本間様には及びもつかず〜酒田・鶴岡旅日記(一)〜

 山形にはもう何年も前に一度行ったことがある。かつては月山に入る修験者を泊めていた、いわゆる行者宿。山形から寒河江を抜けて酒田に向かう高速バスに乗り、ここでホンマに大丈夫かと思ってしまうくらい山と原っぱと田んぼ以外なんにもないところで下ろされて、宿の迎えの車が来るのを待つ間の心細さといったらなかった。少し時季を外していたせいか、客は当方の他に無し。広い庭園にしつらえた離れで一人、たしか三の膳までついた夕食をいただいた。料理はすべて山菜を用いたもの。当時の覚え書きを失ってしまったから山菜の名前はここに記すことが出来ないが、どれも瀟洒な味付けで、さらりとして料理によく合う地酒をあおり、したたか酔った記憶がある。

 その思い出があるから、山形といえば山国というイメージだったのだけれど、そして旅先では一度は海を見ないと落ち着かない性分なのだけれど、高速バスの終点である酒田など日本海の海岸線も長く有する国なのだった。それどころか、酒田は江戸時代西廻り・東廻り航路の拠点として栄えに栄えた代表的な港町。吉田健一がこよなく愛した町でもある。というわけで今年の休暇は庄内への旅と決めた。

 神戸から酒田に飛行機で行くには羽田で乗り継ぎをしなければならず、おまけに乗り継ぎを待つのに三時間近くも待たねばならない(上方と酒田とは、むしろ江戸の頃より遠くなったのだ)。空港では他にすることがないので、とりあえず持ってきたアランの『四季をめぐる51のプロポ』(岩波文庫)をあらかた読み上げてしまう。アランの散文は緊密にして剛毅、行文をたどるのに多大なエネルギーを要する類の本であるうえに、出発の三日前は連句仲間との飲み会兼句会(から一人で朝まで飲み続け)、前日は『播州地酒ひの』での「仙介の会」とあって、いい加減疲労が蓄積したところにとどめを刺された感じで、酒田に到着した頃には人間砂袋のような状態だった。

 それでも駅前の広場を吹き渡る風の涼しさに東北に来たという実感が湧き上がり、ホテルに荷物を預け、早速町の散策を開始する。いわゆる観光名所を几帳面もしくは強迫神経症的に周るよりも、無目的に歩き回るほうが性に合う。民家の庭の手入れの仕方や、商店の品揃えや神社のたたずまいに土地の精気をさぐるほうが好きなのだ。

 なるべく観光スポットが少ない道筋をたどってぐるぐるしても、やはり小さな町のこと、いずれはその種の施設に行き当たってしまう。この日見物したのは本間家本邸と山居倉庫の二つ。前者は例の殿様よりすごいという日本一の大地主の屋敷ではあるが、想像していたような暗さ(陰惨さ)は少ない。これはやはり酒田が農村主体の町ではなく繁栄した商都だったためなのだろうか、それとも三代目当主・光丘に典型的に見られるように、地元の振興・整備に尽力してきた家の風によるものか。近代のいわゆる企業城下町とは異なる町全体の品の良さ、落ち着きに通じる趣があって好もしい。堂々たる造りの山居倉庫が今もJA山形の倉庫として現役であるのもその落ち着きに通じているのだろう。つまり生活の基盤がしっかりしている、ということである。いかにも東国らしく、倉庫裏には見事な欅の大木が列をなしていたのもよかった。ここでは酒を買って発送。山形は初孫・上喜元・菊勇・出羽桜・くどき上手など、銘酒の一大産地でもある。なかんづく初孫は神戸で初めに住んだアパートのすぐ近くにたまたまこの「酒王」を常備している酒屋があった縁から、学生時代にずいぶん愛飲した銘柄である。「まるで田舎の民宿みたい」と友人たちにからかわれたそのぼろアパートの、板戸を開け閉てする押し入れには必ず蔵の看板銘柄である生酛純米の一升瓶が何本か並んでいたものだった。貧乏なりに工面して酒を呑んでいた頃を懐かしみ、物産店で50ミリ100円の初孫(およびその他いろいろ)をくいっとやってからまたぶらぶらと歩いてホテルに戻る。

