Ritornare a Venezia(3)水は石を愛撫する

 朝まで酒→そのまま仕事、という日程も少なくないせいか朝はきっちり目覚める(トシのせいだ、という説もある)。テレビをぼんやり眺めながら、パン・生ハム・チーズ・オレンジジュース・炭酸水という朝食をとったのが六時半くらい。これはホテルお仕着せのメニューにあらず。昨日散歩中に立ち寄ったスーパー(コープだった)で買ったもの。生ハムだけでなく、パンも従量制で値段が付くところが面白い。

 外に出るのはまだ早いかとベッドに寝そべって『ビヒモス』の続きを読む。カトリック勧進元みたいな国のホテルで、「闇の王国」を嫌忌した強烈な反教権主義者の本で朝を過ごすというのも愉快ではありませんか。もっともヴェネツィア教皇庁とは虚々実々の、いわば実利に徹した駆け引きで渡り合い続けた国家だったわけだけど。

 七時を過ぎる頃、にわかに物音が高まる。どこかの階でシャワーを使い始めたのかと思っていたが、ふと窓を開けてみるとヴェネツィアの人々がてんでにしゃべりながら職場に向かう姿が見えた。吉行淳之介が『ヴェネツィア 光と影』で描いていた通りの情景である。「厚いカーテンをとおして、潮騒のような音が絶えずひびいてくる。ようやくベッドを離れ、窓から覗いてみると、連れ立って歩いてゆく観光客たちの話声なのだ」。

 ゆっくりと風呂を使ったあと、オレンジジュースを飲んでガイドブックを開いてみる。もちろん幾つか行きたい場所・見たい絵というのはあるわけだが、四泊するのにそうせいても仕方ないだろうと思い直して本をカバンにしまった。

 空男氏との待ち合わせは午前十一時、ホテルの前ということになっている。アックァ・アルタ(高潮)がちょうどその頃に来るらしいという情報は教えられていたが、あがいたところで所詮海相手にはどうしようもないと半ばは観念し、むしろ名物のようになっているこの現象に対して世界一の観光の街がなにも対処しないはずはないだろうとも勝手に思い定めてロビーを出た。

 道の真ん中に仮設の歩道(縁日の涼み台を並べたようなもの)がある。荷台を押すオッサンアンチャンは長靴をはき、観光客の中には靴の上からビニールで出来た簡易のブーツのようなものをつけている者もいる。それでも肝腎の石畳は所々で浅い水たまりがあるくらいなのに、といぶかしみながら橋のたもとまでいくと、たかだか十数メートルのはばのうちに水は完全に「道」の境界を侵して広がっていた。川べりのレストランでは、椅子の脚の半ば以上が水に浸っている。

 まあ、無責任極まる観光客としてはこういう光景の興味深くないはずはないので、浸水のために大きく迂回せざるを得ない、従って待ち合わせの時刻には間に合わないという空男氏からの連絡もかえって好都合。橋上から、ひたひたと水の打ち寄せるカナル・グランデ両岸を眺める。船着き場でけたたましい音がしたと思ったら、川沿いの広場に設置されたゴミ箱の内容物を盛大に船にぶちまけている。また、少し間の抜けたサイレンがする方を見ると、車椅子に乗せられ防護服のようなものでくるまれた人をボートに運び込んで出発するところだった。ここでは救急車の役目も船がつとめるのだ。

 昼食は立ち食いの店で、揚げパンのようなものと白のグラスワイン。モッツァレラとアンチョビが中に入っている。特段旨いものでもないけれど、熱くてしょっぱくて腹を満たすにはちょうど良い。時分どきとあって店内、鯡がいっぱいに突き立った底曳き網のように混雑していたが不思議と殺気だった雰囲気はない。酒を呑んでる人が半分ほどいるためだろう。この文化、どの国でも流行らせたほうがよい。

 フラーリ教会は外見こそ紛う方無きゴシック様式の相貌ながら、中はティツィアーノの『聖母被昇天』など、雄渾華麗というよりはむしろ異教的な色彩の氾濫で、この商都の人々は信仰さえこのような色と形に還元してしまわねば得心できなかったのか、と感心してしまう。これは翌日のアカデミア美術館で改めて納得することになる。

 
 じつはこの日、浸水を避けてぐるぐる遠回りしているうちにえらく時間を喰ってしまい(ヴェネツィア旅の真骨頂であります)、着いた時にはもう閉館してしまっていたのである(月曜は十四時まで)。

 美術館のすぐ近くにカ・フォスカリ(ヴェネツィア大学本部)がある。あたりには本屋・ギャルリーが多くていかにもそれらしい。といっても「学生街」といった雑駁な空気とは対照的なものなので、戦前の京大の周辺はこういう感じだったのではないかと想像される。

 とまれ閉館ではどうしようもない。サンマルコ広場まで戻って、ドゥカーレ宮殿を見物することとした。案内人はまだ入ったことがない由。見物人も少なかろうし、これもちょうどよい機会だろう。

 「名物にはそこそこのものあり」というくらいの期待で入ったのですが、いやあ面白かったですな、ココ。夏の旅行前、塩野七生さんの本を読んで共和国の緻密老獪な警察政治の実態を知っていたから、総督謁見の間だとか元老院の間だとか十人委員会の間だとかの豪奢にして陰鬱な作りに感心することしきり。美的というより歴史的感慨、いや史実の重みに「詩」が光るとうべきか。ここで対ジェノヴァや対トルコの作戦を練っていた、あるいは共和国への反逆罪で名士の誰それを糾問していたかと思うと、ぞくぞくしてくる。むろん、ヴェロネーゼやティントレットたちの大作は相変わらずあちこちに掛け渡されているのですが、絵の細部を鑑賞という気分にはなりません。建築が精神史の生きた証人となる醍醐味を胸一杯に吸い込むにしくはなし。

