青天の霹靂

 前日の酔いを抱えたまま、四天王寺の古本市へ。インターネットで探せば大抵の書物は手に入るとしても、世の中にどんな本が出ていたのかはやっぱり文字通りの本の山の間を歩いてみないと見えてこない。

 会場についたときから風の冷たいのは気になっていたが、それでも久々の古書市で愉しんで見て回る。それでもやや索然とするのは文庫本の棚のつまらなくなったこと。こちらが古本屋通いの面白さに目覚めたころ、といってもたかだか二十年というところながら、一冊一冊丁寧に見て回るだけの価値はあったように思う。今は完全に本屋さんがその膨大な量をもてあましている感じ。一言でいえば棚がおそろしくうすぎたなく見える。

 その分余計に、ちょっと(かなり?)前に出た文庫本の好もしいのを見つけるのは嬉しい。この日は関容子『日本の鶯』の、岩波現代文庫ではなく講談社の懐かしい緑カバーの版や萩原朔太郎『新しき欲情』(創元文庫)、福武文庫版とはつまり吉田健一訳になるヘンリー・ミラー『暗い春』などがみつかった。その他には野崎歓『フランス小説の扉』、スキナー『花の神話と伝説』、ハックスレーの『Collected Essays』など。

 本探しの途中で急に風が強くなったかと思うと、突然大きな雨粒が落ちてきたのにはびっくりした。雷鳴も二三度ひびいた。しかし空がくしゃみしただけのように、すぐさま晴れ渡ったあとはむしろ陽射しがあたたかく感じられる。

 運転手役の空男氏に荷物を預けると、現金なものですっかり二日酔いも醒めたように腹が空きだすが、ここは晩まで辛抱と、コーヒーだけ呑んで天王寺駅までぶらぶらあるく。ここらへんの町並み、何度来てもいい。古い大阪の空気を吸っているような錯覚にとらえられそうになる。

 といっても、駅まできてしまえば皆様ご存じのような例によって例の如き駅前再開発によって、ゴージャスかつ貧相なショッピングビルに埋め尽くされているのだが。

 さて、空腹をなだめつすかしつ、阪急京都線に乗って淡路駅まで。ずいぶん久々に「千成寿司」に行きたかったのである。アーケードが消えて妙にがらんとした(元?)商店街を抜けたところにある。

 先付は筍の酢味噌和え。以下はつまみとして。鯛二種(本日分と二日目の分。甘みは二日目の勝ち。ぷりっとした歯ごたえは本日分の方が上)。鳥貝二種類(軽く炙ったのと生)。煮蛸。山葵葉数の子お浸し。塩辛二つ(牡蠣とホヤ)。蟹身二種(ズワイとワタリ)。海胆三種(バフンと赤と紫、だったかな?)。赤貝。蒸し鮑。

 鮨はトロ。鱚。煮蛤。生穴子。煮穴子。焼き穴子(これは一口大の押し寿司)。平鰺。縞鯵。鰹。青柳。小鰭

 肴の煮蛸と鮨の生穴子が傑作(と言いたい)だった。穴子は舌触り軽く、噛むと少し頼りないような食感のくせに、一瞬後から透明な脂がとめどもなく(と言いたい)溢れてきて、矢も楯もたまらず旨い。

 酒もずいぶん呑みました。三重の「はやせ」という銘柄の喉ごしがよかった。大将はかわらず、商売気があるような、無いような。とはつまりこちらが食べ物屋に求める理想のあしらい。

 すっかり満足して家に帰ると師匠の新刊が届いていたので、指の先までアルコールが回っている状態なのに(梅田で一軒、三宮で二軒呑んで回る)、一気に読み上げる(『慶喜のカリスマ』)。

 本文の中で、慶喜に対するこれまでの厳しい評価は取り下げる、「慶喜にふるった史論の鞭は折れている」と書いてらっしゃるのだが、どうしてどうして。より視線は透徹してエゲツナクなっているような気がする。

 読み上げて「おおこわ。」と呟くと、改めて布団にもぐりこんだ。


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