月だって凍ります。

 不思議なもので、夏より今ごろのほうが水の使用量(これは飲食用ということ)が多いのである。いや、正しくは冬季の使用量こそ標準で、夏はお茶代わりのビールが増えるからその分水を使わないということなのかもしれなけれど。

 ともかくストックが枯渇しかかっていたので、慌てて空男氏に来てもらっての水汲みとなった。本当は前日にお願いしていたのだけど、こちらの二日酔いのために一日日延べ。『はんなり祇園』で同僚とまる、つまりすっぽん鍋を喰って酒を呑み過ぎていたのだった。コラーゲンが甲羅をかぶって歩いて(泳いで?)るような手(脚?)や頭や甲の裏側はもちろんぬるぬるぬめぬめしてすこぶる美味だったが、この日はそれ以上に内臓を楽しんだ。濃厚なくせに爽やかな甘みの肝臓も、鱧の笛とそっくりで、でも鱧よりもしつこい(それで旨い)食道もよかった。なかんづくすばらしいのは腹卵、焼き鳥屋では「玉ひも」と呼んでるあれ。精気が凝るとこうもなろうかという色艶と味と食感だった。てっちりでもそうだが、いちばん旨かったのは雑炊であることは言うまでもない。

 何の話でしたっけ?

 で、ま、一日休んで万全の体調のまま水汲みを済ませ、その帰り道には、北区の農産物直売所に寄ってもらい、黒豆の味噌やら四種のベリーから作ったジャムやらちゃんと天日で干した割干し大根やら無農薬・有機栽培のお茶やらで散財。久々に出身大学の研究室にも立ち寄ってコーヒーを頂いているともう夕暮れ。

 日曜の夕方は誰だって憂鬱な気分になるだろう。当方もその例にはもれないけれど、風趣のような気配もあって、嫌いというわけではないのである。特にこの時季、じんみりと暗くなるにしたがって大気も冴え返り、と同時に立っていると足の先から内臓が流れ出てしまうような虚脱感と一人世界から置いていかれたようなあてどなさが瘴気のように身体を包み込むと、「ああ、酒が呑みたいっ」という魂の叫びが溢れてくるのである。ちょっとマゾヒステッィックなような快感。

 何の話でしたっけ?

 で、ま、そのまま《下山》(神戸大学は山の中腹にある)し、六甲道にある空男行きつけの居酒屋で、おでん(半熟卵が旨かった)やら鯛かぶとの酒蒸しやらでビールを呑む。生中を一杯、というのではないのですよ。飲みも飲んだり、二人で中瓶十一本。ビールなんぞいつまでもがぶがぶやるものではないけれど、翌朝の仕事を考えて酒や焼酎はやめておいたのだ。それにしても馬の如く、もとい、鯨のごとく、いやそれは大げさか、赤ちゃんイルカくらいに呑んでしまったのは、途中から猛烈な風雪になって店を出る潮をうしなってしまったせい、もあった。来る客ごとに「前が見えない」「あっという間につもった」「看板が真っ白」と報告が入るものだから、前世は犬かというくらいに寒さと雪に目がない性分としては、ここは矛盾するところなのだが、暖房の効いた店で外の寒気を思いやっていると、ぞくぞくして(嬉しさのあまり、です)きて、コーフンのために喉はからから、「もう一本」、とこうなる筋道が出来ているのである。

 終電前に店を出て、一人で三宮へ。残念ながらやんではいたけれど、車のフロントガラスに積もった雪がうつくしい。これを見てはおとなしくご帰館あそばすわけにもいかず、いつもどおりIZARRAに寄って赤ワインを頼み(むろんボトル)、シェフを相手に惚気るような愚痴るような馬鹿話のようなくだを巻き、気がつけば四時半!

 これでようやく題名の所以に行き着くわけですが、中山手通りから山麓線を歩いてる途中、ずっと月はこちらのまさしく正面に照り輝いていた。眩しく感じるほどの明るさ。しかも凛烈な月影がそのまま散り敷いたように地面は銀白色に光っている。北原白秋の例の一首ではないけれど、君かへす朝の敷石さくさくと、足下に音は響く。

 ただ一心に月を見つめながら歩いていて、あ、つまりあれだな、ルナティックとはこういうことだな、と一人納得したことであった。

 途中で買った缶のおしるこがやたらに旨かった。
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