蕎麦をたづねて三千里〜芸州一泊(1)

 二ヶ月前、「○○くん、今度蕎麦を食べに広島へ行こう」と誘って下さったのはゼミの大先輩である綺翁さん。自分でも蕎麦を打つ人からのお誘いだから、それはふつうに嬉しいのだが、「広島へ」というのが面妖である。ハテ蕎麦と言えば東京、または信州ではなかったか・・・。そもそもなぜ蕎麦を食いにわざわざ広島まで・・・。

 と考えていたら、なんでも「日本一と言ってもいいような名人」が広島の山奥で蕎麦屋を開いているのだそうな。それも一日限定三百食、昼に喰おうと思えば朝のうちに予約しておかねばならないらしい。朝のうちに、というからには電話予約とかはダメで、当日その時刻にそこに推参せねばならないのであるらしい。

 想像して気が遠くなりかけたが、ま、綺翁さんのおすすめではあるし、くっ付いて行ったら、蕎麦以外にも色々楽しみがありそうだし(当ブログ「松江の夜は落語にふける「「松江の朝は蕎麦に明ける」)、とご一緒させてもらうことにした。

 午前九時、阪急芦屋川で待ち合わせ。前回の旅行のときよりなんだか車が大きくなっている・・・教え子(綺翁さんは元教師)に借りたとか。松江に行った時、綺翁さんの極道的運転ぶりにビビった当方に気を遣って、というよりは憐れんでくださったのであるらしい。車の大きさのモンダイでは無いようにも思うのですが。

 もちろん芦屋を九時スタートでは蕎麦屋の開店に間に合うはずがない。この日はあちこちを回って広島市内に一泊という予定。案の定がらがらの山陽道をぶっとばして、まず向かったのは鞆の浦である。ここでちょうど昼時分。鯛料理が売り物だという食堂に入る。大先輩おん自らハンドルを握っているというのに、助手席のわたくしめがアルコールをいただくのは一見不届きのようではあるが、しかし我々のゼミではこーゆー時に遠慮無く酒を注文することこそが礼節に当たる・・・当たってたような。ま、ともかく、鯛の子煮付け・蛸煮付け・蝦蛄酢の物などと一緒に躊躇無くビールと酒を頼んだ。

 こうした肴の味付けがいささか甘めなのは中国筋のスタンダードというものか。かぶと煮と鯛飯と吸い物(当然出汁は鯛のアラでとっている)はさすがに旨かった。

 満腹ののちは町歩き。といっても綺翁さんは訪れたことがあるので(というか、このヒトが訪れてない町なぞあるのかと思わせられる)、案内のままに綺翁さんご夫人と付いて行く恰好になる。まずは福禅寺対潮楼。例の、朝鮮通信使が「日東第一形勝」と称えた眺望が見える。須磨あたりの海を見慣れているものの目にさえ嘘みたいに波の静かな海面のそこここに柔らかい相貌の小島が浮かんでいる景色はたしかに絶品。これをしも日本的箱庭趣味と貶すのはよほど偏屈な精神の持ち主に違いない。今みたいな春の午後でもいいし、秋の名月ならいうまでもなく結構、その時候にここに座って存分に大盃をあおれたらなあ。

 さて当地で一等気に入ったのは少しばかり高台にある医王寺からの眺めだった。温暖な地方のはずなのに、なんとか咲き堪えた桜の花びらがそれでもやはり散り際と見えて、微風に花びらを降らせていく、それを上から目にするのは実に豪奢な経験で、言うまでも無く花の下方には、これも鮮やかな菜の花や連翹の植わった畑・小庭が段々に続き、それを追っていくと自然と視線は先ほどのまろやかな島々に到り着くことになる。花びらすなわち地上の桜鯛にして、鯛はすなわち海中の落英。

 しづけさに堪へかね花の散りつづく 碧村


 医王寺を下りる途中にあった平賀源内の生祠付近のあまりの荒れ様には、江戸の文藝にいささか縁のある身として憮然たらざるをえなかったけれど。

 町を出る前に保命酒の店に寄って、味醂と保命酒一びんをもとめる。漢方薬を浸けこんでいるからといって何も滋養強壮の薬と見る義理は無く、要するにリキュールなのである。そう考えればお菓子(当方はそんなもの作りませんけど)や料理に色々使い途が出てくる。そこをもっとアピールして売るほうが、梅や杏なぞを使った新製品(例によって例のごときゆるキャラ的イラストが描かれている)よりよほど魅力的だと思うのだが。

 鞆の浦をあとにして次は尾道へ。とだけ書くと、いかにも紋切り型の広島観光コースをたどっているようだが、綺翁さんの端倪すべからざる所はここで発揮される。「尾道にはいい葉茶屋があるんだ」、と寄ることにしたのだ。つまり目的はお茶を買うことだけ。当方も先輩の驥尾に付して玉露と雁が音を一包みづつ買った。尾道の滞在時間は都合十分。坂道も歩かず練り物も買わなければ、むろん尾道ラーメンには目もくれず。これをこれ風流と言う。

 ここまでは良かったのですが、この日はしまいがも一つであった、と言ってもご夫妻に落ち度があったわけではなく、晩飯の店がなかなか見つからなかった(目当てが無かったのではなく、これという雰囲気のところに行き当たらなかったということ)ので、当方がスマートフォンで見つけた店に結局入ったのだが、やはり食い物やはあせって選ぶ物では無い(さすがに何時間も運転してきた先輩をぐるぐるあてどもなく歩かせる訳にはいかないでしょう)。小イワシや活け蛸など、悪くないものもあったのだけれど、全体に安っぽい居酒屋で、愉しみにしていた広島地酒のラインナップもいまいち。すっかり食欲を無くして早々に店を出る。

 このチョンボをどこかで挽回せねば!と気ばかりあせって次の店を探して回っても、やはり広島ほどの規模になると、なかなか見つからんもんですな。神戸だと何せ小体だから十分かそこら歩けばなにかしら見つかるのだけれど。結局綺翁さんとケイコさんはご帰館。当方はなんだか悔しくてたまらず・・・ここからはずっと読んで下さっている皆様にとっては予想通りの展開で、まず鮨やに入って地の魚をふんだんに使った握りを食べ、その後はバー二軒。二軒目のバーテンダーに「せっかくだから広島焼きも食べていけ」と紹介された店でビールを飲んでお好みを食べ、そのままもう一軒バーでのたくって(精神的に、と言う意味です。酒品は悪いほうではない)、ついに三時半まで過ごしてしまった。

 部屋に戻ると、明日は八時出発なのだがなーまだいじょーぶかーと思っている間もなく眠りに落ちていた。


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