神無月の本

眼精疲労なのか視力の減退なのか、ともかく本当に冊数がいけなくなった。

谷川健一『選民の異神と芸能』(河出書房新社
川村湊『闇の摩多羅神』(河出書房新社)・・・このところマタラ神なる異様な神が気になって仕方ない。①外来の神である、②念仏修行の護法神でもある、③能楽の起源と関わりがあるらしい、というくらいで謎めいた神格なのである。山本ひろ子『異神』は学生の時に読んで異様な衝撃を受けたのであったが、谷川・川村両著(それに、最近の中沢新一の仕事)を参考にしても、よけいに謎めいた印象は深まるばかり。次は服部幸雄の『宿神論』に取りかかるべし。
本川達雄『生きものとは何か』(筑摩書房
○冨島佑允『この世界は誰が創造したのか』(河出書房新社)・・・我々のこの世界が誰かのシミュレーションである、というたいへんな仮説を紹介する。
宮脇孝雄『洋書天国へようこそ 深読みモダンクラシックス』(株式会社アルク
○長島弘明『〈奇〉と〈妙〉の江戸文学事典』(文学通信)・・・通読でき、通読したほうがいい事典。
デイヴィッド・ミッチェルクラウド・アトラス』(中川千帆訳、河出書房新社)・・・『出島の千の秋』はいささか期待外れだったが、こちらはパワフルでよろしいな。
○ジャン=フランソワ・ソルノン『ヴェルサイユ宮殿』(土居佳代子訳、原書房
大竹昭子須賀敦子ヴェネツィア』(河出書房新社)・・・ヴェネツィア本島より、リドの静謐な通りの写真にうっとりする。あまり長い間眺めていると「ヴェネツィアまた行きたい病」が再発しそう。
今谷明京極為兼』(ミネルヴァ書房)・・・佐渡配流の真因は著者の推定が正しいと思う。政治的な動きに光を当てて、こちらの知らないことを沢山掘り起こしてくれたが、その分歌人そして歌壇指導者としての側面の記述が少なくなったのが惜しい。
○ベンジャミン・フォレス『世界一高いワイン「ジェファーソン・ボトル」の酔えない事情』(佐藤桂訳、早川書房
○マーティン・プフナー『物語創世』(塩原通緒訳、早川書房
井上泰至湯浅佳子関ヶ原合戦を読む』(勉誠出版)・・・『慶長軍記』の翻刻と注釈。編者の言うとおり、該書にとっては決定的なエディションになるはずである。こちらは古くは講談本、近くは隆慶一郎および大河ドラマで馴染んでいる世界なので小説のようにするする読めた。
○クリストフ・リュカン『ワインと戦争』(宇京頼三訳、法政大学出版局)・・・ナチスによるフランスワイン略奪作戦、とまとめるとあ~またナチス物かとなってしまうが、読みどころはナチス相手にえげつない商売をしてのけたフランスのワイン商たちの方にある。
半藤一利『清張さんと司馬さん』(日本放送出版協会)・・・司馬遼太郎の史論には近代における天皇、という視点が欠けているという指摘に吃驚。そっか。
鶴ヶ谷真一『記憶の箱船』(白水社
○筒井紘一『利休の懐石』(KADOKAWA
○ピエール=イヴ・ボルペール『マリー・アントワネットは何を食べていたのか』(ダコスタ吉村花子訳、原書房)・・・豪奢にして鈍重な料理が正調とされる時代のただ中で、しかも(王太子妃⇒)王妃という身分でありながら、「健康」「自然」「軽快」な料理を求めたのがアントワネット。逆説的にロココ的。

 

平野ぐらし

 三連休も基本的に家居。来週と再来週はお出かけ・旅行と続くので出控える。

 何度か書いたが、出勤の都合で最近はきっちり時間を取って料理することがむつかしい。初日はこの欲求不満を晴らすために、朝から元町・湊川へ買い出しに行き、小半日かけて自分一人だけのために台所でせっせここしらえる。地味な品が多かったので、お客をするのもためらわれたのなり。

 この日の素人包丁は秋懐石(風)の趣向。献立は以下の如し。

○菊と小松菜の和え混ぜ、胡麻酢(酢はほんのり)
○栗、木耳、黒枝豆の白和え(栗は甘味、木耳淡口醤油、豆は塩と下味をつけて、和え衣はごく薄味)
○鯛の子含め煮、叩きオクラ、青柚
○小芋の辛子和え(白味噌と辛子と卵黄と酒を練る)
○柿膾(大根・人参・摺り胡麻、少し酢をきかせた味付け)
○にしんと茄子の炊き合わせ、酸橘
○椀盛(舞茸、鳥酒煮、茗荷、柚大へぎ)
○子持ち鮎山椒煮(番茶で下煮し、濃いめの酒と淡口、実山椒で煮る)
○沢庵二種(早めに出し、冷蔵庫で保管したおいたのと、桶から出したて、つまりほぼ一年寝かしていたのと。後者はかなりアレな見た目だが、塩が熟れてじつに旨い!)

