遠雷

 四月の文楽は呂太夫さんの襲名興行。『菅原伝授』『曽根崎心中』と、統領株の演目が並ぶ。昼夜続けての見物はとかく堪えるし、また『曾根崎』にはあまり魅力を感じない。というわけで、昼の部の『菅原』を観に行った。

 「茶筅酒」の段に感銘を受けた。と取り澄ましてみたけれど、打ち割って言えば涙が止まらなくて往生した。『菅原』の中ではいちばん世話物の味が濃く、たとえば嫁三人が祝いの膳を甲斐甲斐しく支度するところでは笑いも起きる。実際微笑ましい演出なのだが、笑いつつ同時に泣けてくる。

 桜が満開なのだから春も闌けた時候。詞章には「申」と出てくるから夕景、如何にも鄙びた佐太の里にも白太夫の居所にも春の日影がのびやかにけだるく伸びているだろう。老人らしい野暮ったい軽口の止まない白太夫と、舅の上機嫌に笑いさざめく萌葱の着物の三人の若嫁。牧歌的と形容するのが何よりふさわしい舞台面。

 しかしこの春景色には、遠く微かに春雷が鳴っているように不吉な色調が紛れ込んでいる。それは第一番に、橋本治さんが言う所の「なんでもわかっている白太夫」(表現はうろおぼえ)のおどけた口調がアイロニカルに響くせいである。自分の祝いの宴が果ては痛切な別離に終わることを受け入れている老人の姿はたしかに胸をうつ。

 しかしそれ以上に桜丸女房・八重の哀れ深さは忘れ難い。相嫁二人にいわば裏切られた恰好で一人だけ戻ってこない夫を気を揉みながら門口で立ちすくす女。そのつい目の先には、無残に折りこかされた満開の桜が麗らかな陽光をいっぱいに受けている。

 おそらく歌舞伎の舞台でも見栄えのする構図だと思う。しかしここは是非とも人形浄瑠璃でなければならない。なぜか。

 白太夫一家を押しひしいでいく力の予兆を先に春雷と喩えたのだが、むろん菅丞相と藤原時平との権力闘争のことである。国の存亡に係る熾烈な争いはしかし、佐太村ではまさしく遠いひびきでしか無く、しかもその隔絶した世界の波濤が白太夫たちの小舟を散々に玩弄するのである。

 歌舞伎の用語で言う丸本物、つまり文楽から移された狂言の大きな特徴は宮廷幕府(時には神々)といった上の世界から虫けらのような底辺の民衆の世界までを縦断して見せるところにある、とよく言われる。

 その通りで、『仮名手本忠臣蔵』では勘平なる軽輩者のふとした「淫奔(いたずら)」ごころが藩一つを崩壊させてしまう(あえて史実の赤穂事件と芝居とを混同した名辞を用いている)。少なくとも浅野=塩冶判官の家の武士達にとっては、それは世界の崩壊に等しい出来事であったろう。

 そして六段目では初めの一穴を穿った勘平はもとより、許嫁もその両親もが狂瀾の中に呑み込まれていく。一連の経緯は論理的かつ巧緻でありながらしかも自然な運びで書かれていて、まことに間然することのない作劇術の冴えという他ない。

 そう、『忠臣蔵』はこの段取りがあまりに自然で有機的であって・・・そしてその分だけ、衝撃を与える力は弱まっているのである。佐太村の一家(そして源蔵夫婦をも)を襲った破滅は、字義通りの「雲の上の世界」の争乱の余波が、縁無き衆生を一様になぎ倒していく、ほとんど天災に等しい出来事なのだ。少しく話の柄を大きくすれば、オリュンポスの残酷な神々の戯れが英雄も王族をも踏みにじっていくホメロスの世界に似ているといってもよいし、卑近な喩えを持ち出すなら蟻の巣を壊し嬉々として蟻どもをひねり潰していく子どもの仕儀を連想させるといってもよい。どの道彼らは、文字通りの「操り人形」としてしか存在し得ないのだ。

 先代仁左衛門の、ほとんど伝説化した舞台を持ち出すまでもなく、この芝居における菅丞相は人間を超越した存在に近い。敵である時平のこれまた人間離れしたすごみ(「車引」の最後、戦慄的な登場の場面を想起せよ)と一対であるためには、むろんこうでなくてはいけないのである。時平は悪、丞相は善という一線は当然最後まで明確に引かれているのだが、しかしどうだろうか。光明と医薬の神たるアポロンも、疫病と怒りの神であるアポロンもともに人智を超絶した、「尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物」である。いみじくも宣長が「可畏」という措辞を用いたとおりに、ひたすら畏怖すべき存在であることには違いないのだ。

 そう考えてくると、田舎家での長閑な賀の祝いのトリヴィアルな描写が、この世ならぬ畏怖すべき存在の息の一吹きであっけなく潰えてしまう運命を予想させて、いよいよ哀れ深く映ってくる。すなわち、止まらぬ涙を如何せん、という事態に立ち至る。

 この日は、通路ぎわの席。通路を挟んだ真横には知恵遅れの青年(?)とその父親が並んで座っており、この青年が時折奇声を発する。まあ、辛抱できる程度だったのだが、こちらがしきりにハンカチを使っているところを見ては「あはははは。」と大声で笑うのには、あれは本当に困った。

 かほどに芝居の世界に没入したからには、呂太夫さんの浄瑠璃にも勘十郎さんの遣い方にも一言の論評も無いからとて、どうぞ咎めたまはざれ。


 前回更新から一月近くも経っているから、外食も何度かはしているけれど、いちばん記憶に残ってるのは自分で料ったメバルの数品。三十センチほどの大きさ。このサイズだと一人でぎりぎり食べきれる。

 上身にした一枚の半分は造り。梅肉を煮切り酒で伸ばし、ほんのり淡口で香りをのせた付け醤油で食べる。つまは独活の細打ち。
 もう半分は椀種に。薄く片栗粉をまぶして塩湯する。若布を添える。吸い口は刻んだ蕗の薹。

 翌日は残った上身を唐揚げにしてあんかけ。鶏出汁(大量の笹身で取る)に濃口・酒(紹興酒)・オイスターソースで調味する。餡には兵庫豌豆を沢山入れた。擂り生姜を上置きに。

 残ったアラは白濁するまで煮込む。これと浅蜊のスープとを合わせ、菜の花をメインにしてパスタに。貝のダシと菜の花って本当に相性がよい。
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