年の瀬、ユーキちゃんと『田ぶち』へ。三十手前の人間をつかまえてちゃん呼ばわりも無礼な話である。が、元教え子なので主観的にはどうしてもこうなってしまう。
そんな旧師(そんな立派なものではない)の思いをよそに、いい男に成長していたのが嬉しかった。なんでも最近転職したばっかりとのこと。前の会社では幹部候補として期待されていたが、人生設計を考えて今の職場に移ることを決断したのだそうな。そこそこの年になっての転職だとしんどい思いをすることも多いと推察されるが、その苦労話も愚痴に堕さず、飄々とユーモアを交えて話すところが頼もしい。あの強情で泣き虫のユーキが・・・と心の内でそっと涙を拭う鯨馬。
無論「ここまで育て上げた」という自慢ではない。そもそも十年近くぶりの再会で、FBがなければつながらなかった縁だろうと思う。
そう、FB始めたのです。アナクロブログの主としてはなんとなく後ろめたいような気がしていたけど、北窓主人さんもやってらしたのを知り、これまたなんとなく安心する。日本人やなー。
あだしごとはさておきつ。だからユーキと再会しての感慨は何より「新しい友人が出来て嬉しいな」という質のものであった。サウスピークの「まる。」もそうだが、今の仕事をしていてそう多くはない、しかしたいへん貴重な「余禄」の、これはひとつである。二つ目はと言われると困りますが。
実際、この日はせっかく移転なった『田ぶち』への初見参だというのに、河内鴨の味もそっちのけで話に夢中になってしまい、二軒目のバーでも話し足らず、また続きをしよう!という次第となった。ま、ワカモノは「わー鴨うめー」「鴨スゲー」と興奮していたが。鯨馬にとってもマズかったわけではありませんよ、念の為。“セリ男”としては、すき焼きの具材に、この時期だけという芹の根の部分がどん、と出てきたところで、密かに取り乱していた。芹でコーフンする姿を見られて胡乱な視線が突き刺さる(ユーキと店の人と)のを惧れて密かにきゃっきゃしていたのである。『いたぎ家』だとおおっぴらにコーフン出来るのだが(もっともいたぎ兄弟も内心こちらを胡乱な目で見ているのかもしれぬ)。
『田ぶち』さんは移転前に比べ、面積は二倍になったが席数は二つしか増やしていないそう。随分贅沢なつくりとなっている。路地風の入り口も以前の趣を残している。安いとはけして言えない店だが、いいとこだと思います。
ユーキ氏を終電に乗せて、こちらは『イザラ』のシャンパンパーティーの、正確に言えば宴果てた後、吉田シェフが一人後片付けしているところに押しかける。互いにいい心地に酔いながら話し込み、気がつけば明け方近くというのは例年の如し。
大晦日は『いたぎ家』アニーからの一報を受けて店へ。薬科大の元学生四人組(当方がヤッカーズと命名)のうちダイとユウが遊びに来ていたのである。「社会人になってカネあるから、ニイサン(と呼ばれている)に今までごちになった分、お返ししていきますよーうひゃひゃひゃひゃ☆」ということで奢ってくださった酒の味は甘くほろ苦く、また微かに酸っぱいものであった(山廃の原酒ですから)。
恒例ではなかったのがおせち。今年はふと思い立って、馴染みの鮨やとバー(ビストロ?)に頼んだ。いずれも素人ではむつかしい品で堪能したあげくの感想は、やはり当方にとってはいささか味付けが濃い。おせちの本旨からして仕方ないことだが、酒を呑みながらつついていると、後でしんどくなってしまう。来年はまた自作ですかな。せっかく松本行史さんの、うってつけの手箱も手に入ったことだし。
二日の夜は名古屋コーチンで鶏鍋。今時うれしくなってしまうくらい、むうっと鶏くさい鶏で(臭いのではない)、これは水炊きでは鶏自体の味を受け止めかね、かといってすき焼きでは後半がしんどくなってしまうだろう、という判断で出汁鍋とした。これは我ながら大正解だった。水炊き、あるいはすき焼きのほうが絶対にウマいっ、というやつは出てこい、いつでも相手になってやる。
※「相手になる」・・・「そうだんなあ、あんさん言やはるとおりでんなあ」と相槌を打ちつつ一献汲むこと。
ヤッカーズの振る舞い酒が効いたのか、帰宅後、風呂に入るとあっというまに沈没。元日の第一食が年越し蕎麦というていたらくでありました。休みが短かく、本の感想も書けない。長谷川宏訳のヘーゲル(『哲学史講義』河出文庫)を読み続けていたが、読んでも読んでも終わらないので(現在第二巻の途中)、先延ばしとなります。
ともあれ今年もアナクロブログをよろしくお願いします。
吉例の戯れ歌一首。
丁酉はじめの日に
鳥がなくあづまの野辺にのぼる日の東天紅ととそのほろ酔ひ 碧村
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