で白っ茶けたニュータウン的なところは病みそうで無理と痛感。で、今回の引越当日からいい店に巡り会ったのですが、これはまた後日の報告とします。

えんぶり感傷旅行(3)~東奔西走~

 

 


 月をまたいだのではどうも間が抜ける気がするので、残りの三日をまとめて記す。

【某日】

○昼 十三日町『Porta Otto』へ。ランチが有名で人気なのも分かる。肉・魚・野菜で十二、三種類はある前菜の盛り合わせにパスタ(鱈と菠薐草のトマトソース)、食後のコーヒーで千円です。前菜でゆっくり白ワインを啜っていたかったがなにせ次から次へと客が入ってくるので、グラス一杯で席を立つ。今度は夜に来よう・・・ああ、でもその前にやはり『Casa del cibo』に行きたい。。。

 午後は是川縄文館へ向かう。青森県の国宝は三点で、全部ウチにあるというのが八戸市民の誇り。なかんづく合掌土偶には、元々縄文文化(一万年続いたのだから文明と呼んでいいのでは?)に関心があったせいで、気になっていた。こころ任せ、足任せで行動するものだから、これまではバスの時刻に合わなかったのである。

 予想どおり鯨馬以外に客はおらず。ここでものんびり見て回る。途中から驚歎の域を超えて何やら可笑しくなってきた、というのはここの所蔵品(少なくともこの日展示されている物)はほとんどが重要文化財なのである。十点や二十点という数ではありませんからな。別に文化庁の権威に打たれたわけでなく、それだけ状態の良く、当時の生活・技術がうかがえる品、要するに縄文の息吹の濃い品々に文字通り取り囲まれていると気が遠くなってくる(それにしてもよく呆ける旅ではある)。赤い漆で仕上げられた器や精緻な玉の装飾もいいけど、やはり土偶が一等面白い。静寂な館内、薄暗い照明の下、奇っ怪な紋様を顔にも体にも彫りつけた土偶を見つめるのは結構エネルギーを要する経験。こちらの脈拍もリズムを乱されそうな錯覚に陥る。岡本太郎のようにバクハツする芸術的感性は無けれども、にわかに詩興動く。即ち一句。

 春寒や土偶の咒言聞き得たり  碧村

 行きはよいよい帰りはこわい。館を出てみれば果たしてバスが来るまで一時間近くあるのだった。ナビ子ちゃん(©ビーストウォーズ)に調べてもらうと一時間あれば中心街に戻れそうである。幸い天気もよし、と歩き出す。一体にこの旅ではむやみに歩いたなあ。あれだけ暴飲暴食して戻っても体重が全く変わってなかったのは昼間にだいぶカロリーを消費していたせいではないか。

 途中人っ子ひとりいない山道に連れ込まれて慌てたが(大丈夫なのか、ナビ子ちゃん!)、やがて住宅が現れ始め、長者山の馴染みの姿が見えて一息つく。この日もやっぱり銭湯でうつらうつら。旨いもん食べるより名所観るより、こうして明日のこと考えずにぼーっとしていられるのが旅のいちばんの功徳なのかも。

○夜 でもやっぱり旨いもんは食べたいのである。夕景向かったのは『南部もぐり』。今回初めて予約出来た。大将の貌つきが、何と言いますかいかにも南部のオジサンという感じで、寄らば切るぞ的な空気も漂わせつつ、でも料理の減り加減をさりげなく見ながら次を出してくれるという按配で、たいへん気持ちよく呑めた。ハッカクの刺身とソイ煮付けが良かったな。黒板にびっしり「出来ますモノ」が書かれているのは、青森市は本町『磯じま』と似た感じ(津軽と一緒にするな!と怒られそうだが)。その十分の一(二十分の一?)も征服出来なかったのは慚愧の至りでありますが、まあこれから何度か足を運んでちょっとずつ、と考えて心落ち着かせる(←季節による入れ替わりを失念している)。

 なんとなく呑み足りない感じで、二軒目には勿体ないけど、ロー丁『鬼門』へ。四回目の訪問となる。熱燗で「鱈ぎく(白子)」とにしん・昆布の煮物、クリガニなどを。鯨馬の関西は緊急事態宣言が出てるだけに「出てるうちは控えよう」と、分かりやすく客足が減っているのであるが、地方の不景気は外からの強制(要請てんですかね)が無い分、いっそう深刻である。心が痛む。せめてもの貢献と思って何度も何度も熱燗のお代わりをお願いする。