 生魚でこれぞというのがなかったので、むやみに煮物和え物の多い膳組となった。


 二日目は昼過ぎまで読書、雨が小やみになった頃、散歩がてら東山の『しまだ酒店』へ。三杯ほどやってから、『てらむら』でもとめたワインをぶら下げて花隈『鷹楽園』。一周年のお祝いである。前の『アラスカ』も他にはない雰囲気の店だったが、こちらに移ってから、シェフはいっそうのびのびと“自分のしたかった料理”を展開されているようで、慶賀に堪えず。このままおとなしくご帰館あったのち、丹波の農家から届いた枝豆を真剣に湯がいてひたすらむさぼる。マメもここまでくるとビールなんぞでは太刀打ち出来ない気がして、冷や酒(常温ちうやつですな)をあおりながら豆三昧。

 最終日。すっきり晴れたので、シーツ類を洗濯したあと、平野交差点近くの小さな中華やへ初見参。八宝菜の定食に春巻を頼み、生中を飲んでいると、急に満腹になってしまう。

 まだまだ日も高いので、そのまま久々に湊山温泉へ。浴槽のタコもアヒルも健在であった。一時間ほど体をほどいて外に出ると漉されたような淡い陽差しと乾いた風が快く、もいちど交差点に戻って、これも久々に山田古書店で百円均一の本をあさるに、三冊見つかる。

 八十になってかような日々をこの土地で過ごせたらいいな、と思う。

漬け物をかめばしづまる秋の水

 不思議に思うのは、夢がなぜあんなに劇的物語的な内容展開を持つんだろうかということ。日常の風景・人間関係とまったく関係ない話だもんなあ。しかも目覚めてから我と我が構想力に感心したりもするし。根元的な物語乃至虚構欲求があるということか。こういうことを教えてくれる本はないのか。

 さて、相変わらず遅番が続いているので、碌な料理も出来ず、今回も読書備忘録のみ。ま、ようやくそれらしくなってきた秋茄子を使ってしば漬け(茗荷をふんだんにまぜる)や辛子漬け(甘みは極力おさえる)を漬けて当人は結構愉しんでおります。

