河内屋賛江

 文楽劇場の「公演記録鑑賞会」三回目。『玉藻前羲袂』という観たことのない演目で、今年の文楽でもかかっていたのを用事で見逃したため、歌舞伎の方で見物することになった。


 開演前は道具屋筋の「なんば天地書房」に立ち寄る。千日前にあった時よりずいぶん大きく、また綺麗になった。中国の文人の伝記などを買う。その後は吉例で、道頓堀「今井」へ。夜泣きうどんと笹巻き寿司で一本酒を呑む。


 この日は着物を着ていったのだが、ミナミに溢れかえっているC国人の団体が何も言わずに写真を撮りやがった。慮外者め。次出遭ったら手討ちにしてくれようぞ。


 題名どおり、金毛九尾の妖狐が大暴れする芝居である。玉藻前は歌右衞門。大成駒の当り芸としては、もちろん揚巻や八ツ橋といった系列もあるのだが、妖狐らしい陰にこもった口調で「この日の本を魔道に堕さん」とかなんとか言っているところを見ていて、歌右衞門はこうしたバケモノを演じるのが大好きだったんだろうと推察される。よく考えてみれば、これまた成駒屋の代表作である『道成寺』の花子にしたってお岩さまにしたってみなバケモノである。いや、玉手御前(れっきとした人間)だって、梅幸に比べたらよほどバケモノじみた妖しい焔をまとわせていたのではないか。


 とつらつら考えていたのは、結局芝居としては退屈だったからである。帝位乗っ取りの縦筋に妖怪の呪いが絡みつくという結構はスケールが大きいとしても、所詮は愚作という他ない。断っておくと、バケモノが出るから子供じみている、と言いたいのではない。一体、玉藻前は日本の妖怪変化の中では群を抜いて「大きい」ヤツであって、愛嬌のかけらもないところがたいへんによろしい。匹敵するのは八岐大蛇と崇徳院(妖怪扱いするのも何ですが・・・)くらいではないか。こちらは昔から贔屓で、古い活字本で苦労しながら『絵本玉藻譚』なる江戸の読み物を楽しんだこともある。


 当方の妖怪趣味なんぞはどうでもよろしいが、さすがに歌右衞門は玉藻前らしい風格を出していた。しかしそれ以外には薄雲皇子なる大悪人の吉右衛門の凄みが面白かったくらい。近代人らしい感性と合理主義で知られる松本白鸚陰陽頭役で狐退治に駆り出されているのを見るとなんだか気の毒に思えてきたほどである。


 いやいや、実はここまでも前置きで、この日の収穫は大切(おおぎり)の「那須野原殺生石の場」であった。これは景事、つまり筋立てらしい筋立てもなくひたすら華やかな舞踊で魅せる、という場だから本篇とは切り離して鑑賞できるのである。三十分にも充たない舞台を見られただけでも来た価値があった。


 何が良かったのか。河内屋、すなわち三代目實川延若が良かったのである。延若は夜鷹(狐の変化のひとつ)として出てきた。女方のイメージが無かったのでまずそれが新鮮だった上に、あの特徴的な、顎がしゃくれた般若面のような貌である。花魁では絶対無く、芸者でも女房でもない、まさしく最下級の娼婦の味わい。出てきただけで、濃艶かつ頽廃的な匂いが舞台一杯に広がる。

 踊りはしかし、風貌・身体のこってりした味わいとは裏腹にすっきりした振りで、粋といってもいいくらい。殊によろしいのは後ろ姿で、首筋から背中にかけての線がまことにうつくしい。この場のためだけに、しかも上方から加わったのは延若だけである。これは歌右衞門が、この役は河内屋でないとダメ!と思って呼んだ、のに違いない(と思う)。どれくらい映像が残っているか知らないが、この人の油屋仲居万野とか土手のお六とか加賀見山の岩藤とか、見てみたいなあ。というか、舞台で見てみたかったなあ。


 あまり恵まれない役者だったと聞くが、こうして没後のファンというのも誕生することはあるのですよ、泉下の河内屋さん。


 と芝居には大満足して帰ってきたのですが、ここの劇場の運営の仕方には(公演記録鑑賞会だけでなく、文楽の本興行も同じ)非常に不満がある。行くたびに不愉快になる劇場というのも、当今珍重すべきものがありますね。「役人気質」の無形文化財として保存申請を出せばいい。
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