一週間のヨーロッパ(7) 籠の鳥

 翌朝は六時前に目覚めた。前夜「南のほうだから、どんな虫が入り込んでくるかもしれません。くれぐれも窓は開けっ放しにしないように」と芒男に脅されていたので、震えながらろくに眠りもしないままに朝を迎えたのである。

 というわけではもちろんなくて、蠍にもタランチュラにも殺されず、幸い翌朝早く起きられたのは、例の『五十の方法』で、ピエトロ・アレティーノの墓がヴェネツィアのさる教会にあると知ったから。アレティーノはかねてひいきの役者である。何をした奴か、と聞かれると説明に困るのだが、うーん今の言い方ならトップ屋ということになるのか。あ、「トップ屋」自体が死語か。ともかく、ジャーナリスト(あんまり高級でないほう)の元祖みたいなおっさんで、ルネサンスのイタリアで活躍。厖大な書簡を書いて当時の大物を片っ端から強請りまくる一方、ポルノグラフィーもものし、豪奢な享楽にふける生活を続けてめでたく死亡。なんとも羨ましいかぎりの一生である。強請った相手の一人がミケランジェロというのだから凄い。不倶戴天の仇敵同士だったフランソワ一世とカール五世両方から贈り物をせしめたという嘘のようなエピソードもある。

 底抜けに陽気で、快楽好きで、根っからの悪党で、にも関わらず寛闊な心も持ち合わせていた(アレティーノは一種の救貧事業もやっていた)この男、ヴェネツィア気質の精髄という感じがしません?

 「世界の秘書役」の墓は「小さな聖ルカの教会」にあるという。ちんまりと寂しげ墓のたたずまいをそっと覗くことが出来たらさぞ印象深かろう、と期待していたのだが、ロビーに降りてみると我がホテルの表戸は鋳鉄の柵でがっしりと閉ざされているのであった。

 「スクージ(すみません)」とフロントの奥におずおず声を掛けてみるが高いびきの音が派手に響くばかり。酔狂な観光客に早朝から起こされて不機嫌顔の親爺に「朝食前にすこし散歩に出たいので扉を開けて頂ければたいへん嬉しいのですが」とイタリア語で話す勇気もなく、すごすごと部屋に戻る。よく考えれば、「小さな聖ルカの教会」というだけでこの迷宮の街を不案内者が探し当てられるはずもなく、たとえ見つけても墓が見られるかどうかあやしいものである。我ながらいささかヴェネツィア熱で頭がまともに回らなかったと見える。

 あらためてベッドにひっくり返り、昨晩の運河の鈍い輝きをぼうっと思いだしていると、突如鐘の音が響き渡って吃驚した。イタリア的情緒といえばそうだけど、なにせ音量はでかいし、寺の梵鐘の眠気を誘うようなくぐもった音ではなくかなりけたたましい音色だから、旅情にひたるどころではない。

 たたき起こすのはいいけど、ホテルから出られないんじゃあね、とぼやきつつ鎧戸を開くと、細い路地を挟んで手の届きそうなところにある向いの建物(ホテル?それとも民家かな?)のそこここの窓からは朝の支度とおぼしき生活臭に充ちた音が漏れ出していた。ふと明治大正ころの東京、それとももっとさかのぼって化政度の江戸の下町にもぐりこんだような感覚をおぼえる。でもそれが、前夜の幻怪な舞台面に対する楽屋というような、白々した現実の暴露という感を与えないのがこの街らしいところで、きちんと脱水してないらしい女性下着が窓の外に吊され、そこからぽたぽた垂れてくるのさえ、なんだかやっぱり書き割りじみて映るのだった。「熱」は相当に高いらしい。