○深津睦夫『光厳天皇』(評伝選ミネルヴァ書房)・・・光厳院は本朝歴代でもっとも慕わしい帝のひとり。光厳さん関係の本は出るたびに読む(なんといっても岩佐美代子『光厳院御集全釈』がすばらしい)。本書では持明院統の家長として心を砕く院の姿をクローズアップしたのが特色か。南北朝、および観応擾乱の複雑怪奇な(または目を覆わしむる)変転も要領よく取りさばき、いわば《虚の焦点》たる院の人間としての深みがいっそうあわれに浮かび上がる。遺言は、何度読んでも胸に染みいるものだ。自由な現代語訳で示せば――「葬礼で人を煩わせるなかれ。骸は山河に葬ってくれればいい。松や柏が塚に生い育ち、風や雲が時に訪れてくれたら、それはわがよき友であってまことに喜ばしいね。もし山民村童が砂遊びをするような気持ちで塔を建てるというなら、ちっちゃなものならそれもまたよい」。
○山極寿一・小原克博『人類の起源、宗教の誕生』(平凡社新書)・・・小原氏の山極氏に対する、はなはだ礼篤くして・・・その分スリリングさに欠けるのを憾みとする。
野口冨士男『私のなかの東京』(文藝春秋
○モート・ローゼンブラム『オリーヴ讃歌』(市川恵里訳、河出書房新社
渡辺保『昭和の名人豊竹山城小掾』(新潮社)
○『〆切本』(左右社)
フレデリック・ベグベデ『世界不死計画』(中村佳子訳、河出書房新社
○M.P.シール『紫の雲』(南條竹則訳、アトリエサード)・・・これまた世界破滅モノ小説。
○エマヌエル・ベルクマン『トリック』(浅井晶子訳、新潮クレストブック)・・・ナチスにすりよって生きのびるユダヤ人という魅力的な主題だが、個々のエピソードに通俗なものが多くてのりきれない。今どき、父親がサンタと分かって幻滅する男の子、なんて話、通用するかね!?華麗なる変身を期待する。
○カート・アンダーセン『ファンタジーランド 上下』(山田美明訳、東洋経済新報社)・・・ブッシュ政権誕生あたりから、アメリカがいかに質の低いキリスト教に席巻されているか、だいぶん明らかになってきた。著者はそれはそもそも建国以来のアメリカ固有の伝統なのだとする。読んでいてげんなりする(書きぶりに、ではなくあの国に対して)。もっとも世界に冠たる無宗教国家がそれとしてどこまで誇るに足るものかどうかは別問題。
○志村五郎『鳥のように』・・・「志村予想」のあの数学者のエッセイ。ぶきぶきした文体でずばずば踏み込む感じが愉快。たとえば丸山真男がいかに陋劣な―よく知りもせぬことを「格下」と判断した相手にふりかざして自分を賢く見せる―人格であったか、ということがよく分かる。
○小倉孝誠『逸脱の文化史』(慶應義塾大学出版会)
○リン・トラス『図書館司書と不死の猫』(玉木亨訳、東京創元社)・・・ホラーとして書いた、との作者の弁あり。有馬鍋島猫騒動のほうが怖いと思うよ。
松尾秀哉・近藤康史『教養としてのヨーロッパ政治』(ミネルヴァ書房
フランコモレッティブルジョワ』(田中裕介訳、みすず書房)・・・デジタル・ヒュマニティーズの騎手なんだとか。しかしそのデータの使いこなしかたよりも、文体のくまぐまを精細に見ることから小説史の大きな流れを展望する手つきがなかなかの見ものだった。著者もたびたび参照しているが、アウエルバッハの二十一世紀版という趣もあり。邦訳が他に数種出ているようだから、もう少し読んでみたい。
福田和也『大宰相・原敬』(PHP研究所)・・・この著者にしてなんでこの対象?と不思議だけど、さすがに手練れの筆つきで読ませる。大隈重信は政治家としてはダメで、あれは明治のスーパーテクノクラートなんだ、と評するあたり、大向こうから声がかかるところである。その大隈や犬養と仲が悪かったというのは意外だった。散文的な人柄・政策を押し通すあたりが、ともすれば奇人・異才ばかりの目立つ近代日本政治史の中ではやっぱり、大宰相の器だったんでしょうね。
○西園寺由利『三味線ザンス』(小学館スクウェア
○鹿子生浩輝『マキァヴェッリ』(岩波新書
ジム・トンプスン『バッドボーイ』(土屋晃訳、文遊社)・・・これは犯罪小説ではなくトンプスンの自伝。豪快な祖父(本文では「爺」)のキャラクターが傑作。様々な職業を流転するあたり、ピカレスクの味わいもあり。
ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』(岸本佐知子訳、新潮クレストブック)・・・初の長篇。もてない四十女の異様な妄想生活の描写に始まり、美人で巨乳で足の臭い(!)娘がそこに転がり込んできて、小世界は破綻し、そして再生する。翻訳も見事。ま、モーソー世界を岸本佐知子が訳すんだから、こうなるほかはない。
○ドノヴァン・ホーン『モービー・ダック』(村上光彦訳、こぶし書房)・・・ファンタジー小説かと思いきや、海洋ゴミの現状を追ったノンフィクションなのだった(ダックとは、座礁したコンテナ船から流出したお風呂用のあひる型玩具のこと)。アラスカの沿岸に延々とプラスチックゴミが堆積している光景は、著者の口調が控えめなだけに尚更おぞましい。
大木康『明清文学の人びと』(創文社
山下範久『ワインで考えるグローバリゼーション』(NTT出版)・・・これは鴻巣友季子さんの『熟成する物語たち』で教えてもらった本。あ、鴻巣さんのこのシリーズ(前作は『カーヴの隅の本棚』)、いいですよ。ワインを論じて厭味にならず、文学を評して理に落ちず。山下氏の筆致も好感の持てるもの。んー、にしても無性にボルドーが呑みたくなってきた。
橋本治『もう少し浄瑠璃を読もう』(新潮社)・・・『浄瑠璃を読もう』続編。相変わらず、というか最後まで節々が冴えている。じつはとっても「近代」な人が江戸という不思議な世界をためつすがめつしながら面白がっていた風情がよかったのだ。合掌。

