天使的? 悪魔的?

 『播州地酒ひの』で、ある方が「ブログ読んでるよ」と声をかけてくださる。「それっぽい顔をしてた」とのこと。当方、鯨にも馬にも似てはないのですが(猛禽とか恐竜のほうが近い)・・・ともあれ、役立つ情報も目新しい画像もない(=一文の得にもならぬ)ブログを長々書き続けている身にとっては、じつに有り難く、また嬉しいことである。

レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』(垂野創一郎訳、国書刊行会)の方も読んでみた。『スウェーデンの騎士』が一直線に駆け抜けてゆく体の物語であるのに対して、こちらはかなり複雑なつくり。とはいっても、鏡のように磨き立てられた寄せ木細工、といった印象からは遠い。ぽきぽき折れるような文章で超自然的な物語(本篇は天使との対話で終わる)が語られる点に不思議な味わいが残る。でもこれを「チェコならではの幻想性」とか「民話的な語り口」と錯覚してはいけないのだろう。よそおわれた無技巧性(文章だけでなく、物語のご都合主義すれすれの巧緻な絡み合いもふくめ)にこそ、おそらくこの作家の魂の声は響いている。訳者があとがきで推薦していたアロイス・イラーセク『チェコの伝説と歴史』も面白そうだから今度図書館で探してみよう(チェコ人なら誰でも読んだことのある本だそうな)。

加藤一雄『無名の南画家』(日本美術出版社)もまた、『加藤一雄著作集』のきびきびした叙述に惹かれて買った、著者唯一の小説。タイトル・ロール(といえるのかな?)の南画家の仙人みたいな人柄をとぼけたような、辛辣なような語り口でざっくり描き出してみせる手際は鮮やか。こういうキャラクターを、こういう角度からとらえるのって、かなり難しいと思う。戦前の京都という都市の肌合いを、谷崎潤一郎的ではない視点から伝えたという点でも貴重。こういうのを珠玉の作という。

○エリオット・ポール『最後に見たパリ』(吉田暁子訳、河出書房新社)の原書は訳者の父である吉田健一が『書架記』で取り上げ、懐かしそうに語っていた本。大の吉田ファンは苦労して取り寄せて(あのころはまだ紀伊國屋ブックウェブも、いうまでもなくアマゾンも無かった!)愛読していたのだが、吉田暁子さんの文章は父の思い出を語った本で一種の風趣を感じたという経緯があったから、読んだのである。しっとり落ち着いた、いい日本語である。ところどころ吉田健一的語法・言い回しが出てきて、慣れてないひとは面食らうかもしれないが、それもこちらにはうれしい。戦間期のパリ、ある通りの趣が気に入ってホテル暮らしを始めたアメリカ人記者の回想録である。いつも黄金(きん)色の夕陽が射しているような街の描写も、それぞれに一癖ある通りの住人たちの肖像もみなすばらしい。何度も何度も読めるはずの本(吉田健一にとっての本とは、すなわち何度も読み返せる価値のある本のことだった)。買っておいた方がいいですよ。

○島田裕己『戦後日本の宗教史 天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)【読まなくてよし】
○ソニア・シャー『人類五〇万年の闘い マラリア全史』(「ヒストリカル・スタディーズ」、夏野徹也訳、太田出版)【読まなくてよし】このシリーズ、水準低いなあ。


トニー・ジャット『20世紀を考える』(河野真太郎訳、みすず書房)は、死を控えたジャットに、ティモシー・スナイダーという聞き手(というより、対話の相手か)がさまざまな質問をなげかけたロング・インタヴュー。『記憶の山荘』に並ぶ、ジャットのもう一つの自伝となってところがミソ。

○リチャード・オズボーン『ヘルベルト・フォン・カラヤン』上下(木村博江訳、白水社)はずいぶん読みでのある評伝だった。伝記的事実を着実に叙述しながら、演奏会・ディスク(もちろん前半はレコード)の内容もきれいに評価している。単純に客観的、あるいは第三者的というよりは、平衡感覚に富んだ見方も読んでいて安心できる。対象の魅力はいうまでもない。ただ、こちらは熱狂的なカラヤン・ファンとは言えないし、また特に念の入ったアンチカラヤニストでもない(カラヤン嫌いが彼を罵る時の楽しそうな表情といったら!)。たまには清澄な吸い物でなく、こってりと酒・香料の効いたものがいいなと思って牛肉の煮込みを作るような気分でカラヤンのCDをかける。それだけの付き合いではあるが、漠然と「よくいえば官能の極み、悪く言えば俗受けを狙った、ど派手なスタイル」とくらいに思っていた。しかし少なくとも玄人つまりオケの奏者や歌手、そして後輩の指揮者たちからの評価はすこぶる高い。音に対して異常なほど感覚の鋭い人だったことがよく分かった。また、これまた良くも悪くも「表面」の輝きにこだわりつづけた指揮者というイメージに反して、音の背後にある世界を伝えるのが音楽の究極の目的だと何度も語っているのも印象的。なのにどうしてフルトヴェングラーとあれほどスタイルが異なっていったんだろうか。そうそうフルトヴェングラーといえば、この「法王」が後輩カラヤンに猛烈な嫉妬と対抗意識を燃やしたことは有名だが、この評伝ではその妨害工作が詳細に描かれる。高名なアーティストのポルトレや、マーラーをくったくたに疲弊させたウィーン楽壇(聴衆も含む)の陰謀・駆け引き・足の引っ張り合い、おおそうだ、帝王カラヤンベルリン・フィルの確執やレコード会社との際限のない愛憎劇といった、俗な面だけでも充分面白い読み物になっている。おりよく好天続き。カラヤン指揮のブルックナーを取り出して聴くことにしよう(ブルックナーには青天がよく似合う)。

