精霊流し

  ご承知の通り、不急不要の文章を旨としたブログだから、そうそう書くことがあるわけでもない。それにしても八月は仕事柄ばたばたすることが多いので、多少興が動いたときでもキーボードに向かうのが懶く、ついそのままに流れてしまった材料も少なしとしない。タイトルはそれら未生の記事たちに対する供養の念をこめたつもり。

  ここ十五年ほどは、お盆に京都に行くことが多い。墓参りではない。神社に行く。参詣するわけでもない。ここで大きな古本市が開かれるのである。

  場所は賀茂御祖神社、通称下鴨神社。高野川と賀茂川が合するところに、広大な糺の森が広がり、その森を南から入って長い参道を瀬見の小川というせせらぎに沿って北上したその先に鎮座する。古本市、正式には下鴨納涼古本まつりはこの参道に沿って開催される。参加店は、さあ四十もあるだろうか、ともかく初めてここに来たときには、どこまでも続く(ように思われる)古本屋のテントの列を一瞥して、こちらが古本屋を廻りだしてまだ数年というウブい頃であったことも相まって、上から兇暴にふりしきるクマゼミの鳴き声にそのまま溶かされてしまいそうなくらいの恍惚感にうちふるえた。

  ムカシはまだ体力があったんでしょうな、すべてのテントの書棚を、豪華な画集から江戸期の版本、文庫の均一コーナーにいたるまで、文字通り隅から隅までなめつくすように吟味するのがふつう。途中で昼飯休憩をはさんで、そう、6時間はうろちょろしたものだった。むろん若い時のこととて、足は軽いが嚢中も軽い。均一本の山の中から何冊か掘り当てたのを成果に、いそいそと京阪電車出町柳駅に向かうのが関の山。

  もっともこの時の荒行(今同じコトをしたら翌日は腰が立たないだろう)は、本の相場や古本屋の個性を身体感覚として理解するための、はかりしれない機会となった。今でも、古本屋では「この値付け以上なら買わない」と決めて、おおむね間違っていないように思う。

  さて、今年は例の水汲みの後輩、仮に空男と呼んでおく、彼の運転で涼しく京都に向かう。午前中は雲がひくくたれこめて、時折雨がぱらぱら落ちてくるという天候、まあ古本を野外で探すのにこれほど不都合な空模様もないという感じだったが、後半はさらっと晴れ。小川に日が当たっているのがいかにも涼しげで、だからというわけでもないが、久々に奮闘。二時間で切り上げる約束だったのが、四時間いっぱい物色を続けることとなった。合計五十三冊。むろん一人では持ち運べないので、空男氏にも手伝ってもらうことになる。

  均一本の山をしらみつぶしに見て回った訳ではないから、掘り出しの珍品というほどのブツには出会わなかったものの、十分に京都に出張った甲斐はあった。『独身者の機械』で有名なミシェル・カルージュに『カフカVSカフカ』と題するカフカ論があったのを知ったのは拾いものだし、宮川曼魚『花鳥風月』、『吉行淳之介長編小説全集』それぞれ百円は、これはもうはっきりお買い得といえる。柴田書店の雑誌『月刊料理』のバックナンバーがごそっと手に入ったのもありがたかった。アンドレ・グリュックスマン、ジャン・スタロバンスキーという贔屓の批評家ふたりの、まだ読んでいない翻訳を見つけることも出来た。

  贔屓なのに知らない本があるのはおかしいと難癖を付ける向きもあるかもしれないが、こちらは別にビブリオグラフィーをつくるためではなく、単なる娯楽で読んでるのだから、こうした《散歩》の途中で思わぬ光景がひろがることこそがむしろ重要なのだ。便利だから、インターネットで古本はちょくちょく注文するが、絨毯爆撃的な全国一斉検索というシステムはやはり正直言って気疎い。

  スタロバンスキーの本は十八世紀芸術論。こちらはヴォルテールの評伝を読んで以来、十八世紀熱が久々に高まっているさなかでもあり、楽しみな一冊。すこしかさばるけれど、今度の旅行に持って行こうかな。

  家に帰って、おとなしく夕食。昼間さんざん汗をかいたので、空男氏と生中で乾杯といきたかったが、今日はなにより本の荷解きが最優先。冷や奴と鶏すなずりの中華風(半分に切って、丁寧に筋・アブラをとり、ぎりぎりのところまでゆがいて冷水でしめ、ネギ・ニンニク・ショウガを刻んだものと、胡麻油・酢・醤油で和える)で焼酎をやる。最近の肴は冷や奴につぐ冷や奴という気味合い。仕事が忙しいせいもあるが、まあ、根が豆腐好きなのである。薬味をなるたけたくさんそろえる。この日は山葵、鰹節、大葉、茗荷、胡麻。山葵はむろん(と言う)生。鰹節はパックのあれではなく、本枯れ節を自分でけずったところをすぐにもんで粉鰹にしたもの。大葉は職場の菜園から採ってきた無農薬のもの。本日の収穫(古本)を前にして、ちびちび焼酎水割りをのむ。贅沢のきわみや、とつぶやきながら。

  この日は深夜まで、収穫の一冊である田辺聖子の『私本・イソップ物語』を読んで笑い転げる。田辺さんの大阪弁はなぜこんなに可笑しいのだろう。『春情蛸の足』(ちくま文庫)はとくにおすすめ。読めば分かる、そういう名作です。