パンチ&ジュディ

 ここに来てややバテ気味・・・夏痩せではなく、8月29日(ヤキニクの日)から三連チャンの焼肉パーチーによる肉食傷というのでもない。

 六月からずっと遅番のシフトが続いており、家事全般・買い出しには精励恪勤なる主夫(兼勤め人)としてはかなりストレスがたまっているのです。十一月末まで保つのだろうか、この調子で。すまじきものは宮仕え。

○トルクァート・タッソ『詩作論』(村瀬有司訳、イタリアルネサンス文学・哲学コレクション、水声社)・・・おおむねアリストテレスに則った詩論。アリオストの『オルランド』を批判している箇所もある。このシリーズ、ご贔屓のピエトロ・アレティーノの新訳も入るようで楽しみ。
○『塚本邦雄全歌集』(短歌研究文庫、短歌研究社)・・・一冊2000円でも高くはない。でも噎せ返るように濃密だから、全冊読み通すのには結構時間がかかりそう。
○コストマリー事務局/繻 鳳花『中世ヨーロッパのレシピ』(新紀元社)・・・出版社名で反応した人はファンタジー好きのはず。この本も同人誌「中世西欧料理指南」の改訂版として出されたもの。驚愕の名著『13世紀のハローワーク』といい、こーゆー過程で出来る本って増えてきてるんだなあ。
○板東洋介『徂徠学派から国学へ』(ぺりかん社)・・・明快な徂徠学解説の書と見た。冒頭の丸山眞男ばりのクサい文体も、体系全部をまるごと噛み砕き飲みくだしてやろうという鼻息、いや意気の強さの外に表れたるものと見ておくべし。ただし、そういう意味で、高山大毅さんのような、新たな問題系の提出には至っていない。望むらくは、徂徠学の問題系でついにときかねる壁にぶちあたって呻吟する様を暢達な表現で伝えてくれるような、学問の現場報告たる一書なり。
ジュリアン・グラック『街道手帖』(永井敦子訳)(風濤社)・・・エッセイ集。
芳賀徹『桃源の水脈』(名古屋大学出版会)・・・たいへん魅力的な主題ながら、水っぽい。やたらと東京大学東京大学と振り回すのも煩い。二点、見てみたい絵を教えてもらったことで辛抱しておきますか。
コンラッド『シークレット・エージェント』(高橋和久訳、光文社古典新訳文庫)・・・裏表紙の紹介文には「皮肉な筆致」とあるけど、普通に滑稽小説でいいのではないか。
オウィディウス『変身物語(1)』(高橋宏幸訳、京都大学学術出版会)・・・散々岩波文庫にはお世話になっていたオウィディウス。新訳は歯切れよく、清新。寝っ転がって残暑をやり過ごすのに最適。
○ロバート・リーチ『「パンチ&ジュディ」のイギリス文化史』(岩田託子訳、昭和堂)・・・冒頭の章では訳者の手になる「日本におけるパンチ&ジュディ小史」があって便利。伊東四朗パンチ&ジュディを演じていた、というのはなんとなく分かる(ただし園児向けにやや毒は薄めているとか)。所々で丁寧に上演されたあらすじが紹介されているのもありがたい。どのみち現代日本では絶対に見られない類いの芸だからなあ。。太夫・才蔵の古い型の漫才にもこういうあけすけに残虐な芸があったのかもしれない、ドツキ漫才の原型はここにあった、なんて論考があれば面白いのだがとか妄想する。妄想もうひとつ。鏡花の傑作長篇『山海評判記』のブキミな人形劇一座の出自は意外とここにないか。
長部日出雄『愉快な撮影隊』(毎日新聞出版)・・・追悼長部日出雄
○乾石智子『夜の写本師』(東京創元社)・・・「写本」のモチーフはもう少し丁寧に、いやこってりと扱ってほしかったが、佳作と言えるでしょう。今頃何言ってんのと莫迦にされそうだが、読む本は多く人生は短し。
○徳富猪一郎『蘇翁夢物語』(中公文庫)・・・さすがというか、尻尾をつかませない書きぶりがいっそ愉快。
辻静雄プルーストと同じ食卓で』(講談社)・・・辻静雄が文学者を招いて、文学作品に出てくる(またはその当時の雰囲気を再現した)料理でもてなす。ため息の出るような贅沢な料理。もちろん食材の高価ということもあるが、今風の料理ではないくらい手が込んでいる。

