雨に煙る焼き物のまち〜九州旅行③〜

 と思っていたが、翌朝は意外にすっと起床。まだ飲み足りなかったのか。

 ともかく駅に戻って、いちばん早くに乗れる唐津行きの列車を探してもらう。駅弁を買うついでに、武雄名産というレモングラスのお茶などの土産もいくつかもとめる。

 この日は予報通り朝から小雨。傘はいまどき少し歩けばコンビニですぐ買えるから不自由しないとはいえ、雨の中のうろつき回るのも鬱陶しいな、と頭の中もやや曇り模様。

 それでも佐賀牛すき焼きの駅弁が旨くて、朝っぱらから(ひっそりと)缶ビールをがぶがぶやっていると(こりてない)、だいぶ気分も持ち直してくる。雨ならそれとしての情緒を満喫しようではありませぬか。

 昼前についた唐津の町は、日曜だけれど雨のせいか、森閑として見える。ホテルに予約を入れて荷物を預け、駅前の喫茶店で珈琲を飲みながら、一応のプランを立てる。

 唐津城。我ながら何の曲もない選択で気恥ずかしいが、しかし海に突き出た城というのは、行ったことがないので、楽しみにしていたのである。さすがに唐津一の名所だけあって、ここは雨の中を比較的大勢の観光客が歩いている。

 天守閣を上まで登ると、文字通り四方に視界が開け、その内南を除く面すべてから海が見える。もっともこの雨天では玄界灘のはるか沖、条件がよければかすかに見えることもあるという壱岐の島影は望むべくもない。それでもここがまさしく唐の津、大陸・半島との交易拠点であったことは少し実感できたように思う。

 東に広がるのは虹の松原。見る前は何となく天橋立のような、砂嘴に伸びる一本の線状を想像していたのだが、なかなかどうしてそんなものではない。城の方からは扇の形に、地平線まで(とさえ見える)広がっている。

 無論これも雨が煙る中の眺望なのだが、その雄大さのためか、雨に松林という取り合わせではあっても、長谷川等伯の屏風よりもむしろ、バーナムの森が不気味に殺到してくるダンシネーンの丘が連想されて、一人運命の破滅を待つ梟雄の気分で(ノリやすい)櫓の四方を歩き回る。高所恐怖症なので、むろん下は決してみない。これは望外の楽しみ方だった。今度は晴れ渡った空の下できらきら輝く海づらを半日眺め暮らしていたい。

 で、花の季節は過ぎていたものの、巨大な藤の枝が這い回る藤棚の下を過ぎて城を下りてしまうと、実はこれでなにもすることがなくなってしまうのである(プランを立てるほどでもなかった)。晩飯時分の腹具合を考えると、今から呼子に行って烏賊を鱈腹というのも中途半端だし、といって原発を観に行くほどの風流さもさすがになし。

 結局はいつもどおりしらみつぶしに中心部を歩き回ることにした。といっても今回は名に聞こえた焼き物の町。完全な無計画ではない。予約していないので、窯元の工房見学は無理としても、洒落たギャラリーで気に入るような一品が見つかれば、というぼんやりした骨組みはあった。

 日本料理が好きなことは当ブログでさんざん書いてきている。器の豊富多彩は西洋・中国に比べたときの日本料理の顕著な特徴だろうから(最新のはやりではどうか知らない)、焼き物にも当然関心は向くことになる。

 といっても貧書生のこと、高価な蒐集のあるわけでなし。ただ唐津焼は偶然ながら、人生の記憶のはしばしに絡みついてくる機会が多かった。斑唐津、割山椒の向を、酒に酔った当方が手をすべらせて割ってしまった時、母親が「あたしが子どもの頃からお茶で使ってきた器だったのに」と涙をこぼしたこと(ごちゃごちゃぬかすな、糞ばばあと怒鳴りつけたのは、今思うと可哀相なことをしたと思う。昔は無頼だったんですな)、初めて入った(その当時は)高そうな料理屋で隣り合った客(これはホンモノのコレクター)が、出来がもひとつだからというので、窯元が破棄しようとしたが、どこか味のある品だしとまげてもらい受けたという、朝鮮風のぐい呑みを、「あんた酒好きそうだから、やる」と無雑作にくれたこと。

 といったことをつらつら思い出しながら歩いていたのだが、それにしても人がいない。店も開いていない。焼き物屋も結局入ったのは二軒きりで、飯茶碗を一つもとめたきり。それでも時計を見るとそこそこの時間になっていたので、一度ホテルに戻ってシャワーを浴びて、夕飯に出発。今回は『やすけ』という鮨屋であります。

 実のところ、目当てにしていたもう一軒の鮨屋が休んでいたので(月曜が休業と書いてあったのに)、やむなくここに入った。のであまり期待はしていなかった。その気分は、おしぼりを持ってきてくれた若い衆(といってもオッサンである)が、世にも悲しい声で「お飲み物は何になさいますか」ときいてきた時、最高潮に達したのだが、鮨の前になにかつまみを、と頼んで出て来たもずくと蟹身の酢の物を一口すすってみると、これが旨い。

 意外と(失礼)愉しめる店なのではと思っているうちに、次に出たのが新茶の天ぷら。気が利いている。こりゃ腰をすえて呑むべし、と、結局そこから三時間以上飲み食いしていた。

 今思い出せる限りで、食べたものは以下の如し。

【前菜】
・もずくと蟹身の酢の物
・新茶の天ぷら
・炊合せ(オクラ、うすい、茄子、プチトマト、蕨、筍、蕗)
・女鯒の干物(自家製)
・山芋と生雲丹

【つくり】
・鯖きずし
・地付きの鰹
・槍烏賊
・鱸炙り

【酢の物】
・貝尽くし(青柳、海松貝、赤貝、赤螺、月日貝)
・小魚尽くし(小鰭、鯵、鰯、鱚)

【鮨】
・鯵
穴子(煮たやつをさっと炙る)
・海老(しらさえび)
・鰹
・鯖
・平目
・烏賊
・鰯
・干瓢巻、赤だし

 最後の干瓢巻でも思ったが、さすがに有明の海を控えているだけあって海苔がいい。鮨の前に「口直し」として、寿司飯をちょっぴり、古漬けの沢庵をこまかに刻んだものも少しだけ載せて軽く巻いた一口大の手巻きを出してくれたのだが、これは海苔を味わうための一品だった。この焼き海苔で呑んだら止まらなさそうだと言うと、鮨屋でそれは困りますと主人が笑った。

 魚も野菜も地物しか使わない、というのもいいが、全体にこころもち味付けがしっかりしているのも嬉しい。濃い味が好みというわけでなく、猫も杓子も京都風(てんですかね、あれは)の薄味になびく世の中、「ウチはこれです」という気組みが見えるのが好ましいのである。

 店を出ると、これはいかならむ、さきほどまで幽鬼の街としか見えなかった通りのそこここに灯りが灯って、観光客らしき、また地元の方らしき風体の人々が歩いている。釉薬は火に遭って花を発し、焼き物の町は夕闇を待って底力をきらめかすというところか。ともあれ二軒目のバーでは、ピノ・ノワール唐津に敬意を表して乾杯。
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