 長横町も酔客より客引きのにいちゃんの方が多い。切ないなあ。と呟きながられんさ街『だし選人』でかしわうどんを啜る。いい感じの店で、嬉しくなってハイボールをごきゅごきゅ呑む。

【某日】
○朝 ドーピングの効あって、朝六時前には起床。さっとシャワーを浴びて、バスで湊方面へ。八戸に行ったことのない人でも知ってる『みなと食堂』だが、ここにも人影はない。いささか悄然としながら平目漬け丼(エンガワ半分の豪華版)を、でもやっぱり旨いから掻き込むようにして完食。

 腹を落ち着かせてから駅前の市場に行って、ここでは酒。しめさばも鰊の大根漬も三百円以下。真鱈の子の醤油漬けが、見た目に反する薄味で殊の外酒に合う。帆立の味噌汁を追加してコップ酒をごきゅごきゅ呑んでいると、さすがに満腹。

 コーヒーが呑みたくなり、隣の「観光案内所 コーヒー」の看板を出した建物に入った。

 地域のジイサマバアサマのたまり場、もとい社交場とおぼしい。かろうじて「コーヒーください」「神戸から来ました」という会話は通じたものの、鯨馬の周囲は南部弁の瀑布という様で、またこの南部弁がちっとも分からないのですね。分からなすぎて、もう、なにやら噴き出すのをこらえるのに必死、というくらい。

 おかげで、少しく憂愁にしめりがちだった気分に薄陽がさしてきた按配。おそらく酒の勢いもあったのでしょう、そのまま蕪嶋神社まで足を伸ばしたことでした。書きながら気付いたのですが、結構普通に観光客してますな。

○昼 うーむ。この旅で唯一失敗した店であった。大将も女将さんもたいへん感じのいい方だったぶん、余計具合が悪い。

○夜 再び『漁BAL湊のいろは』。一昨日は「真鱈のアラ汁」(豪壮)と「鰯のサイコ汁」(大根おろしが入っている。清爽)だけで、「くじら汁」(大好物なのです。鯨馬だけに)を頼んでいなかったことを憾みとして再訪。この日は「サメの卵」なる珍品が出た。店長も食べるのはこの日が初めてだそうな。葱とスクランブルエッグのように炒りつける。生臭みはちっともなく、チーズや生クリームのようなコクがある。摘まんでるうちから血行が良くなってくるみたい。やかん酒を当たるべからざる勢いでやっちょりますと、オーナー(店長とは別)が現れて「そこら辺で止めときませんか」ときた。酒品の悪いほうではないのに・・・と憮然としていると、「今晩町に泊まって呑む用事がある。差し支えなくばこれからご一緒に如何」とのお誘いだった。

 このあとがすごかった。『いろは』もたいがいですが、絶対に観光客が寄りつかないエリアの、寄りつかなさそうなお店で、でもどちらも安くて旨くて話も面白くて、最初の店はすこーし床が傾いているのも欣快の至りというところ。
 
 「まだお連れしたい店ありますよ」「もういいんですか」「行かなくていいんですか」という天使(堕天使)の囁きを振り切るように謝絶して、ようようホテルに帰り着いたことではありました。南部の夜は、深い。《了》

 

見よ、この雄姿。@南部もぐり

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途中まで写真撮るの忘れてた。もっと鳥肉がのっかってた。@だし選人

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再び見よ、この雄姿。タマゴやから雌姿か。@いろは

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えんぶり感傷紀行(2)~まぼろしの囃子~

 朝食もそこそこに長者山新羅神社へ。奉納摺りが中止なのは分かっちゃいるけど、せめて同じ場所で昨年のあの記憶をたどりたかった。

 まずは無事八戸に着いた御礼を、と思うが賽銭箱がいつもの場所にない。訊ねるにも神職は女性と話している。聞くでもなしに聞いていると「いつ始まるか」「途中からは本殿の中で」との声が切れ切れに。

 胸あやしくとどろいて、お詣りしたあと周囲を見回してみるに、「親方」(えんぶり組の先導者)のなりをした人影が。えーっ。どーゆーこと!?と混乱しながらも社前の広場に戻れば、なんとまあ紛れもないえんぶりの一組が。それでもまだ狐につままれたようなまま突っ立っておりますと、うん、たしかに目の前で囃子が始まった。もうこうなりゃ狐だろうがカッパだろうが後ろの百太郎だろうが構いはせぬ。