 料理といえば、北窓書屋主人菱岡憲司氏のブログで教えられて
○『「ラ・ベットラ」落合務のパーフェクト・レシピ』(講談社)・・・を買う。ま、イタリア料理ということもあって、辻さんの本に出てくる料理よりはうんと簡素なんですが、それにしてもかなり現代的になっている。少しの工夫でたしかに味は変わるものだ。パスタのような特にシンプルな料理だと違いは露わ。ただ、和食以外はほとんど作らない鯨馬にも、2019年現在ではやや常識となっている技法、もしくは移り変わった技法が含まれると見えた。というわけで、もっと現代的な調理法はどうなっているのか、と探して、次は
○『イタリア現代料理の再構築』(旭屋出版)・・・を読む(落合氏が代表をつとめるイタリア料理協会編)。ここまで来ると鯨馬なんぞの論評できる範囲ではありませんから、単に楽しんで読みました。伝統技法と現代的「再構築」が併記されているのがありがたい。日本料理も、低温調理はじめ、だいぶ新手がなじんできたようだが、かといってこれくらい流通が発達したあとは結局好みの問題になってくるのではないか。現に、
○高橋英一/高橋義弘『京都・瓢亭四季の日本料理』(NHK出版)・・・のごとき、「超」の字のつくオーソドックスな献立のかくも美味そうなこと。まずは若竹煮や冬瓜の葛煮を直球ど真ん中に打ち込める腕がなければ話にならないのだ。そして家庭料理でその腕があれば充分なのである(問題は今の料理人のうち何割がその腕を持ってるか、ですな)。

北へ南へ

【北篇】
 草津のビストロ『ロンロヌマン』さん、と書いたのではいかにも他人行儀の感じがする。前田卓也シェフのファンとしては「前ちゃんの店」という認識。今回も堪能しました。

○前菜1:野菜三種。①マッシュルームのサラダ・・・キノコは生。チーズとヴィネガーで和え、さらにグリュイエールをふんだんにかけている。なのに味の軽さが「おっ」という感じ。②キャベツのサラダ二種・・・紫の方はヴィネグレット、白い方はクミン風味。どちらも混ぜてあるハムやサラミを噛み当てるとき、じわーっと幸せを感じる。
○前菜2:ハムエッグ(!)。ちゃんとメニューにもおすすめ印が付いておる。ハムと卵の上にはサマートリュフをふんだんにあしらって。黄身に切れ目を入れ、ハムにたっぷりまぶし、サマートリュフをのっけて口に運ぶと、思わずニタニタしてしまう。シェフは「ソーセージの嫌いなヒトとは友達になりたくありません」という名言の主であるが、その彼に「ハムエッグを食べて嬉しくならないヤツも人間としてどうかと思うね」などとコメント。目下アンチ炭水化物キャンペーン絶賛実施中ながら、「お大師様、どうかお目こぼしを」と唱えつつ、パンのおかわりをもらって黄身もあぶらも残さずさらってしまう。
○前菜3:ハム類の盛り合わせ。シャルキュトリに力を入れてる店だから、主菜としてもいいくらいの充実ぶり。①ロースハム:これが本日の秀逸。柔媚にまとわりつく感触がこたえられない。②モルタデッラ:薔薇いろのレースのような切り口。ロースの、官能中枢に直接ひざげりしてくるような艶っぽい味より、もう少し花やか。③パストラミ:味がくどくて今までもひとつ好きになれなかったパストラミがしっとりと品のいい香りに仕上がっていることに驚く。
 ハム・ソーセージは言ってみれば、肉の塩干モノなわけで、乾物が大好物の鯨馬が、こういった肴で白葡萄酒(ブルゴーニュのラ・ロッシュ・ヴィニューズ2015)を愉しむのはまことに筋が通っている。
○主菜:近江シャモの煮込み・・・「せっかく滋賀に店を作ったのだし」、と仕入れはあの『かしわの川中』さんから。値は相当張るが、「スープののびが違う」のだそうな。ここの肉を買ったこともあるし、直営『穏座』で食べたこともあるから、そうだろうそうだろう、と首肯できる。実際、とろとろに煮込まれた皮の部分とダシをバターライスにまぶして頬張ると、炭水化物断ちをしてるかどうかに関係なく、なんとなく甘美な罪悪感をおぼえてしまう味だった。お大師様の他にもお祖師様観音様お不動様などご一統にお許しを乞いつつ綺麗に平らげる。