 その途中、清水屋というデパートの向かいで古本屋を発見。「屋」といっても、フリー・スペースを借りた期間限定の出店であるらしい。旅先で荷物は増やさぬことと戒めているけれど、少し酒が入って気がゆるんだために、ふらふらと入ってしまう。がらんとした空き店舗の一角を区切っているだけだから、たいした分量ではないけれど、本の扱いが丁寧で割合趣味が統一されているのがいい。いいのだが、いずれの本にも売値が付いていない。おそるおそる値段をきいてみると「単行本はぜんぶ300円、文庫は100円」とのこと。急に気が大きくなって(ここらへん、我ながら浅ましい)、吉岡実田村隆一のエッセーや池澤夏樹の『ハワイイ紀行』、サッカレーの『バリー・リンドン』などを買う。「失礼ながらこういう形の店としては本をよく選ってらっしゃいますね」と感想をいうと、「ぜんぶ私の本なんです。子どももいないし、早めに本を次の方にお譲りしておこうと思って」との返答。ナルホド。俺も独身だし、死んだらあの本はどうなるんだろうな。

 ホテルで小憩したのち、晩飯を食いに「地魚・地酒」と謳った寿司やへ向かう。酒田といえば全国的に『ル・ポットフー』が有名で、じつはそれが入っているホテルに宿を取っているのであるが、訳があってこの店には行かない。その訳は明日の項で書く。さて、この寿司や、入って「なにか摘むものと酒」と注文すると、「都会から来たお客さんはみなそうおっしゃいますが、ウチでは寿司から食べて頂いていいんですよ」と大将が言う。別に気兼ねして頼んでいる訳ではないのだが、と憮然たる表情の一人客に(他に客はいない)追いかけるように「ウチでは寿司に合うような酒をおいていて、寿司も酒が合うように作ってますから」と来た。なら初めから「寿司だけ。つまみは出しません」と看板に書いとけ(一品の品書きが出ているのだ)、客のやり方にいちいち口を出すな(むろん客が普通の礼節をわきまえてふるまっている限りのはなし)、とよほどこの店やめようかしらんとも考えたが、どの道この気分で他の店に入ったところで愉快に食事が出来そうも無い。旅先での愉しみを一回分無駄にしたなあとほとんど慨嘆しながら「じゃあ、その寿司に合う酒と酒に合う寿司というやつで」(という口調にこちらの気分を察して頂きたい)と注文。

 ところが癪に障ることに(という表現はおかしいか)、寿司は旨かったのですね。「地魚だけで商売してる寿司やは東北ではウチ一軒だけ」と自慢するだけあって(まあ、他にもあるだろうが)、酒田の前で捕れた白身が実に豊富。思い出しながら書けば・・・わらさ(鰤の稚いの)、鱸、平目(あん肝を炙ったのを載せて)、鰈(東北では珍しいように思うが、目板鰈だった)、甘鯛、真烏賊、鯒、鯛、オーヨ(よく分からん)、河豚、石持、地付きの鮪など。味がこまやかである。

 でも不満がないのではない。こちらが「塩で食べる寿司に合う酒」というやつを呑んでいたためか、ヅケ以外は塩で出してくれたのだが、どれも塩が効きすぎ。酒を呑みながら食べるにはからすぎる。それに酒。すべて斗瓶取りで揃えたというのはいいけど、品評会用に作った酒など、旨いことは旨いが何杯も続けて呑むには向いていない。