 聞き惚れておりますと、mamoさん(えんぶり・三社大祭等の写真家で、鯨馬には八戸唯一の知人というか先達)の姿を見つけた。こちらの怪訝な表情から察して下さったのだろう、「一組だけが特別に奉納摺りをするんです。そのあと神さまに中止となった報告を申し上げる」「一般には知らせてなくて、マスコミにだけ公開」と口早に教えてくれた。なるほど周囲はカメラ・マイクを携えた人種ばかりである。

 なんでもこの売市組はいちばん古くからある組で、権威も格別、唯一神社の本殿に上ることが許される格式を持っている由。ともあれこれこそ神寵でなくてなんであろう。鳥居前から本殿へ向かう行列のあとにくっついていった。摺りが始まると涙がこらえきれなくなる。「マスコミ関係者」としてはいかにも不審な振る舞いながら、もう一たびこの瞬間に巡り会えたのを喜び感謝し、何度も何度も目を拭う。五十も近づいてくるとどうもあちこちのセンが緩んで仕様がない。

 呆けたようになったまま、町中に戻って『はっち』のえんぶり特別展を見る。写真や人形に先ほどの映像を重ねつつ、ゆっくり回っていたので、気がつけばお昼どき。店は腹加減と足任せで決めるつもり・・・が、結局は前回伺った蕎麦の『番丁庵』へ。いわゆる”ランチ”を求めているわけではないからな。昼にある程度落ち着いた気分で呑めるところはそうあるものではない。

 にしんの山椒漬けや板わさなどで三合呑み、鴨南蛮を頼む。昼から腹一杯になってしまった。こういう時は歩くに限る。恰度博物館でえんぶり展をやっているから、根城まで歩く。酒で体が温まっているのと、風が冷たいとの、歩いてまた体温が上がるのとでどうにもせわしない。それにしても東北は花粉の飛散が遅くて助かります。旅先でくしゃみ鼻水目のかゆみなんてぞっとしないからねえ。

 根城も、そして博物館にも誰もいない。一時間あまりも昔のえんぶりのヴィデオを鑑賞する。こっそり摺りのふりをマネしてみる。唄まではさすがに(兼好法師いわく、「狂人のマネをする者は要するに狂人です」)。

 帰り道はバスで。銭湯でゆっくり体をほどいて、今度は博物館とは反対側の湊の方へ向かう。お目当てはインスタグラムで見つけた『漁BAL湊のいろは』。二代目。先代がたたんだあと、近くの別の場所で復活させた店。写真どおりに、いかにも港の側の一杯飲みやという、いいたたずまいで、中にボーボーとストーブが燃えているのも頼もしい。

 アテもまた品といい、値段といい港らしい。中心街(八戸の人は「町」という)とは格段に値段が違うのだ。いくつかあげてみると「さめすくみ(酢じめの刺身)」350円、真鱈アラ汁250円、高野豆腐子和え250円、煮染め250円、鯖の串焼き130円、牛乳瓶に詰まった刺身380円等々。熱燗を頼むとちっちゃなヤカンとコンロが出てくる。自分の好みの加減で呑めという寸法。

 桃源郷ここにあり。感涙にむせびながら結局五時間呑み続け。終バスを逃してタクシーで「町」に戻る。酔眼ふらふら、それでも転ばぬようによちよち歩いていると前回伺った鮨やの灯りがついていた。

 大将も遅い時間の飛び込みにもニコニコ出迎えて下さり、隣のカップルは遠いところをわざわざ、と酒や肴をご馳走してください、素戔嗚尊新羅三郎様、お稲荷様に感謝しつつまたも感涙にむせびながら飲み直す。結論、〆はラーメンではなく鮨をつまむに限る。

えんぶり感傷旅行(1)~艱難辛苦は神の声~

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粉雪の店 一皿に北海の海あり。


 極楽とんぼにも程がある。今回ばかりは痛感した。騒動で乗るはずの飛行機が減便対象になったくらいならともかく、そもそも本来の目的だったえんぶりも完全中止となった上、地震で新幹線が動かなくなった時点でなにかしら手を打っておくべきだったのだ(旅行自体を取りやめるという選択肢はない)。まして台風並みの爆弾低気圧の影響で、北陸から北の在来線が軒並み影響を受けているとは、前日からの報道。にも関わらず「取りあえず仙台に出ればなんとかなるだろう」との甘ちゃん根性は大概にせい。