 食事の成功は、味は無論のこととして会話が愉しいがどうかに大きく依拠する。そして実際ここまでシェフ、ソムリエールの奥様と三人たいがいわあわあやってはいたのだが、いかんせん草津より神戸に戻らねばならぬ身とて、今回はここでお開き。

 しかし考えればなにも家に戻らねばならぬことなどないのである(危険思想でしょうか)。これも前田さんお得意の、そして鯨馬の酷愛する野鳥がこの冬には登場するらしいから、是非とも草津駅前のホテルに泊まり、もっと時間をかけてジビエ血と骨髄をすすりまくり、旨い葡萄酒を味わい、もっとわあわあ談笑せねばならぬ。
※前田シェフのジビエ料理に関しては、拙ブログ「プロの秋、アマの秋」「年の瀬に怒る」「鶉が叫んで冬が来る」も併せ読んでいただければ幸甚です。

【南篇】 
 草津の翌々日には、『ピエール』ご夫妻のお招きを受けて淡路へ。昼日なかからの宴会、バーベキュー、花火、朝からカレー、海水浴、ともう間然するところなき「夏合宿」でありました。同行の皆様も大好きな方々で、やっぱり始終わあわあ騒いでいたのでありました。四十路も半ばを越えて、こういいう遊びがあろうとは。
 あと、澄み切った淡路の海もよかったなあ。海水に浮かんでぽけーっと朝の月をながめていると、涙がでちゃう。くらいに幸福だった。

 駄句ひとつ。
山百合にささやく少年の日の秘密  碧村

 夏はおわった。

 

忍び寄るもの

 呑んで帰った時、マンションの階段で転倒、二週間ほど矢吹ジョーないしお岩様のように左目周りが腫れていた。それから一月ほど、激しい雨音に目を覚まし、居間の窓を閉めに行く途中、突然気を失って倒れた(数分意識がなかったようだ)。このときは膝をうった。「人の世の旅路のなかば」という詩句が痛切に身にしみる。

 だから、別段流行に乗って糖質制限しはじめたわけではない。元々あんまり興味が無かったけれどもなんとなく食べにゃならんのだろうなあと思い込んでいたところ、「そうでもありませんよ」と各方面から教えられて渡りに船とばかり飛びついた、という次第。

 朝・昼(弁当)の飯はぐい呑みに軽く一杯。夕食にはまったく食べない。その分、野菜・乾物いろいろ・肉・魚をもりもり食べる。ただし酒は“特別会計”として、焼酎・ウィスキー以外に、ビール・清酒・ワインといえどもこれを嫌わない。がぶがぶ飲む。それでもカロリー摂りすぎとは思えない。現に三か月足らずで三キロは痩せた。

 といって、たかだかダイエット療法程度に頭から湯気を立てるのは阿呆らしいので、外食のコースの時など、気にせずに食べる。『鷹楽園』の激辛焼きそばも『トラットリア サッサ』のイカスミパスタも、『海月食堂』の冷製担々麺・冷やしラーメン、いずれも美味しく頂きました。「腹いっぱいにするため」という枷が外れただけ、純粋に味を愉しめるようになったのかもしれない。

