遠くにありて思ふもの

 今年度初の年忘れ会は、拙宅に張龍はじめ気の置けない友人を招いた。さすがにこの時期だとまだ食べ飽きてないはずなので、料理は鍋。客をする以上、なるべく時間をかけてきっちり仕込みをしたかったのだが、あいにくこの週は仕事がつまっていたため、前日の晩になってから大車輪で支度しはじめる。

 帰宅直後、いつも買っているネットのショップから、比内地鶏二羽分の肉とガラ五羽分が届く。二羽分でも充分スープが引けるところを、奢ったのである(といっても一羽分三百円)。これを大鍋で炊いていく。ぐらぐらさせると博多水炊き風に白濁してしまうので、火加減にはつねに注意しておかないといけない。しかしメインである鍋の準備はこれくらい。肉野菜などの具材は当日切るしかない。というわけで、一品の用意にとりかかる。作ったのは、


◎突き出し(自家製イクラと長芋、柚子)
◎柿膾(柿・大根・人参を、擂り胡麻と三杯酢で和える)
穴子の山葵和え(白焼きした穴子を刻んで、三つ葉を色よく湯がいたの及び焼き海苔を混ぜ、山葵を入れた二杯酢で和える)
◎漬け物はしば漬け(茄子・胡瓜・茗荷・生姜)とぬか漬け(花丸胡瓜・小蕪)
◎黒豆枝豆(下ゆでを軽くして冷凍させておいたもの)

 ただし、和え物はむろん直前に和えないといけないし、枝豆も湯がきたてを出したいので、どれも中途まで仕込んで終了。

 翌朝になると、外に出しておいた鍋一面に鶏の脂が凝っている。丹念に掬ってもう一度炊いていく。脂は脂で置いておき、うどんや炒飯、炒め物などに使う。臭みがなくって簡単にコクが出る。これは調理人の役得というところ。

 三時過ぎになると、銘々酒やら珍味やらを手にしてだらだらと集まってくる。釘をさしていたせいか、皆思ったほど前日は遊ばさなかったようで、快調にビール・ワイン・日本酒が空いていった。お開きは十二時過ぎ。ひっきりなしに食べていたおかげで、誰も悪酔いせず。忘年会の皮切りとしては上々の出来とすべきか。

 翌朝、さすがに軽く二日酔いながら、当方この日より連休のため、意に介せずのんびり朝風呂に浸かり、朝酒をし(残ったスープの旨かったこと!)、溜めておいた本を読んではうつらうつら、目覚めたらまたちびちびやりながら読書の続き、という贅沢極まる時間を延々四日も過ごすことが出来た。

 いつもの鯨馬なら当然金沢に遊んでるところだが、北陸新幹線開通以降の騒ぎを敬遠して、一年は「封印」しておくことを自分に課しているため、こういうパターンとなったのである。


○バルベー・ドールヴィー『デ・トゥーシュの騎士』(中条省平訳、ちくま文庫
清水勲編『江戸戯画事典』(臨川書店)
○若山滋『建築家と小説家』(彰国社
佐々木閑『犀の角たち』(大蔵出版
福原義春『本よむ幸せ』(求龍堂
山本博文『続・日曜日の歴史学』(東京堂出版
石毛直道『世界の食べ物 食の文化地理』(講談社学術文庫
柴田元幸『生半可版英米文学演習』(研究社出版
パオロ・マッツァリーノ『ザ・世の中力 そのうち身になる読書案内』(春秋社)
宇野重規『西洋政治思想史』(有斐閣
○柳田富美子『ギリシャ人の真実』(講談社
ミシェル・トゥルニエ『海辺のフィアンセたち』(松田浩則訳、紀伊國屋書店
結城昌治『俳句は下手でかまわない』(朝日新聞社
○ドミニク・フォルシェー『年表で読む哲学・思想小事典』(菊地伸二訳、白水社
○ハリー・レヴィン『ルネッサンスにおける黄金時代の神話』(若林節子訳、ありえす)
○浅利誠『日本語と日本思想 本居宣長西田幾多郎・三上章・柄谷行人』(藤原書店)・・・時折論証が循環してるのでは?と思う所があり、また大見得をしたような表現が小骨のように障ることも少なくないが、刺戟的論考。和辻哲郎木村敏に対する評価はまさにその通り、と思う。
宇月原晴明安徳天皇漂海記』(中央公論新社)・・・後述。
○ウラジーミル・ソローキン『雪』『ブロの道』(河出書房新社)・・・「雪三部作」の一・二。この作者は初めて。オビには何やら騒々しい惹句が並んでいるけれど(ま、オビとはそんなもんか)、そこまで衝撃的なのかなあ。ワンアイデアで延々保たしてるようにしか思えない。途中で、これは実は古風な吸血鬼小説なのだ、と気付いた。そう思って読み進めると、繰り返されるあの場面(読んでないヒトごめんなされ)が、まるで上方落語を聞いてるかのようなユーモアを漂わせはじめる・・・というのはやっぱし作者に対して失礼な読み方か。たしかに三部作の結末をまだ読んでない以上、結局のところなんとも言えないわけだけど。でもなあ、どうせ伝奇小説をものするなら、宇月原氏の作に出てくるような秀抜なイメージ(琥珀に閉じ込められた安徳帝)をダイナミックに操ってほしいんだよな。

 休み最後の夜、ベッドにもぐりこんでなおも読み続けていると、窓外に激しい雨音がして、この時期には珍しい雷鳴が続く。北陸ではこの頃の雷を「雪起こし」といううつくしい名前で呼ぶ。ちょうどその時手にしていたのが、「極北」の詩人・吉田一穂の詩集(加藤郁乎編、岩波文庫)だったこともあって、しばらく北国空、それに日本海の暗さに思いをはせて放心していたのは我ながら未練たらしいことである。
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