 オヤジはひっきりなしに「某という蔵元とは兄弟ぶんの付き合いだ」とか「阪大の教授で家に何千本も日本酒を持ってる人もよく来る」とかしゃべっている。ま、要するに天真爛漫に俗な気質のヒトなのですな。さいごにようやく得心した気持ちになった。酒田はもう一回行ってみたい町だが(これだけの歴史を持つ町できちんとした日本料理を食べなかったのが心残りなのだ)、ここにもう一度来るかというと・・・来ないと言い切る勇気は無いけれど(秋冬の品揃えを堪能してない訳だし)、必ず来ると書くのにはためらいを覚えざるを得ない、ということで店の名前はあげません。出がけに変わらず闊達かつ断定的な口調で「酒が好きならあそこに行ってカクテルを頼みなさい」と教えてくれた。親切な人ではある。

 さてその店は『ケルン』といって、一見するに店内はあまりはやらない喫茶店という感じ。客は誰もおらず。それでもカウンターに座って寿司やから紹介された、と告げると店の置物の骨董のような(失礼!)マスターがとたんにくしゃくしゃと笑顔になって、カクテル創作の全国コンテストで優勝したときの思い出を話し出す。「では、その、雪国というカクテルを」。

 マスターはまさに矍鑠という形容がふさわしい。件のカクテルは(そもそもカクテルを好まないせいもあって)、ま、甘口の酒と思っただけだったけど、神戸でバーテンダーの大会があった時の話を聞いていると、『カルメン』やら『ギリシャ・ビレッジ』やら昔のよき神戸を代表するような食べ物やの名前が次々出てきて(『カルメン』はまだある筈)、興味深い。しかも口跡が明晰であり、なぜだか訛りがまったくない。頭の働きが爽やかな老人の話は、いい物である。結局閉店時間を過ぎていすわってしまった。

 といってもまだ十時前なのである(寿司やに入ったのは五時ちょうど)。周囲にショットバーらしき店は、ない。バーどころか、居酒屋すらも見えない。仕方なくホテルのラウンジで呑むことにした。

 またこの、「ウィスキー・スペース」と看板を出してたかな、店が傑作だった。なんと二人の息子が両方とも当方より十以上年上というバア様が一人。ちなみにここにも他の客はおらず。別に旅先の恥は掻き捨てるつもりスケベ心は持ってなかったものの(というか、晩飯の途中からそういう欲は放下してしまった)、さすがにこの「光景」には鼻白む。念のために言い添えておけば、このマダム、昔美人だったろうという顔立ちで、身なりもこざっぱりと整えていたが、それにしても母親よりもずいぶん上を相手に馬鹿話の弾むわけでもなし、勢いバア様の話をほぼ一方的にこちらが拝聴する、という恰好になる。

 愉快だったのは、この方のことばがさっきのマスターとは正反対に生粋の庄内弁で、半分も聞き取れなかったこと。それでもなんとなく間が持っていたのは客の方でたいがい酔いが回っていたせいかもしれない。酒はなんだか小粋な瓶に入ったバーボンを出してくれたのだが、芳烈で旨い酒であった。

 唯一きちんと理解できたのは、「酒田は港町だからクチは悪いが人柄は質朴、それにくらべて鶴岡は城下町だから狡猾な人間が多い」という話。向こうが質朴だの狡猾だのといった表現を使ったわけではないが、こちらの耳で酒田ことばを再現できるわけではないので、神戸や大阪の人間が京都人に対して抱く距離感になぞらえていうと、まあこういうことになるのでは、と思う。ちなみにこの話は結局「長男の嫁」が鶴岡の出身で、だから私とはそりが合わないというところに落ち着いたのであった。

 ホテルのバーで嫁の愚痴を聞かされたのでは、もうこの夜は「上がり」も同然である。ふらふらしながら部屋に向かった。

 明日は鶴岡に行く予定なのだが、狡猾な城下町の人間にだまされないよう、気を引き締めねばならぬ。(つづく)

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