 ま、いくら食っても太らない十代二十代へのやっかみ半分なんでしょうな。

 読書がそうなっては終わりだわな、と思いながら、進行する老眼をかこちつつ本を読む。

石井公成『東アジア仏教史』(岩波新書)・・・いかにも日本的と思われている親鸞の思想を、たとえば東アジアという地平のなかで見てみるとどうなるのか。中国的仏教である禅・浄土を受け入れる際、何を切り捨てたのか。てな問題が浮かんできたりする。そういえば四方田犬彦さんも親鸞解読してましたね。
○スチュアート・ケルズ『図書館巡礼』(小松佳代子訳、早川書房)・・・長短様々な章からなる。寝転んで読もう。
大岡昇平小林秀雄』(中公文庫)・・・『本居宣長』には奇妙なほど沈黙している。一流の知識人でもあって、骨の髄までの文士、という人だったのだ、大岡昇平
アレクサンドル・デュマ『千霊一霊物語』(前山悠訳、光文社古典新訳文庫)・・・題名通りの珍品ではあった。
河合隼雄・松岡和子『決定版 快読シェイクスピア』(新潮文庫
○青木健『新ゾロアスター教史』(刀水歴史全書、刀水書房)・・・贔屓の学者のひとり。
○中村隆文『リベラリズムの系譜学』(みすず書房
○中路啓太『ミネルヴァとマルス 昭和の妖怪・岸信介』上下(KADOKAWA)・・・小説仕立ての伝記。陰キャにしか見えない主人公の陽気・豪気な部分に照明を当て、逆に吉田茂小林一三といった“宿敵”のほうが陰険そうに描かれている。陽気な統制派と陰気なリベラリスト。こういう切り口で戦前のあの社会を小説にするというのは発見。
○宮下規久朗『闇の美術史』(岩波書店
○宮下規久朗『聖と俗 分断と架橋の美術史』・・・宮下先生は、この書に限らず、ずっと“聖俗”という問題意識を持ってこられたと鯨馬は考えている。そしてそれを御専門のカラヴァッジョ研究だけにとどめず日本のポップアートまで視野に入れて考え続けているのが凄い。というか凄味がある。
○池上英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(筑摩書房)・・・大冊だが、生涯編・作品編と分けて、それぞれに汗牛充棟の学説を綺麗に整理してくれているので、大変便利な本。
アンドレ・ブルトン『魔術的芸術』(巌谷國士監訳、河出書房新社)・・・新装縮刷版。前の本は重すぎて寝転んで読むには危険だった。
エドゥアール・シャヴァンヌ『泰山』(菊地章太訳、平凡社東洋文庫
○マーク・フォーサイズ『酔っぱらいの歴史』(篠儀直子訳、青土社)・・・内容は、ま、書名の通り。類書がたくさんある中で、いかにもイギリス人らしい皮肉の効いた口調が面白い。この著者がレトリックの本を書いてるというので早速ポチってみたところ、これもまた面白い(The Elements of Eloquence  Secrets of the Perfect Turn of Phrase )。レトリック好きにおすすめしたい。
○津野梅太郎『最後の読書』(新潮社)・・・老眼等々で本が読めなくなった、という話柄でからっと読ませるのがいい。
池内紀『ことば事始め』(亜紀書房)・・・鴎外『雁』の解釈に唸った。そうか、あれは滑稽小説だったのか!
 滑稽小説といえば、最近国書刊行会ボルヘスの『バベルの図書館』新装版を刊行した。旧版はほとんど読んでいたにも関わらず、数冊を合綴した装幀の迫力(カヴァーを剥ぐといっそう凄みがある)に圧されて手に取った。今までばらばらだった作家が一冊にまとまっているので、読み方に一種のゆがみが生じ、それが新鮮。たとえば、ドストエフスキー『鰐』(野卑でどす黒いユーモア)の照り返しに目を細めつつ、その前のカフカの諸篇を読み直すと、やたらと可笑しい(文字通り笑える、という意味)。そして意外に瀟洒。まあ、これは池内さんの訳文が《語り》の調子をきれいに活かしているからでもあるのだろうが。この調子だと、かつては退屈で仕方なかったレオン・ブロワなんかもおもしろく読み返せるかしらん、と今から楽しみ。
○藤田昌雄『陸軍と厠』(潮書房)
宮田光雄『ルターはヒトラーの先駆者だったか』(新教出版社)・・・書名と関係のある論考は一篇のみ。それも神学的な検討ではなくドイツの栄光を発揚した民族英雄の系譜という切り口だった。ので勝手に考えたが、やはりカトリックからヒトラーは生まれないんではないか。
関曠野『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』(NTT出版)・・・イエスは仏教の宣教僧だったのではというところから始まる。著者がいう「スキャンダルとしての思想史」なんでしょうな、これは。私はあはは。あはは。と愉しみながら所々でグラスを置いて(飲みながらのほうがいいですよ)ふーむ。と考えた。それにしても日本を褒める人たちってなんで会津、とか上方、とかいうスケールで発想しないのかな。
 田辺聖子さんを偲んでは三冊。
○『田辺写真館が見た“昭和”』
○『姥ざかり花の旅笠』・・・江戸時代、九州の奥様連中三人が善光寺・日光・江戸・上方を見物した旅日記を基にしている。おっとり花やいだ叙述が、いい。
○『いっしょにお茶を』
○ジョン・G.ストウシンガー『なぜ国々は戦争をするのか』上下(等松春夫他訳)・・・むろん鯨馬は戦史については全くの素人だけど、その眼から見てもえらくナイーヴな史観だなあと思う。評価軸もブレてるようだし。
小林信彦『生還』(文藝春秋)・・・脳卒中で入院した顛末の記録。その主題はともあれ、いい意味で独り合点な文体にますます磨きがかかっている。いつかこの著者は小林秀雄の文体を評して「東京者のせっかちな口調」といったが、それに近づいているのか。
○山川三千子『女官 明治宮中出仕の記』(講談社学術文庫)・・・なぜか心にしみた明治帝のことばをひとつ。「わしは京都で生まれたから、あの静かさが好きだ。死んでからも京都に行くことにきめたよ。」貞明皇后への隠微な批判も見え隠れする。
○ジョゼフ・ミッチェル『ジョー・グールドの秘密』(土屋晃訳、柏書房)・・・日本語版ミッチェル全集(選集か)というべき四冊のなかではやっぱりこの一冊がいちばんいい。なんといっても表題作がいいもの。巻末の青山南さんのエッセイも入魂の文章。私はこの青山さんの推理、当たってると思います。それにしても訳者はいうまでもなく、このシリーズを出してくれた柏書房さんに乾杯!
○ソフィア・サマター『図書館島』『翼ある歴史 図書館島異聞』(市田泉訳、東京創元社)・・・世界幻想文学大賞をとったハイ・ファンタジー。もひとつ。いかにも「異世界の風物・習俗をちりばめました」的な文体がなんだか洒落くさくてねえ。ゲームだと設定はいくら細かくても構わないのだけど。小説はやはり雰囲気ではなく、モノを伝える文章で語ってくれないと。

