恋は恋でも

 三連休初日は兵庫県立美術館の鉄斎展へ。行きはともあれ、帰り途は暴風雨をただなかを阪神岩屋駅までよろよろと。傘をさしていても全身ぐっしょり濡れつつも、豪快な降りかた吹きぶり、鉄斎に似つかわしくないこともないと考える。それくらいこの展覧を堪能して上機嫌だったのである。展示替えの後でまた見に行くつもりだから、詳しい感想は省略。天気のせいと、平日午前という時間帯、それに加えてひょっとすると展覧の主役もまだ世間には馴染がうすいせいか(なんともったいないこと)、会場はがらがらでゆっくり回れたのもよかった。知人が今回の会場設営をしていたのだが、各部屋の真ん中に設置された、見下ろす形のガラスケースの照明(下から上に照らす形になりますね、当然)が壁際のケースの表面に反射してじつに見にくい。ガラスのちょうど半分くらいの高さに、ライトセーバーみたいな光の帯が走って画面を断ち割る形となるので、西洋画とは違って軸や屏風など縦の長い画面を観賞するのにすこぶる具合が悪い。兵庫県立美術館は出来るだけはやくなんらかの手を打った方がいいと思いますよ。せっかくの企画が台無し、どころか鉄斎に対する評価を落としかねない大チョンボです。

 翌日は日本橋文楽劇場の公演記録鑑賞会。前回の轍を踏むまいと、早めに「道頓堀 今井」で天ぷらうどんと笹巻き鮨の昼飯を食い(酒も呑まずに!)、開場一時間前に入るとさすがにまだ誰も並んでいない。白水uブックス版の『方法叙説』を読みながら開場を待つ。三宅徳嘉・小池健男両氏の訳文、びっくりするくらいに分かりやすい。日本でも誰やらにさんざん誹謗されてすっかり悪役の印象が固まった感のあるデカルトだけど、過去の哲学者どころではない。気の遠くなるほど明晰に「方法」を追い詰める習慣は、そもそもこの風土に根付いたことがあったか。

 などと安手の比較文化論にふける間もなく時間が来る。本日は梅幸の玉手、時蔵の俊徳丸、芝雀(現雀右衛門)の浅香姫、羽左衛門の合邦という組合せの『摂州合邦辻』。元々が好きな狂言であり、梅幸一代の当たり役(のひとつ)でもある。後半は手に汗握りつつ画面を見つめ続けていた。玉手の恋が真情か計略かとはよく問題にされるが、前半は女=玉手の真情、父に刺されてからは前半とは別人であるところの(ここ大事)母=玉手の計略と見分けたらいいんではないか。邪恋であり悲恋であり、かつ母の慈愛であっていいのだ。梅幸さんもそのように演じていたように思ったのだが。あとは羽左衛門の克明な芝居も良かった。

 帰りはいつもの如く、日本橋からじぐざぐに大阪市中を北にのぼり、天満の立ち飲み屋でいっぱい、梅田で同僚と落ち合ってもう一酔い、終電で着いた三宮では一月ぶりに呑み友だちの張龍と遊ぶ。三月以来の鬱が少し晴れる。張龍はこちらが来るときいて、誕生日プレゼントの「油の要らないフライパン」セットを持ってきてくれた。これを使っての拙宅料理会もついでに約束させられる。

 四月後半は、鉄斎の続きと文楽公演『妹背山婦女庭訓』(の通し!)に加えての料理会で明け暮れることとなりそう。これは嬉しい忙しさというものである。


方法叙説 (白水Uブックス)

方法叙説 (白水Uブックス)

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