吉田秀和追悼

 深い教養、構え=パースペクティヴの大きさ、そして誰もが言う柔軟でありながらも陰翳に富んだ文体。それはいうまでもない。

 だがそうした美質を越えて、こちらにとっては何人かの(ほとんどは既にこの世にない)表現者がそうであったように、何よりも一つの持続する〝声 ″だった。。

 多くの読者と同じように(と推測するのだが)、だから、「音楽」は隠喩で(も)あった。でなければ、楽器一つ鳴らすことのできない人間が、気が遠くなるほど頻繁に引用される楽譜に悩まされながらも、どうして浩瀚な著作集の全て―文字通りに全て、である―を読みあげることができただろう。

 初期の文章では、『モオツアルト』の書き手に対する複雑な思いが、時には隠微なあるいは明確な現れ方で《あや》をなしているのは歴然としている。しかしこれは、自身熱狂的な音楽好きだった篠田一士がつとに指摘していること。

 虚心な読者にとっては、《物》への帰依を颯爽と―繰り返し―宣言していた『モオツアルト』の批評家の文章にはほとんど感受することの叶わなかった《物》の感触を、同じくモーツァルトのピアノ協奏曲や相撲の見所やクレーの線に秘められたドラマを批評した―描いたとも、論じたともいうのでは不似合いで、熟さぬことば遣いながらここはやはり「批評した」という他ない―それぞれのpieceのそこここに確かめられるのは、明白な事実だったはずだ。先に「音楽」は一つの隠喩といったが、もうそれを「文学」とはっきり名指してよいのかもしれない。

 と書いてみれば、そう言い切るのにもためらいを覚えてしまう。というのも、何度も訪れて逍遙したはずのことばの森にまた足を踏み入れてみると、ことばそのものののびやかさ、つまりは優雅さと、(あえて分離させるとすれば)それが描き出す書き手の精神の運動(あるいは紋章、または紋様)と、それに(幸いにも)こちらがある程度は体感している批評対象がもたらす印象とが、どれが通奏低音ともどれが中間旋律とも、どれが《歌》ともつかず響き合いつつ流れていく、あるいはこちらの精神が流されていく時の感興は、やはり「音楽」と名付けるほかないものだから。その「音楽」が聴きたくて、どれほど頁を翻したことか。

 若年の批評家が足繁く訪れていた、『海の聖母』の詩人・吉田一穂の部屋を叙述した件は殊に忘れがたい。何も置かれていないその部屋に批評家は、空虚さに清潔と、そして同時に豊かさを見て取って、讃嘆の声を上げる。

 それとおなじ頌を、逆説的な言い方ながら、哀歌のかわりとしてここで捧げたい。ステラ・マリス。凛然と、しかもけして派手にも豪華にも傾かない光を放ちながら、航海者をつねに導き、見守ってきた星。

 星は墜ちたかもしれないが、膨大な著作のどこでもいいから開いて耳を澄ませば、その〝声 ″はまた響き始める、と思って慰めることとしよう。「音楽」はまことに不滅である。

※ランキングに参加しています。下記バナーのクリックをお願いします!
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村