 あんまり期待できなさそうなホテルの朝食は遠慮して、空男宅へ向かう。アパートのすぐ近くにあるリアルトの市場を案内してくれることになっている。これは純然たる鯨馬の我が儘。しかし昨日相当に呂律が怪しくなってたみたいだけど、ちゃんと起きられてるのか、などと芒男と笑いながら歩いてるうち、まあこれが当地のお約束なんでしょうな、見事に道に迷ってしまった。曲がると袋小路。戻れば運河で行き止まり。三遍回ってきゃん、と鳴いてるうち、だんだんやけになってきて片っ端から角を曲がりまくっていると、磯臭い匂いが漂ってお目当ての市場前にふっと出てきたのは、大がかりな奇術を見せられたようなものだった。

 空男と合流して改めて市場へ。なるたけ平静を装って品格を(笑うべし)保とうと苦心していたが、果たして効を奏していたであろうか。ババッチイ喩えで恐縮ながら、志ん朝『火焔太鼓』の「座りしょんべんして馬鹿になっちまうぞ」という状態であった(座りしょんべんはしてなかったように思いますが)。

 幾ばくか、所詮観光客目当ての市だから土産向けの品が多いのだろうと憶測していたけど、魚、貝、海老・蟹の類、種類が豊富で魚介の扱いもぞんざいではない(少なくとも明石の魚の棚の魚屋よりは)。日本では見られない魚も多く、また逆に日本で買える魚介の、形・大きさ・値の違いもいちいち興味深く、ことに大ぶりの蝦蛄の安いこと安いこと、おおここぞ我がイル・サント。と動悸がはやくなってくるほどだった(聖アントニオさん、ごめんなさい)。

 しかし、しかしである。もちろん日本に買って帰ることは出来ず、空男の台所を借りてちょいと腕を揮ってみせるにも飛行機の時間があるのでムリであり、ああせめて金沢(金沢!)は近江町市場の如く殻付き海胆をその場で割って啜ることくらいは・・・と思っても地元密着型のここではそれすら叶わぬ願いなのであった。熱涙滂沱とかきくれて、愛しい人の残り香なりと懐に抱いて帰るべしと(コーフンしております)、魚売り場の横の青果市の店のひとつで、パスタ用のシーズニングとポレンタ粉、それに干しキノコ(フンギ・セッキというやつですな)をわっさりと買い込んでしまった。両親の店を手伝っている様子の少年もびっくりしていた。

 この少年店員がまたはっ。とするくらいに可愛らしいと同時にラテン系らしく色気たっぷりの子であって、浅黒いうなじに金色のうぶ毛がうすく光るのを見た瞬間、寵童趣味は無い人間が思わずぞくぞくっときたくらいである。ははあ、これが我がトーマス・マン体験ということであるか、とヘンな納得をして(だいたいアッシェンバッハが惚れるのは東欧系の美少年なのだし)、まさしく後ろ髪を引かれる思いで市場を後にする。

 今でも濡れ濡れ光る蝦蛄の尾と少年の栗色の瞳を時々思い返すと、胸がちりっとする(エビカニと美少年をいっしょくたにする奴もないもんだが)。

 ローマ広場近くのカフェでビールとパニーニの軽い食事をとって、バスで空港まで。空男も最後までついてきてくれた。アリヴェデルチ!と握手。これは少なくともぼくの場合、ことば本来の意味で使ったのであって、つまり、「必ずまた来るから、ヴェネツィア」)(そこに空男はいてもよろしい)。

 飛行機はふたたびデュッセルドルフへ飛ぶ。長い時間仕事を休んでまで付き合ってくださったススムさんに、芒男と二人、ささやかな御礼として夕食のご招待をしていたのである。オッサン三人で豚の足に齧り付くという絵柄もなんですから、フランス料理の店にススムさんの彼女もお招きすることにした。

 待ち合わせの時間よりも余裕をもってホテルを出、住宅街の一角にあるカフェでビールを飲む。やはりイタリアに比べだいぶん緯度が高いだけあって、陽が長い。漉されたような淡い色の夕陽を正面に受けながら(ちっとも暑くないのだ)久々のアルトビールを飲んでいると、あちこちの教会の鐘が一斉に鳴り出した。窓ガラスをびりびり震わせながら、ながくながく鳴っていた。

