見る鶏 食う鶏

  神戸元町の大丸で開催中の「琳派若冲と雅の世界」を見に行った。着物で行くと半額とのこと。惜しいことをした。

  「忍草下絵和歌巻断簡」(本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵)がよい。このコンビでの和歌巻は、シアトル美術館がその大部分を所蔵する「鹿下絵」のものが一番すばらしいと思う。鹿の肢体の描線が絶妙のリズムを生み出して、ほんとうに画面から飛び出してきそうな具合である。「忍草」はそこまではいかないが、宗達の繊細な線が実に快く、見惚れてしまう。

  あとはこれまでてんで莫迦にしていた鈴木其一の一幅で、朴の木に尾長鳥をあしらった構図のものが面白かった。画題として確立しているのかどうかは知らないが、朴の大きな葉が手のひらなりに開いている形が静謐で趣味がよい。絵はがきでもとめようとおもったが、これは無し。

  すっかり良い気持ちになって、元町をぶらぶら。例のごとく海文堂に寄ってみると、「晶文社フェア」なるものをやっている。どこでもしているような企画かもしれないが、惹句に小手のきいたものが多く、つい足をとめてしまう。ケネス・バークの『動機の修辞学』は、原書のほうで持っているが、買うことにした。海文堂さんへのご祝儀のつもり。あとは「C子さん蔵書放出」という面妖な企画コーナーで何冊か。その中でミカ・ワルタリの『エジプト人』上中下そろい(角川文庫の復刊)が250円はいかにも安い。ウージェーヌ・シューの『さまよえるユダヤ人』も角川文庫から復刊されていた。あのころの角川書店は、海外の伝奇小説に力を入れていたのだなあ。

  晩餐は例によっての冷や奴と、手羽先を中華風に揚げたもの、それと茄子・胡瓜のぬか漬け。この日は休日だったので、飯の時間に合わせて漬けていた為、漬かり具合まことよろしく、焼酎がいくらでも呑める。

  それにしてもなあ、と少し酔いのまわったアタマで思う。大丸で昼から絵を見てるのだから、そこそこはゆとりのある階層に属する人たちのはずなのだが、オバサン連中の、ぺちゃぺちゃうるさくて絵をちっとも見ていないことは咎めまい、その話し言葉の汚いこと。宗達の絵の典雅とは対蹠的、どちらかといえば、これも展覧会の目玉である若冲の「鶏図押絵貼屏風」の鶏が画面から抜け出しててんでに騒いでいる(まさに牝鶏朝をつくる!)に近い情景であった。

  去年の雪、ならぬ「細雪」の世界、いまいずこ。