長州返り討ち(3)〜天神拝んで狐に笑われ〜

  『くじら館』のオバチャンに「まだ呑むのかね」と訊かれて、力強くうなづくと、二人で電話帳を見ながら飲み屋を調べ始める。やや心配・・・・でもここはご託宣に従いましょうか。
  従ってよかった。地方の中都市のスナックでしょう、どうせ(下関の皆様、再びお詫びします)。というつもりで入ったところ、「いずれを見ても山家そだち」どころではない、別嬪揃いの店。もの珍しそうにキョロキョロしているこちらの方が、「山家そだち」なのであった。十二時までだというので、ボトルはよしてショットで焼酎を飲む。エリサママ、みさきさん、あおいちゃん、どうもありがと。
  さて、これでホテルに帰るかというとまだ帰りはしないのである。日中の町歩きしているあいだに、たいへん感じのよさそうなバーが見付かった。新築ながら明治建築のおもかげをとどめた、趣きのある外観である。
  結論から言うと、いやあ、下関、いい街だなあ。神戸にもなかなかこれだけのバーはない。雰囲気は外観から判断したとおり、落ち着いていてしかも空気が澱んでいない。一杯目のカクテルもこちらの注文にぴったりのものを作ってくれたし、カルヴァドスもアルマニャックもきちんと複数銘柄から選ばせてくれる。魚(くじら)が旨くて、女性が綺麗で、酒が豊富となれば、ここに骨を埋めてもよいようなものである。
  と考えつつ杯を重ねているうちに、急速に酔いが回ってくる。いつもの旅ならそんなこと、気になぞしはしないのだが、明日は越兄と会う約束をしている。煉獄からたたき出されたような二日酔い面を出すわけにもいかない。コンビニでアイスクリームとお茶を大量に買い込み、ホテルに戻って平らげるとそのままこの日はダウンした。
  翌日。糖分と水分が効いてなんとか最悪の状態は免れている。昼過ぎに越兄と新山口駅(どこの地方でもそうなのだが、この無趣味の極致のような新幹線駅の命名、どうにかならんものか)で待ち合わせ。一年半ぶりかな。
  近くで昼食をとったあと、車で防府天満宮へ。梅まつりが開催中とのことだったが、肝腎の梅は今冬の厳冬にてほとんど咲いていない。わずかにあちらで一輪、こちらに一輪という程度。まさしく「梅一輪いちりんほどのあたたかさ」という景であった。それにしても宏壮なお宮である。
  ぱらぱらと降り出した中、次は車ならあっというまの距離にある毛利氏庭園へ。ここも庭は冬枯れでとくに見るべきものは無かったものの、展示がよかった。藩主・毛利家がつくらせた雛飾りを中心にした展示だったのだが、雛人形そのものよりもミニアチュールで作られた雛道具(?)が素晴らしい。大名家の姫君の日常を髣髴とさせるような調度・道具類(毛利家の沢潟の紋がどれにも蒔絵で施されている)がケースに一杯。掌にすっぽり収まるような将棋盤にきちんと駒がならべられている。こちらがガラスに顔をくっつけんばかりにのぞき込んでいると、越兄が琴柱までちゃんとつくってある、といかにも感に堪えたような声で教えてくれた。
  つまりこの感覚はあれだね、水族館と同じ訳だね、とひとり納得する。もっと維新の大業をふりかざしてふんぞりかえった印象の周防・長門だったが、こういう精緻な仕掛けでこちらを極小の迷宮に引きいれる土地だったとは。
  すっかり陶然として、今夜の宿泊先である湯田温泉に向かう。前にも書いたが、越兄は大学で同門、つまりこのブログにも度々登場する師匠門下の兄弟弟子である。こちらが師匠の近況を報告すると、「相変わらず○○だなあ」ととっても嬉しそうだった(○○はあえて伏せる)。こちらも越兄の最近の研究や、研究者仲間の動向などをきいてハップンする。今さら道を引き返すつもりもないが、「これからも本を読んでくぞ!」という元気をもらうのだ、この人と話すといつも。
  途中、越兄のご自宅によって夫人(こちらも旧知である)と二人の可愛らしい男の子に挨拶する。人見知りせずになついてくれる(ような気がする)。
  湯田温泉では越兄ご贔屓の(ご自宅もここから歩いて帰れる距離)店でご馳走になる。あまりイケル口ではない越兄はビール一杯で、たいへんイケル口のわたくしはそれでも遠慮(これでも遠慮くらいは知っている)しつつ、冷酒の杯を重ねて学問と本談義に熱中する。実に愉快な時間。越兄、ホントにお世話に成りました。いつも旅は行き当たりばったりの風任せ。それが性に合っているけれども、こうして気心のしれた相手が東道主人の役をつとめて下さるのも気分がよいものである。ホテルに戻って、単純アルカリ泉だというさっぱりした肌触りのお湯につかって疲れを流す。
  気分がよいのはここまでだった。ホテルの入り口に「基幹労連山口県本部幹事会ご一行様」とあるのを見ていやあな予感がしていたのだが、果たして予感は当たった。「集団の日本人はキチガヒという噂もある」(石川淳『西游日録』)。

   まどひ込む燕もあらん狐の湯  碧村
※自注して言う。湯田温泉は白狐が傷を癒しているのを見たところから始まったといういわれあり。

  最近あれだけ連句に凝ってるのに、たった一句だけ!?という感じですが、実は三月にも加賀方面への旅を考えていて、独吟歌仙をそこで巻き上げるつもりなのであります。ともあれ我が偏見をさらりと湯に流した旅でありました。さっ、次は薩摩征伐だ(懲りてない)
。 

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