晩年の北斎

 あべのハルカス北斎展、噂どおりの大混雑。「チケット購入にたいへん時間がかかる」とHPで警告していたので、事前に購入して行ったけれど、会場に着いてみると「整理券をお配りしています」という状態。結局整理券に指定された入場時間まで一時間半、待たねばならない。この日、朝から動き回って疲れていたのでともかく腰を下ろしたい。

 というわけで、地下街の一杯呑み屋で呑んで待つ。昼に行った大和文華館「柳沢淇園―文雅の士・新奇の画家―」の中々よく出来ている図録を眺めながら冷や酒を呑む。こむずかしそうな本を広げて菊姫山廃純米をぐいぐいあおっている中年ひとり、という絵柄はドスがきいて見えたかもしれませんが、なに、このオッサンの口元を仔細に見てみれば、店内に大音量で流れていた『ヘビーローテーション』を口ずさんでいたのが見えたことでありましょう。

 さて北斎は、すこぶる佳し。夕方のデパ地下並みの混雑の中で見物した人嫌いの人間が言うのであるから、信用して頂きたい。もっともこちらがもっぱら期待していた晩年の肉筆画の一角はさほど混み合ってもいなかったけど。「河骨に鵜」図の、鵜の不逞な表情。「三伏の月の穢になくあら鵜かな」(飯田蛇笏)なんて俳句を想起してみたり。「流水に鴨」図の不可思議な奥行き、というのは画面構成をいうのではなく、「あ、前世でこういう空間にいた気がする」という感覚が呼び覚まされる。「李白観瀑」図の、おかしな形容だが、耳を聾するような圧倒的なしづけさ。「雪中虎」図の、ニルヴァーナ的悦楽等々。一体に、彼岸的な雰囲気が濃厚で(仏教色というわけではない)、そこに新鮮な衝撃を受けた。会期末まであと少し。鯨馬が行った時よりさらに人手は増えているだろう。それでも行く価値のある展覧会だと思います。待ってる時間は、あべチカの呑み屋で菊姫を呑んでいればいいわけだし。

 苦手な絵描きを見直す機会を与えてもらって、たいへん嬉しい。しかしそれはそれとして、杜鵑と狸和尚の画幅を見ると、なんだか蕪村と比較して考えたくなった。

 今、関西ではなぜだか文人画系統の展覧会がやたらに多い。前述の淇園展しかり。鉄斎美術館はまあ《常打ち》としても、逸翁美術館の蕪村展、頴川美術館の南画展(大雅や崋山など)、神戸市博物館では「風流天子」徽宗の絵が見られる(徽宗文人画ではなく院体画とすべきだが)。てわけで、鉄斎の後期展示と逸翁、神戸市博物館を観てから感想まとめます。

○コーネリス・ドヴァール『パースの哲学について本当のことを知りたい人のために』(大沢秀介訳、勁草書房)・・・「本当のこと」もなにも、パースさんには一面識も無いの。記号論が面白い。勉強する必要アリ。
マルクス・シドニウス・ファルクス『ローマ貴族9つの習慣』(ジェリー・トナー解説(という体の、トナーさんの本)、北綾子訳、太田出版
○髙谷好一『世界単位日本 列島の文明生態史』(京都大学学術出版会学術選書)
○田中さをり著者代表『哲学者に会いにゆこう 1・2』(ナカニシヤ出版)
富岡多恵子安藤礼二折口信夫の青春』(ぷねうま舎)
アラン・コルバン編『男らしさの歴史Ⅱ 男らしさの勝利―19世紀』(小倉孝誠訳、藤原書店)・・・抑圧されっぱなしの女もタイヘンだが、男もつらいよ。
矢吹申彦『おとこ料理読本』(平凡社
川村伸秀斎藤昌三 書痴の肖像』(晶文社
○遠山隆淑『妥協の政治学 イギリス議会政治の思想空間』(「選書「風のビブリオ」」、風行社)・・・使えるせりふが沢山ありますよ。たとえば「高貴な感情と合理的な思慮とつまらない虚栄心と卑しむべき愚かさの、共約できない状態での並存」。共約することを目指さず、ただその並存状態の維持をめざす。結論は、むしろ出してはいけないのである。また「政治とは地味な問題を処理する業務(buisiness)である」。退屈さと俗悪さに耐えるしかないのである。
○『老のくりごと 八十以後国文学談儀』・・・島津忠夫著作集別巻4。瑞々しい思考が躍如としている。学者のうつくしい晩年。
木俣元一・小池寿子『中世Ⅲ ロマネスクとゴシックの宇宙』(西洋美術の歴史、中央公論新社)・・・このシリーズ読み上げたと思ったけど、まだ残ってた。
○橋爪伸也『大大阪の時代を歩く 大正~戦前の大阪はこんなにすごかった!』(歴史新書、洋泉社
○大森貴秀, 原田隆史, 坂上貴之『ゲームの面白さとは何だろうか』(慶応義塾大学三田哲学会叢書)

 まだディケンズに取りかかれていない。

 

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