Ritornare a Venezia(5)硝子の中年

 三度目の正直でようやくアカデミア美術館を見物できた。入場はたぶん一番のり。のんびりと見て回る。

 ビザンチン様式の絵を集めた部屋からスタートしているのはこの街の歴史的由来をそのままに反映している。しかしやはり、冷たく輝くマティエールと厳しく引き締まった精神性はヴェネツィアには似つかわしくない。フラーリ教会に見たような、異教的色彩の祝宴が目の前に広がりだすと「これこれ」とつくづく感じるのである。

 もっとも、色彩感覚こそ異教的とはいうものの、絵画の主題はむしろ世俗のものが少なく、キリスト教を扱うものが圧倒的に多い。聖マルコは街のシンボルともいえるからこれは当然としても、聖母と幼子イエスをはじめとして、ともかくマリアの図像がやたらと多い印象を受けた。ヴェネツィア派の全盛は対抗宗教改革の時代でもある。信仰を喧伝する絵が求められたのは分かるが、北方の国ではここまで聖母信仰の証があからさまに見て取れるかどうか。

 この、そこここに溢れるマリアの相貌が聖母らしくもなくへんに人間的、というよりはいっそ生々しいといっていいくらい。これこそヴェネツィアの面目躍如というところ。うろおぼえで書きつけるのだが、十字架降架を描いたティントレットの一枚における、死相といってもいいほどの絶望の表情。ベッリーニの、これも題名は忘れた聖母子像にしても聖性よりはひどく肉感的な魅惑の表情をたたえている(品がないというのではない)。たった一枚、あのティツィアーノの、暗がりからマリアのプロフィールだけが浮かび上がった構図のピエタ(かしら?失題ばかりですいません)から超人間的な悲しみが伝わってきたのを例外とする。

 だから、有名なジョルジョーネの『老婆』にしても、珍しい世俗的な肖像であるにも関わらず、上述のタブローのマリアがそのまま年老いた姿と見ても不自然ではない、そういう趣なのである。それくらいジョルジョーネの画力が透徹している、ともいえるけれど。

 ジョルジョーネといえば、謎めいた(まるでこのタブローの枕詞のようだ)『嵐』を収めた大きな一室、工事中だったせいか、ことに見物客の姿少なく、他に誰もいないところでたっぷりと時間をかけて眺められたのは幸運だった。もちろん素人に新解釈のあるはずもない。稲光はためく遠景と、せせらぎさらさらの近景、それに乳を含ませる女性とそれを眺める兵士(?)との三幅対をそれぞれひとつの句として付合の加減を愉しんだのみ。

 ちなみにこの一室、マンテーニャ(龍を倒したところの聖ゲオルギウス)やピエロ・デッラ・フランチェスカ(聖ヒエロニムス)、コスメ・トゥーラ(例によって薄気味悪い聖母子像)などがあって、ヴェネツィア派の大作の連チャンからここに歩み入ると、かなりほっとします。

 アカデミアいちばんの名物は、『嵐』かそれともカルパッチョの連作『聖ウルスラ』か。後者に関してはほとんど知識もなかったけど、明るい色彩と詩的な雰囲気が好もしく、気に入りました。

 ミラノのブレラ絵画館のような大きさを想像していたので、一時間半程度で見終えたのはちょっと拍子抜けだった。ま、時間が余るに越したことはないのでリアルト橋まで戻って白ワイン・パニーニ(挟んであるキノコが旨い)で軽く昼飯。ここでは熱いカフェラテでも呑んでおくべきだったのだが、まだ本人は気付いていない。ちなみに朝食はオレンジと炭酸水のみ。

 そのまま本島の北側の河岸まで歩き、ヴァポレットに乗って(そういえば夏を含めて船に乗るのは初めてだった)ムラーノ島へ向かう。ヴェネツィア実質最後の日はガラス見物で締めくくることとなった。

 本島と同じく、ムラーノも運河が走っている。もちろん石畳がどこまでも続くのも同じなのに、どこかズレた印象を受ける・・・と考えてみれば、ここの建物はせいぜい三階程度の高さしかなく、その分青い空がヴェネツィア本島では(広場以外では)見られないくらい、大きく広がっているのだった。

 まずはガラス博物館。『水都空談』でも書いていたが、十六・十七世紀にすでに絶頂を過ぎ、十八世紀以降になると後進のボヘミアングラスとの競争対抗の中で、円熟というよりは頽廃に近い技巧の錯綜ぶりを見せるというはかなさ。ものがガラスだけに、このあっけないほどの凋落ぶりはむしろ似つかわしいといえるのかもしれない。

 運河沿いの道の片側はすべてガラス工芸の店である。友人への土産を物色して回る案内人を置いて、こちらはしばし壁にもたれて少憩。

 じつはアカデミアの途中から気分が悪くなっていたのである。宿酔にはあらず。風邪の菌が胃腸に入ったような具合。昼飯で冷たい白ワインを飲んだのもまずかったみたい。

 痛みがあるわけでもなく、歩くのに障るほどでもないが、ただなんとなく体が冷たくて胃がむかむかとする。

 眩しいくらいの日差しをしばらく浴びていると、だいぶ調子が戻ったように思い、こちらも自分用に墨烏賊のガラス細工をひとつもとめた。ようやく買い物出来るくらいにはイタリア語に馴染んできたと思うと、もう帰国である。

 しかし本復したように感じたのは錯覚だった。本島に戻り、ボローニャ風のラグーソースで和えたフェトチーネを食べたときもワインが欲しくならなかったのだ。
 
 大事をとって宿で横になっているか。しかし滞在は明日まで。もう少しだけと欲をかいて、コッレール美術館に入った。お目当てのカルパッチョ(『二人のヴェネツィアの婦人』)がドゥカーレのほうに移されていたのは残念だったけど、そして正直ぱっとした作品はあまり無かったように感じたけど、サンマルコ広場を上から見下ろすという眺望には恵まれた。これだけでも充分である。

 夕刻、いちど空男氏と別れてホテルに戻り、熱い風呂に入ったもののやはり胃の不快感は取れない。したがって、やや無理をして出かけた最後の夕食の店では、これぞ正調フリット・ミストを少々摘まんだくらい。ワインよりも水のほうを余計飲んだように思う。空男氏には気の毒をした。

 当然二軒目もなし。はやばやとホテルに戻って寝てしまう。テレビはデビッド・ボウイ死去のニュースとアシュレイ・オルセンの変死事件を延々と伝えていた。

 泣いても笑っても明日でヴェネツィアとはお別れ。


【画像その9・笊の上のイカ】
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