Ritornare a Venezia(1)ドーハの惨劇

 年末年始働いたぶん、十日の連休をとって「ヴェネツィアrevisited」。時に感傷の湿気にひたされたとしても、かのウォーでさえブライヅヘッドを叙するに当たってそれを免れなかったのだから、大目に見ていただきたい。

 往きの便は夜十時半発。当日は朝から洗濯機を回し、浴室乾燥で湿気を抜いてからしばらく風に当てて取り込んでたたむ。これを二回転しながら掃除機をかけて冷蔵庫の半端物を処理し、もちろん荷造りもしなければならない。スーツケースに荷物をどうやって押し込むか、の逆で下着の着替えとサニタリー関係の品、あとは文庫くらいだからかえってスカスカで困る。だったら大きめのリュックに詰めればよいようなものだけど、空男から大家へのプレゼントに日本酒を持ってきてほしいと頼まれていたので、機内持ち込み以外の(従ってある程度以上丈夫な)カバンが必要だったのである。何度か詰め直したあげくバスタオルを二枚、丸めて入れるとぴったりになった。戻りの便ではこれにワインを包んで運ぶことにしよう。

 用事がすべて済んだのは夕方。ゆっくり風呂につかって家を出る。熱帯魚ども、一週間ふんばるのじゃぞ。

 市バス・ポートライナーを乗り継いでまずは神戸空港関空行きの高速船の時刻までなかの食堂でビールを呑んで過ごす。正月を過ぎているせいか、国内線のほうは人少なに見える。

 関空でも同じ印象。外国人、とりわけC国とK国の人が多い。日本はまだ「デフレ脱却」とはよう言わんのとちゃいますやろか。ま、それはそれとしてユーロ安がすすんでいるのは有り難い。手数料込みで一三〇円、夏の旅に比べると五円ほど違う。

 オンライン・チェックインを済ませていたので、荷物を預けるにも並ぶことなく、保安審査も出国審査もさくさくと済んだため、結構時間が余ってしまう。ゲート前の待合所で有朋堂の『上田秋成集』を読んで過ごす。初期の浮世草子から和文集まで収録されていて重宝する一冊。同じ双書の『大田南畝集』とともに旅先にたずさえることが多い。『諸道聴耳世間猿』、いわゆる気質物の形式に倣いながら、文章の切っ先の鋭さはやっぱり格別。保田與重郎が驚喜したのも当然である。などと考えているうちに搭乗開始。

 今回は往復ともカタール航空。中東系だけに、CAのねえちゃんがはっ。とするような美人ばかりでたいへんよろしい。飲み物にアルマニャックが頼めるのもよろしい。品下る人間だから端正なコニャックよりこちらの荒っぽさのほうをより好むのである。ちびちびやりながら秋成を読み、キツい名文はやはり応えるので、途中で村上春樹の『雑文集』(新潮文庫)に切り換える(これは空港内の本屋で買った)。こう続けると村上さんの文章が上手くないみたいだけど、もちろんそうではない。秋成とは違った(対蹠的とさえいえる)趣の、いい文章である。こちらが知らない小説家やジャズの音楽家の「世界の肌合い」を、ちっとも気取らない、やわらかい表現でじょうずに伝えているのに感心した。空男にくれてしまったので詳細は引用できませんが、いかにも小説家の書くエッセイ、つまりどこを切ってもぴゅっと魂の髄液が噴き出るという感じ。村上春樹ファン以外にもおすすめします。読み上げてふと窓外を見ると正面にオリオン座が浮かんでいた。

 ドーハ空港で乗り継ぎ。は仕方ないとして、五時間も待たされるのは苦痛という他ない。トイレで歯を磨き顔を洗い、靴下を履き替え、フードコートでコーヒーをすすってたところで、一時間にもならぬ。見て面白そうな店はさらになし。バーで呑もうにもさすがはイスラーム圏で、まともに呑めそうなのは「プルニエ」の出店くらい。ここでキャヴィアを肴にシャンパンを呑むというのは悪くない趣向ながら、全体に成金趣味があふれかえっていてのんびり美酒を傾けるという気分になれない。なにせ「ミリオネア・クラブ」なんて看板が堂々と出ておるのですからな。げんなりして待合室で腰を下ろすと、周りは百万長者ならぬ方々が一様にぐったりとへたりこんでいました。革命遠からず。

 ここで亀山郁夫の新訳『カラマーゾフの兄弟』を読み始める。初読は高校生のみぎり。まだ「世界文学の名作を残らず読まなきゃ」と非・文学的に力みかえっていた頃で(だいたい「残らず読む」という発想がそもそも文学のものではない)、お定まり大審問官の説話とイワンの人物像が印象に残っていたくらいだった。

 だから新訳の工夫や文体について比較することは出来ないけど、滑稽さや(たとえば親父)いかがわしさ(たとえば長老ゾシマ)が少しく表に引き上げれられた結果、ロシア人の底知れない魂の複雑さがいっそう立体的になったのではないか。帰国一日目の段階でまだ二冊目が終わったところなのでまだなんともいえないのだけど。下男(スメルジャコフじゃないほう)の造型が面白い。

 登場人物のあくなき饒舌に引き回されてるうちに搭乗時刻。ブランドショップよりさすがにド氏は偉大ですよ。次はぜひともカタール航空、少なくともドーハでのトランスは避けることにしようとぶつくさいってたものの、CAがひときわ美しかったのと最後の機内食(ここまではチキンソテーと中華風海老・烏賊入り朝粥)の香料を効かせた牛肉煮込みが旨かったので、すっかり機嫌を直した状態でマルコ・ポーロ空港に降り立つことが出来た。というわけで一回目はヴェネツィア入りまで。


【画像その1・ドーハの長者クマ】
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