悪行愚行の大皿―『ローマ諷刺詩集』〜双魚書房通信(10)〜

 ボードレールは検閲があったからいい詩を書けたのだ、と言ったのはボルヘスである。苦い真実である。

 ボードレールがヨーロッパ近代詩の、いわば教祖であることに違いはないが、しかしその偉大さはどこまでも《近代》的なものである。つまり近代的ビューロクラシーによる検閲制度もそれと表裏をなす言論の自由の概念も、ともに知らなかった時代には、ボードレールとはやはり明確に区別される闊達な表現が存在していた。

 本書はネロ帝の同時代人であったペルシウスの『諷刺詩』(六歌からなる)と、トラヤヌスハドリアヌス帝時代に活躍したユウェナーリスの『諷刺詩』(一六歌からなる)のの、いずれも本邦初訳である(だと思うが)。

 帝政ローマの詩か・・・・と敬遠するのはもったいない。優雅や荘重は鉦太鼓で探してもみつかりっこないが、その代わりに、たとえばユウェナーリスの中には、現代で言えばさしづめ『週刊実話』や『噂の真相』、いやいっそ2ちゃんねるにでも出て来そうな猛烈な表現にことかかない。


  なるほど彼らの毛で覆われた手足や、腕全体に生えている剛毛は、厳しい意志を約束している。しかし、あなたのすべすべした尻の大きくふくれた痔核を、にやにやしながら医者は切開手術する。(これは男色者への諷刺)

 それにしても、彼女らが化粧品を次々と取り変え、あくどく塗りたて、温湿布をし、温かく湿った生練り粉の団子をくっつけたとき、それは顔と言うべきか、それとも潰瘍と言うべきか。(訳者はこの章に「ローマの女たち」と表題をつけた)

  我々は弁論の価値を本当に信じているのだろうか。今日では我々は誰一人としてキケローに二百セーステルティウスもの報酬は支払わないであろう、もし彼が巨大な指輪でぴかぴかと指を光らせていない限りは。

  しかし五体のどんな衰弱よりも悪いのが痴呆である。そのために、奴隷の名を忘れ、前の晩、一緒に夕食を食べた友人の顔の見分けもつかず、自分が生み育てた子供も分からなくなる、じじつ、冷酷無情な遺言書を作り、自分の息子を相続人とするのを拒否する。全財産は情婦ピアレーにそっくり遺贈される。これほどに彼女の口は、技に長け、吸う力がすごいのである。というのも彼女は長いあいだ淫売窟の小部屋で身体を売っていたからである。


 ね、すごいでしょう。時には個々の対象を越えて、人間性そのものの批評に達したという趣きの表現もでてくる。


   じっさい復讐は、常に卑小な貧弱な魂が喜ぶものである。


 これはこう続く。


  それゆえ、ただちにこう結論するがいい。「女ほど復讐を喜ぶものはいない」と。(引用者注=とユウェナーリスが言っているのです!)

   女が女性固有の支配欲に駆られて犯す罪はいっそう重大で、淫蕩から犯す罪は軽少である。(引用者注=あくまでユウェナーリスの意見です!)

   運命の女神よ、もし我々に叡智がそなわっていたら、そなたは神としての威光を何も発揮できないだろう。そなたを神としているのは、我々人間なのだ。

 ペルシウスの厭世ぶりも相当なものである。

    我々は矢を放つ、今度は代わって、我々のほうが足を矢にさらす。このようにお互いに非を咎め、咎められつつ、我々は生きている。これが人生だと思っている。


 真の自由に関する限り、体を一回転させたら、自由になるといった考え方はまったく不毛である。

 この難解な詩人は、訳者によれば「ペトラルカ、ラブレーモンテーニュなどに引用され、英国でもジョン・ダン、ドライデンに示唆を与え、ドイツではカントが愛読し、ゲーテは「謎めいた箴言の中に非常に激しい憤りを包み隠し、絶望を暗いヘクサメトロスで表現した」と言っている」。

 え、カント?あの謹厳な哲学者の人間観が(というより人間観に関する謎が)垣間見えるような気がする。ゲーテに関しては、さもありなん。さすがに『ファウスト』でアウエルバッハの酒場とワルプルギスの夜が書けた作家だなあ、という気がする。つまりはそれほど、この二人の詩人が描き出す世界は猥雑で陋劣で・・・・しかもどことなくなつかしい。

 そうなのだ、プライヴァシーもポリティカル・コレクトネスも知らない時代の表現の、なんと野卑にして生き生きしていることか。諷刺の目的が、表現による風俗・道徳の批判と矯正にあるとするならば、いくつかの箇所では、それをはるかに越えて、いわば《絶対的哄笑》の域に届いている、そういう印象を受けた。

 だから、ここに描かれた唯物主義・拝金主義が隅々まで毒したローマ社会に、二一世紀のどこやらの国を重ねてみるのは、少なくともそれだけにとどまるのでは、つまらない読み方になってしまう。詩人が正確に宣言したとおり、「人間のやってきたことの一切合切、誓約、恐怖、憤怒、欲望、歓喜、どたばたと右往左往、これが私の本のごた混ぜである」。

 グローバリゼーションに対してごまめの歯ぎしりめいた呪詛の歌を歌うのも悪くないが、たまにはもっと気宇壮大に、二千年ぶんの人類の悪行愚行を笑いたおしてやろうではありませんか。(岩波文庫。訳者國原吉之助)

ローマ諷刺詩集 (岩波文庫)

ローマ諷刺詩集 (岩波文庫)


※ランキングに参加しています。下記バナーのクリックをお願いします!
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村