亡者の海のレンブラント

  「悪の研究」では、古書会館しか行かない、と言っておきながら、結局は他の二つの古書市四天王寺大阪天満宮)もまわってしまった。膏肓に入った病だから仕方ないんだけれど。

  もっともこの日は大阪天保山サントリーミュージアムで開催中の『ポーランドの至宝展』を見に行ったので、そのついでということもあった。

  この展覧会がすごかった。

  いや、レンブラントの「机の前の学者」(日本初公開)はたしかに素晴らしかったです。有名な「学者の肖像」よりも、視線のドラマに一段の深みがある。堪能しました。

  すごかったというのは、入館までに30分待ち、というその行列、いや近頃は美術館でその程度の行列は別段珍しくもないが(大阪市立美術館フェルメールの「青いターバンの少女」が出た時はたしか二時間以上ならんだ)、その行列の中身である。

  人の世の旅路の半ばはとうに過ぎたとおぼしい婦人が八割。このミュゼは、円錐を逆さまにしたような建物が南港の海に突き出すように立っているが、なんだか入場者を乗せてそのまま普陀落渡海に向かいそうな気味合いである。それにしても異様な光景。いささかならず鼻白んで館内に入る。

  と入り口すぐにある展覧会趣意書のパネルには、某巨大組織の実力者の名前が。これで疑問は氷解した。つまりは善男(少し)善女(おびただしい)の集団なのであった。

  疑問は去ったが、それでも異様な雰囲気が霧消するわけではない。朝日を浴びた吸血鬼さながら、刻一刻と全身から精気がうしなわれ、肌がかさついてくるのを実感しながら(いや、吸血鬼に当たるのは周囲のほうなのだが)、せめてもの抵抗でイヤホンをぐりぐりと耳に押し込んで(「見る鶏 食う鶏」でも書いたが、なんで展覧会であれほどぺちゃぺちゃしゃべらねばならないのか)、ほとんど記録的な速さで会場を見て回る。

  なんとか出口までたどりつくとお定まりのミュージアム・ショップ。絵はがきや琥珀のアクセサリーはともかく、なぜか「栗もち」やチョコレートが山積み。「ポーランドの至宝」、レンブラント肖像画を観た記念に、なぜ栗もちなのか。しかもチョコレートはヴァン・ホーテンなのである。理解に苦しむ。

  外に出て潮風を吸い込み、無事娑婆に戻れたことを感謝する。それでも四天王寺古書市の前半まで疲労が抜けきらず。この日は日差しも強かったしね。


  二カ所目の大阪天満宮では、大学院の後輩を発見。修士課程の一年生で、後輩と言っても一回り以上年が離れている。最近の若い院生は、といえる年でもない(?)が、ほんとに本を読まない莫迦が多い(本を読まない人文系の院生に、香りのぬけきった紅茶、冷めた湯豆腐以上の存在意義はあるのか)。とつねづねヒフンコーガイしていたところだっので、一人で古本市を回っているこの後輩のような存在には無条件に好感を抱いてしまう。

  また、九鬼周造の「『いき』の研究」を「趣味の本です」といって買っているのもエライ。ますます気に入ったので、晩飯をオゴることにする。

  がんばれ、読書人の玉子!