 ススムさんカップルと落ち合って、Agata'sという店へ。比較的新しい店らしい。モダンなデザインで、さほど雰囲気は堅苦しくなさそう(芒男はシャツにサンダルで通していた。さすがにショートパンツではなかったけれど)。滞在邦人が多いだけあって、日本語のメニュもあるし、日本人スタッフもおいている。

 食前酒はキール。鯨馬のオーダーは以下の如し。

アミューズ=生ハムをすりつぶしてロワイヤル風に仕立てたもの。チコリの苦みを旨く生かしていた。
○前菜=生蛸のコンフィ。身はふわふわで、皮目をこんがりと仕上げている(しかしよう蛸を食った旅行ではあった)。
○アントルメ=「塩沼産ラム」とメニュにはあったが、地名ではなくて塩分を含んだ土壌の土地で育てたということだろう。いわゆるプレ・サレ(肉そのものにうっすら塩味が付いている)というやつ。それを赤ワインでとろとろに煮込んだもの。大の煮込み料理好きであって、しかもこれまた大好物である豌豆のピュレがどさっとかかってるんだからね。柔らかな子羊の肉の線維を舌ですりつぶすとほのかな獣の匂いに合いの手を入れるように豌豆の爽やかな甘さが侵入してきて、じつにまあ旨い。同じ品を注文したススムさんも感嘆していた。
○主菜=近頃流行りの熟成牛肉のロースト。脂がのった、というより脂でべたべたした肉より、こんな風に噛んで噛んで噛みしめてるうちに突如として肉の旨味が溢れるというほうが好きだ。250グラムかな?をぺろりと平らげる。

 旅行中いちばん美味かったのがドイツで食べたフランス料理とは皮肉なことだが、まあここは値段も破格(現地相場。日本のフレンチに比べれば嘘みたいに安い)だったから、そうあって不思議ではない。

 この店で特筆すべきは、ワイン、特に赤ワインだった。ソムリエ(芒男によればおそらく東欧系)は、こちらの好みをきくと(一応ホスト役だから、考えて伝えた)、持ってきたのが一本目はピエモンテ、二本目はトスカーナの産。感動のあまり、エチケットを貰って帰るのを忘れたのが遺憾の極み。

 二本目も凄かったが、ピエモンテはなんというか、優雅にしてあでやか(絹のような舌触り)、しかもぴしっと一本筋を通したところのある絶品。赤ワイン好きの芒男は「これはすごい」と連発していた。それにしてもフレンチで二本ともイタリアワインとは・・・と食事を終えてソムリエに聞いてみると、果たしてこちらがイタリア旅行帰りということを話の端々から察して選んだのだそうな。洒落た趣向であった。

 どこまでも親切なススムさん、御礼の招待だというのに、芒男と鯨馬それぞれに好みの赤ワインを一本ずつ持参してくださっていたのだった。なんていい人なんだろう。

 いい人はフォンさんも同じこと。「最後に一杯飲もう」と、夜風のそうそうと吹き抜ける大通りのバールで、際限なくビールをご馳走してくれたのである。

 このホスピタリティーに報いるすべなし、とほとんど途方に暮れる。

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 帰国の日。またもやススムさんのお世話になって車で空港まで送って頂く。固く固く握手。ここでも真情を可能な限りこめてau revoirと手を振った。

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 吹けば飛ぶよな一週間ごときの滞在(とも言えるだろうか)で、何か感得したというのはほとんど錯覚に等しいであろうことはもとより承知している。しかし、結縁というものが世界には存在しているということもまた、信じたい気持ちを捨てがたい。小文の題名をもって察して頂きたい。すなわち、もう既にいつヴェネツィアへ行けるかということで頭はいっぱい。病は膏肓に入ったわけだった。


※つとめて写真は載せないようにしているが、さすがにこういう話題で一枚もないのはどうか、と思い、リアルトの市場であたりを睥睨していたかもめさんのプロフィールを掲げておきます。



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