 冷酷にして花やか、というかこれはえげつないわ〜と、感嘆久しうした仕掛けは最後にあって(書いてるうちにまたコーフンしてきた)、共和国議員全員が集まる「大評議の間」の端っこに、牢獄に通じる天井低く細い通路があるのです。広間(下手な体育館よりデカい)の正面には世界最大の油絵とかいうティントレットの『天国』が華麗きわまる至福絵巻を繰り広げてる、そのすぐ側を、つい昨日では共和国の英雄として仰ぎ見られ、今日は一転弾劾された貴族が、傲然と顔をふりあげつつも(悄然とうだれても、でもいい)、刑
吏にこづかれこづかれして、地獄に堕とされるのである。歌舞伎の舞台でもこれほど効果的な演出はちょっとないんではなかろうか。

 地獄と形容したのは大袈裟ではなく、この牢獄がまた凄絶そのもの。たとえば江戸の小伝馬町の大牢がいかにも江戸的に形式美を備え、そして日本的に線の細い趣だったのに比べると(入ったことはありませんが)、むきつけに威圧的で陰惨なのである。

 季節にもよるのでしょうが、湿気の多いヴェネツィアの冬、厚い石壁からじくじくと伝わる冷気(実際に床は足をすべらすほどに濡れている)と高緯度ならではの暗さ、よほど頑健な囚人でもすぐ病気になってしまいそう、少なくとも精神は参ってしまいそうな作り。RPG及びファンタジー好きはいちど行っておいたほうがよろしいかと存じます。

 この空気を知って、例の「ため息橋」の由来を思い返すとなるほどため息のひとつも出ようか、と納得できるのである。

 見学路の最後、まるで口直しのように用意されてあるのが、囚人の落書きを集めた部屋。女陰に男根、古今東西発想は同じ(性交場面は無くて、そのものズバリの線描ばかり)。中には明らかに汽船と分かる絵もあって、つまりそれくらい近い時代の絵ということになるが、逆に言えばその時代までこの牢獄が現役だったということでもある。そこに驚かされる。網走監獄のようなものか。

 宮殿を出ると気分はすっかり満腹、予定していたもう一つの美術館はやめにして、晩飯晩飯。

 場所も名前もすっかり記憶から抜け落ちてしまいましたが、昨日とは打って変わって今風の洒落た、とはいえ小体で気取らない構えの店。

 前菜には蛸のサラダ。やっぱりヨーロッパでは蛸は舌ですりつぶせるほど柔らかく料るものなのですな。ただしこれはジャコウダコではなく、普通の大きさの蛸のほう。けっして不味いものではなかったが、次のプリーモがあまりに素晴らしかったのでこれ以上の印象は残っていない。

 何かというと、海の幸のリゾット。そこらの居酒屋でも「海鮮雑炊」くらい出しますがなとは、なおほせたまひそ。こういう一見手の込んでいない料理こそ、プロの手際が光るものなのである。

 思い出せるだけで、ムール貝浅蜊・帆立・アンコウ・鱈・小海老・車海老・蟹、これらが渾然となったダシ(でもけして味が濁らず、むしろ清澄なほど)を吸ったコメの超絶的旨さは予想も出来ないくらいで、ほとんど息も継がずに一気に食べきったことだった。

 思い返して涙が出そうになる。

 一度の食事に、本当に旨いものがひとつあれば満足。主菜のフリット・ミスト(魚介の揚げ物盛り合わせ)はも一つというわけではないものの、リゾットの味でどうしてもかすんでしまう。それにここでは店の造作に合わせて、品良く大ぶりにしたものを綺麗に盛っていたので、ヴェネツィアおのぼりさんが求めるフリット・ミストのイメージからずれてしまうのである。中身は小ぶりのアンコウの皮をむいたもの・鯛の上身・車海老・カジキ。空男氏が注文したのは鱸のロースト。夏のくだりでも書いたが鱸は日本のほうが上。カジキはそもそも食指が動かず。この場は丸っぽの鱸を目の前で手さばきよくほぐしてくれた演出のほうを馳走とする。ワインもよい間で注いでくれていました。

 ドルチェなんぞを注文してしまうのも旅の空ならではのはしゃぎっぷり。ティラミスはイタリアのどの都市も「ウチが発祥」と競っているらしい。へんに凝ったものよりは日本でも買えるもので味を比べるほうが興味深いかと注文。空男氏はウィーン風リンゴのタルト(ここらへんやっぱりハプスブルク支配下ちゅう感じですな)。

 こちらに恨みでもあるのかと思うほど、皿にてんこもりになってサーヴされ、掘っても掘ってもクリーム、でありました。

 グラッパをいっぱいぐっと乾して店を出る。途中明日のアックァ・アルタの予報サイレンが響いていた。

 本日の二軒目はリアルト広場の飲み屋。食事の際はずっと白を呑んでいるので、飲み屋では赤、それもやはりヴェネト銘醸のヴァルポリチェッラをもっぱら飲む。明日も明後日もヴェネツィアにいるというのが信じられない気分。

 


【画像その4・愛撫しております】
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【画像その5・鴎さんにも再会】
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