連環記

塩見鮮一郎『四谷怪談地誌』(河出書房新社)・・・四谷怪談って、つまりは都市伝説なんだな。というより、怪談は都市でないと成立しないものなのだ。こんなこと、とっくに誰かが言ってるかもしれないが。
◎大本泉『作家のごちそう帖 悪食・鯨飲・甘食・粗食』(平凡社新書)・・・類書は山ほどある。従ってこういう本の出来は筆者の文章力でほとんどすべて決まるといってよい。これ以上の論評はしない。(それにしても、「甘食」なんてコトバあるのか?)
◎H.L.A.ハート『法の概念』(ちくま学芸文庫)・・・法の起源(むろん、歴史的ではなく哲学的な意味での起源ね)をめぐる議論。法思想・法哲学関連の論文って、文学畑の人間には興味深い。強制力があるかどうかの別はあるとしても、フィクションの成り立つ構造について示唆してくれるところが大きいのである。
◎小川国夫『イシュア記 新約聖書物語』(ぷねうま舎)・・・『ヨレハ記』の続編。現代、というか現代日本語において超越的なるものをどう表現するか。
今野真二『戦国の日本語』(河出書房新社)・・・どっかの新聞で書評出てましたね。一般読者に向けた本だけど、大見得を切ったりせず、具体的な諸相をていねいに紹介してるところが好もしい。
渡辺保『身体は幻』(幻戯書房)・・・舞踊論なのだが、なんといっても超一流の見物だけあって、節々のコメントにドスがきいていてどきっとさせられる。たとえば、坂田藤十郎を評して曰く「最近のこの人はなにをやってるのかわからない」。ちなみに言うと、これはけなしてるのではないのである。
◎アルフレート・クビーン『裏面 ある幻想的な物語』(白水uブックス)・・・陰鬱な画風の幻想画家の手になる破滅モノ。小学生の時から「この世の終わり」が大好きなこちらとしては、それだけで点が甘くなる…のだが、描写がたるくて疲れる。
◎エリカ・ラングミュア『「子供」の図像学』(東洋書林)・・・表象と本質とを混同している、と筆者は先行研究を批判するのだが、夫子の論法自体がナイーヴに過ぎる。まえに紹介した吉田寛や吉田孝夫がいかに悪戦苦闘しながら研究史と向き合ってるか、分かる。
◎脇田修『近世大坂の町と人』(吉川弘文館)・・・農山漁村文化協会の『人づくり風土記』と似た雰囲気の本。歴史家が書いただけあって、さらっとふれられる細部が興味深いのだが。
村田京子ロマン主義文学と絵画 19世紀フランス「文学的画家」たちの挑戦』(新評論)・・・同じ視覚型でも、バルザックが内面の表れとしての外形を重視したのに対し、ゴーティエが徹底して表面だけにこだわっていた、という指摘が興味深い。
安藤礼二折口信夫』(講談社)・・・今回の白眉。安藤さんの一連の折口論考もこれでひとまず大成されたというところか。先行論文での目配りもすごいが、折口がエリアーデマラルメとごく自然に並んでしまうところ、目からうろこがぽろぽろぽろぽろ落ちてくる。
山崎正和『厭書家の本棚』(潮出版社)・・・書評集。御大みずから良い書評の絶対条件とする「正確な要約」が、理想的に実現されている。
嵐山光三郎『僕の交遊録的読書術』(新講社)・・・これも書評集なのですが、つまるところは、嵐山的『奇縁まんだら』。だからというわけでもないけど、瀬戸内寂聴の章が抜群に面白い。


嵐山光三郎『悪党芭蕉』(新潮社)は、新刊ではないが、『厭書家の本棚』に教えられた。いやー嵐山さん、よく勉強してるなあ。

 その嵐山さんの書評から見つけたのが、南伸坊の『本人伝説』。ページをめくるたびに悶絶して、腹筋が痛くなった。

 南伸坊といえば、みなさま『仙人の壺』『李白の月』なる傑作はご存じでしょうか。どちらも、古代中国の奇譚(志怪という)をマンガにしたもの。南さんの絵があきれるくらいに巧い。それに文章のほうも絶品。

 という具合に一冊の本はどんどん新しい世界を劈いていく。

 昨日、『いたぎ家』で滋賀酒イベントの打ち合わせをした(追い回しとして参加するのである)。これを機縁にあらたな「連環」が生まれたらいいな、と思う。

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