贔屓の引き倒し

 高遠弘美『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』(講談社)を読んだ。著者はロミの翻訳などで知られる仏文学者。今はプルーストの個人全訳にも取り組んでいる人。

 書きにくいことだが、書く。

 とても文学者の著述とは思えない本だった。ことばが上滑りしている。

 あえて住大夫師の藝について語った部分でないところから例をあげると、たとえば住大夫との類比を言うのに、指揮者ギュンター・ヴァントを持ち出してくる。その話のとば口として石川淳中村真一郎の対談が出て来るのだが、そこで筆者は「現代日本を代表する二人の知的巨人」と形容するのである。

 分かる人には分かってもらえると思う。これはジャーナリストの惹句である。一事が万事。

 住大夫師が「文楽の歴史上、不世出の〈名人〉」(これは表紙裏のある文句)であるのは、こちらにも分かる。しかしこの調子ではあまりに気の毒というもの。

 何かを褒めるというのも難しいものであると痛感したことであった。

 その後で書くのは尚更難しいのだが、中井久夫『「昭和」を送る』(みすず書房)はいい本だった。いつもどおり行文は端正で明晰を極めていながらも、省察がみずみずしい観察につねに裏付けられているのに感嘆する。たとえば「医学生の私は左眼と右眼とで微かに色が違うことを意識していた」という経験から「言語による貧困化とカテゴリー化を必然とした」のではないか、と人類の認知構造について示唆するようなところ。

 白眉はやはり一冊の題名にもなった、昭和天皇精神分析(?)を叙述した一篇だろうか。しかし今言ったごとく、細部の観察と挿話が引用しだしたらきりがないほどじつに興味深い。一読をおすすめする。

 中井先生には今や、ルネサンス期に流行したという表徴術(ジグナトロギー)を極めた自然哲学者の相貌さえうかがえる。

 ちょうどアマゾンで見つけた『若きパルク/魅惑』(中井久夫訳、みすず書房)の改訂版もとどいたことである。訳者の提案にしたがって、「多少早口で、あまり抑揚をつけずに、即物的に」音読して愉しもうと思っている。

 それにしても本の引く縁とは不思議なものですな。これも古本屋で、『肥田せんせいのなにわ学展』の図録を見つけて買った同じ日に、以前書いた「日本書誌学大系」全冊通読という莫迦な思い立ちに協力してくれている後輩が図書館で借りだして届けてきたのが肥田晧三先生の『上方學藝史叢攷』であった。

 あ、あと前に紹介した工藤庸子『近代ヨーロッパ宗教文化論』、面白かったですよ!以前ウージェーヌ・シューの『さまよえるユダヤ人』を読んだとき、イエズス会を中核とする巨大な悪の組織が出てきて、えらく古風な趣向だな、と思ったことがあった。それもこの本で疑問解消。古風なのではなく、まさに十九世紀フランスという社会でこそウケた道具立てなのであった。さすがは大衆小説の王様であります。

 もっともこの本の読み所はやっぱり『ボヴァリー夫人』再読の章なのだろうけれど。ここも細かく紹介したいが、なにせひどい二日酔いでどうも辛気くさい。

 昨日は鯉川筋の『伏見』という鮨屋で呑んでました。アテに出す肴がどれも丁寧に作られている(心持ち味は濃いめ)のが気分良かったので、したたか酔ったのであります。

 ま、そのあと四軒回ったせいもあるけれど。
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