 日曜日は兵庫県立美術館のクレー展『だれにも、ないしょ。』へ。初日なので大混雑かなと危惧していたが、(鑑賞するには)まずまずの混み方。それでも周囲の音が気になるので持参の耳栓をつめてゆっくりと見て回る。

 クレーはいちばん好き、というよりいちばん自分の気質というか精神の「かたち」にぴったりくる画家。100点余りの展示の多くは画家自身が愛していた(売らなかったものもある)作品とあって、充実した展覧会だった。ポスターにもなった『洋梨礼賛』とか『島』とかいった暖かみのある童画風のスタイルはクレーときけばまず浮かんでくるイメージだろうか(古賀春江はその一点にしぼってクレーを追いかけたわけだ)。ただこちらは、もっと緻密で冷たい色調のタブローを好む。いや、これも好むというよりはよく「分かる」。絵は理解するものに非ずと言われれば、スウィングできる(旋律は明るくリズムは軽快、とは限らない)と言い換えてもよい。今回の出品の中でいうなら『魔法劇場』とか『植物的で不可思議な』とか。

 だから『橋の傍らの三軒の家』のフォルムの変容が生みだす音楽性とか、『悲しみ』の背景をなすモザイクの輝くようなマティエール(『プルンのモザイク』は少しばかり技巧的すぎる)とか、クレーの光の側面を愉しめたほうがかえって意外なくらいだった。

 絶妙な線が生みだすユーモアもまた見どころのひとつ。『苦悶する三人(青、ばら色、黄を帯びて)』『束縛』『夢心地』など。だけど厄介なのは、このクレーのユーモアというやつ。なにかこう、人をして冷やりとさせるものがあるのですね。ブラックユーモアというのではない。もっと根源的な非人間性に触れて思わずことばを呑み込んでしまう、そういう感じ。喩えていうなら、カフカのオドラデクのかさかさいう笑いにちかいもの。

 バウハウスのための絵葉書『愉快な側面』とか、『鳥=島』とか、あるいはもっと分かりやすいのをあげたら『彼女は吠え、僕らは遊ぶ』とかの線はたしかにずっと目でたどって解きほぐしていきたくなるような、おもしろい絵だけれど、果たしてどうだろうか。線は解きほぐされてはならないのではあるまいか。

 もつれ、行きつ戻りつし、分岐する線がその文様によって隠蔽していたもの。文様が身をすくめたときに、あのおそろしい一群の鉛筆による素描が顕れる。『空の怪物』の寓意性はまだしも見るひとに安心感を与えるが、『ボールに乗る子ども』や『天使の岩』、そしてなかんづく『予言する鳥』! 線は顫えながらも外に伸びてはゆかず、絶望的に内閉する。背筋の凍る、という形容がぴったりくる。

 クレーが好んで描いた天使も同じようにおそろしい。遺作として残され、仮に『死の天使』と題された作品の左上、いかにもそれらしい髑髏の形をとって顕れた天使をいうのではない。そうした、いうならば黙示録的なおそろしさとはまさしく次元が異なるところで、たとえば『むしろ鳥』の天使はひとり目を閉じている。なんと非人間的な瞑目で、それはあることか。ひょっとすると、ひとはその表情を哀しみとさえ誤解することができるのかもしれないけれど。

 一滴の水を顕微鏡で覗き込んだとき、目の下の小宇宙では無数のミジンコがほとんど終わりも知らないようにぴくぴくと顫え旋回を続けている。あるいは触覚を触れ合わせてはまた互いの方向へ忙しく走り去る果てしない蟻の行列。クレーの天使が耳を傾けているのは彼らのことばであり、そして天使の歌とはじつは蟻の囁きとまったく同じものなのだ、画家はそのように語りかける(そういえば、『夜毎に石の橋の下で』の天使もまた石のような眼に「愛とは何か、分からない」と涙を流すのだった)。

 解説の日本語、なんだか独りよがりで何を伝えたいのかよく分からなかったのは残念。

 いい展覧会、そして県立美術館はいい美術館なのですが、周囲になんにも無くて困る。カフェで買ったばかりの図録を広げたり、酒のグラスを持ちながら友人(恋人でも)に印象を話したり、出来ないのは困る。いい絵があればそれでいい、というものではないと思うんだが。

最後に見たパリ

最後に見たパリ

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