 と、朝の仙台駅でひとしきり自分に毒づいたことでした。ともかくまったく電車が動かないのである。スマホの画面をにらめつけながら情報収集と対策手段の検討に大わらわ。頼みのバスは、というとこれまた暴風雪のせいで高速道路が通行止め。やんぬるかな。

 パンがなければお菓子を食べればよい、電車がなければ鮨を摘まめばよい。と腹をくくりつつも未練たらしく最新情報をチェックしていると、十一時になってようやく高速道路再開の一報が。すぐさまバス会社に連絡すると十二時から走らせますとの答え。一時間も極寒の屋外で待つことを考えるとユーウツになるが、ひとまず目指す八戸まで三分の一の足は確保したことになる。その先どうにもならなければ、銀行でうんと下ろしてタクシーに乗るまでよ、とこの時の目は間違いなく血走っていた。

 指先の感覚がなくなる頃バスが来る。一時間半の道中も、白い闇とはかくのごとくかとばかり雪が吹きすさぶ。一関駅に着いて臨時の新幹線が盛岡まで出ていることを駅員に聞いた時には安堵のあまり腰が抜けそうになった。たしか丸谷才一が、このあたりは食い物がマズくてどうしようもないと言っていたけど、鯨馬には一回くらい泊まってみたくなるくらいいい町に思えた。

 盛岡に着いてまずは八戸までの便を確認。出発までわずか(と言いたい)一時間と聞くと、途端に食慾、というより一杯やりたいという気持ちが噴き上がってきた。

 駅の地下に立ち飲み屋があったのは勿怪の幸いながら、ここではハイボールと地酒一合で辛抱。というのは、店に入った直後、この日の晩に予約していた『Casa del cibo』の池見良平シェフから「うんとお腹空かせてきてください」と連絡があったため。こうなると張り合いも出るというもんです。

 八戸駅からバスで中心街にたどり着いたときには、誇張ではなく有り難さに涙がこぼれそうになった。えんぶりのお宮である長者山新羅神社の冥加あっての無事着到という他ないもの。

 もっともホテルに着くまでのわずかな道のりで二回すっころびました。雪というより氷が積もったような道でよくぞ骨折もせず、アタマも打たなかったこと。これは新羅神社の・・・「舞い上がるなかれ」という警告だったのかもしれません。。。

 さて『Casa del cibo』へはタクシーで十五分ほど。湊高台という住所どおりの場所。「ともかくご無事にいらっしゃって安心しました」とシェフにねぎらってもらった。県外からの予約の大方はキャンセルだったとのこと。食いしん坊の面目ほどこしたというところ。