○向後千里『富士山と御師料理』(女子栄養大学出版部)
宮内庁侍従職監修『宮中 季節のお料理』(扶桑社)・・・興味深い発見がいくつも。盂蘭盆会の料理が出たり(神道の親玉の家にして!これぞ国民に寄り添う皇室と申すべきか)、年越しそばが出たり(御所を移るときには引っ越しそばも出るのだろうか)。それにしても、吸い物がみな磁器の椀で出るのは、中身はともかくなんだか不味そう。心から同情申し上げます。
○村田吉弘『和食のこころ』(世界文化社
塩田丸男『ニッポンの食遺産』(小学館
○小倉ヒラク『日本発酵紀行』(ディアンドデパートメント)
いしいしんじ『ある一年』(河出書房新社)・・・食日記という体裁だが、やたらに面白い。文学というのはこうあるべき。ある若手エッセイストの本(食べ物について語った本ばかりを扱う本)は、文章がぬるくて読めたもんじゃなかったもんな。
川上弘美『卵一個ぶんのお祝い。』(平凡社)・・・これもそう。どこを切っても作家の樹液がぽたぽた垂れるような川上ワールド。

 

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本当にメモ

 梅雨入り前の風は本当に気持ちがいい。昼酒呑んで川ばたを歩いて帰る時などは特に。

 最近読んだ本。このところ色々弱り気味なので、いつも以上に無愛想なメモとなる。

 

柄谷行人『世界史の実験』(岩波新書

○山泰幸『江戸の思想闘争』(角川選書

村上春樹『若い読者のための短篇小説案内』(文藝春秋)・・・とことん実作者の視点から、というところが面白い。といって技術批評に終始するのではなく、それぞれの作家の核に当たるぬるっとした部分に控えめながら言及しているくだりこそが読みどころ。

○市川裕『ユダヤ人とユダヤ教』(岩波新書

○ケイトリン・ドーティ『世界のすごいお葬式』(池田真紀子訳、新潮社)

鈴木健一不忍池ものがたり』(岩波書店

○田中祐子『公共的知識人の誕生 スウィフトとその時代』(昭和堂

○バーツラフ・シュミル『エネルギーの人類史 上下』(塩原通緒訳、青土社

○北村暁夫『イタリア史10講』(岩波書店

○国分功一郎・互盛央『いつもそばには本があった。』(講談社選書メチエ)・・・連作エッセイというスタイル。対談はどうしても薄味か情報過多になりがちだから、こういう書き方はもっと試みられていい。

○桑木野幸司『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴』(講談社選書メチエ)・・・イエイツの浩瀚な研究書はちょっと・・・という人にお勧め。たいへんすっきりと整理してくれている。この著者の本や論文、もう少し読んでみたい。

○倉田実『庭園思想と平安文学』(花鳥社)

○フィリップ・ソレルス『本当の小説 回想録』(三ツ堀広一郎訳、水声社)・・・今回はなんといってもコレ。ソレルス読んだことない人でも面白く、何作か読んだ人ならなおさら、ソレルス贔屓ならいうまでもなく愉しめる。相変わらず好き勝手言い放題だなあ、全く。悪びれないところに風情、というか妙な色気あり。

 

本当の小説 回想録

本当の小説 回想録

 

 

 

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