 この夜のコース以下の如し。

◎自家製マスカルポーネパルマ産生ハム・・・マスカルポーネは青森のジャージー牛の乳で作ったもの。濃厚なだけでなく、風味がある。黒胡椒と堂々張り合える味。
◎真鱈の白子、グリッシーニ揚げ・・・白子も、グリッシーニに練り込んだ烏賊墨も、下に敷いたソースの帆立(これが芳潤)もみな八戸産。白子のふうわりとグリッシーニ(細かく砕いてある)のシャリシャリとの食感の対比がまた楽しい。一体に食感の組み合わせ(テクスチャーてんですかね)をうまく作れる料理人は信用していいように思う。
◎シャモロックと車海老のサルシッチャ・・・いうまでもなくシャモロックは青森の誇る地鶏。充分旨味のつよい鶏なのに、車海老を合わせるとどうなるか・・・一きれ口に入れると途端に笑みがこぼれて戻らないのです。ナポレオンが作らせたマレンゴというトリ・ザリガニの煮込みが元型、なのだそうですが、どうもあの独裁者が食べたものの数等倍美味く仕立てられている気がする。シャモロックと車海老のアラから引いたトマトのソースも洗練されていた。また、上にかけた生のマッシュルームとの相性も素晴らしい。鯨馬の悪癖で、はっ。と心動かされる一皿に出会うとつい「和食にどうアレンジ出来るか」とモーソーしてしまう。粗くつぶした地鶏と才巻のミンチを湯葉で包んで揚げて、最後にかける餡はさて何味がよいか。
◎鮑のフェットゥチニ・・・鮑の肝を、ソースではなくパスタ生地に練り込んでいる。だから噛むと三口目くらいから香草のような高雅な香りが充満してくる。「これだと鮑の身との対比が堪能できるでしょう?」とシェフ。アーメン。だからこのパスタはフェットゥチニでなくてはならんのである。茹でた芽キャベツ(?)の甘味がまたいい。
◎スッポンのトルテッリ・・・スッポンは「青森県モール温泉兜スッポン」(献立の引き写し)。すごいのは、スッポン一匹を、皮・内臓・骨(軟骨)、そして血と綺麗に捌ききって使うという手法。血は生地に練り込み、イタリア版餃子の具には刻んだ肉と内臓を詰め、そしてソースは軟骨などのアラで取っている。だから「トルテッリひとつに、言わばスッポンまるごとが入っているようなもんです」。深めの赤い鉢に入っているのも、焼き葱を添えているのも懐石ぽくみせる洒落た趣向。でも、和食でよく出す「生き血(の葡萄酒割り)」なんかよりはるかにスッポンの持ち味が活かされてる。
◎熟成鹿のタヤリン・・・鹿は岩手葛巻町産。パスタも三種めというのに、そして濃醇な味付けなのに、するりと平らげてしまった。そうか「うんとお腹空かせて」きて良かったのだ。ここからがメイン。
◎ズッパペッシェ・・・いうまでもなく魚介はすべて八戸産。ええと、具材は槍烏賊・真蛸・北寄貝・油目(アイナメ)・キンキ・蛤、そしてマツモ(海藻)。これがいわゆる「本日の秀逸!」というヤツで、蛸のくにゃくにゃ、烏賊のしこしこ、アイナメの芳脆と歯触り舌触りがまず酔わせ、なかんづく絶妙の煮加減の北寄貝の肉がさくさくと分かれていく按配は官能的でさえある。ソースは魚介のダシにサフラン風味。つまりこれはブイヤベースである。八戸の冬は毎年ブイヤベースフェスタとしている。これに関しては後述。気がつけばワインを一口も呑まないままに夢中になって食べ終えてしまった(甘美な夢を思い出すようにポルタ・ダ・リアのアルバリーニョを啜るのも、またよかった)。しかし、春の夜の夢の浮橋とは違って、カーサデルチーボ、つまり「食べ物のおうち」の夢はまだ続く。
◎鴨のアッロースト・・・鴨は青森県産の銀の鴨という銘柄。「本当に自慢できる鴨です」とのこと。うっとりとズッパの味を想起していたおっさんははっと我に返った。料理に関心の深い方ならここまでの紹介で想像出来ると思いますが、この鴨もまたニクだけではありません。筒状に切った腿肉、それに抱き身の周りにミンチ状にした内臓・皮を巻き付けて焼き上げているのです。ソースはむろん血や内臓や骨を煮込んだものを、おだやかな腿にはやや淡味、華麗な胸のほうは濃いめとかけわける気の配りよう。鯨馬個人としては、やはり臓物のミンチを抱き身と一緒に頬張ったときが一等幸せだった。青森の食材への愛着からして、添え野菜には山芋か牛蒡かと思っていたところ、牛蒡がきたので嬉しくなる。ゴボウはこんなにバタくさくもなれる野菜だったのですな。

 あとはドルチェふた皿(カタラーナとティラミス)を頂きながら、シェフと小一時間話をする。実は八戸ではなく神奈川の出身、相模湾の魚介に親しんでいたから八戸の海の豊かさがよく分かる、というのもよく分かるし、だからこそ八戸の料理屋の現状に向ける評言も(鯨馬の旅行客だからこそ)よく分かる。

「フェスタで出すブイヤベースはもっともっと、徹底して八戸の食材にこだわるべきです」「スーパーや市場で素晴らしい魚介が買える。だから『こんな美味しさがあるのか』と思わせないと」「魚介は仕入れも値段も安定しない。でも辛抱して買い続けることが漁師さんを支えることになる」「食材は隅から隅まで使い尽くさないといけない。食材に対する敬意」

 “辛口”なんかではなく、真摯でまっすぐ物を見る人なのだ。だからこちらも爽々しい気分で(美味いものを食った直後というだけではなく)相槌をうちながら、やはり同じような眼と手と心を持つ、尊敬するイタリア料理のシェフの中田さんのことをしきりに思い出していた。神戸に帰ったら『AeB』に行こう。

 素晴らしい料理人に引き合わせて下さったのもまた、(文字通りに!)風雪に耐えた功徳というべきか。

※memo…市街に戻って『酒bar ツナグ』で日本酒、立ち飲み『28』でハイボール