俳諧無茶修行またまた・坤の一

名残折表
飯盒に焦げし跡あり主や誰 桃
*初案では下五「ピクニック」。前句(「春の入り江にうろこ散りけり」)に穏やかに寄り添った、とコメントがあった。それにしては「主や誰」の問いかけが気になる。当然次はそれに答えないとならない。

傳説となる敗殘の兵 碧
*ヨコタさんとかオノダさんの俤。

一聲は猿の啼いたか森の奥
*前句は「伝説」「敗残」とあって、やや謎含み。師匠はそこを啼いた「か」と受け止めてくれた。猿でないものに取りなすという付けも出来るところ。


觴(さかづき)干せば絶句十篇
*出来るところではあるが、ま、猿が啼くつったらやっぱり李白でしょう。教科書にもよく載る有名な詩ではあるが、掲げておきます。

朝辞白帝彩雲間(朝に辞す白帝 彩雲の間)
千里江陵一日還(千里の江陵 一日にして還る)
両岸猿声啼不尽(両岸の猿声 啼いて尽きざるに)
軽舟已過万重山(軽舟 已に過ぐ 万重の山)

 「李白一斗詩百篇」の詩人だから、盃一杯で詩が十篇ではすこし勘定にあわない気もするが、そこは詩的誇張ということで。

おいらんは筆を朱唇で湿しけり
*江戸の傾城は容貌のすぐれていることはもちろん、琴・三味線・胡弓・浄瑠璃・和歌・俳諧・絵画・書道・香・茶・立花・・・とあらゆる技芸教養の備わっていることが求められた。漢詩もそのうちの一つだから、前句の「絶句十篇」はおいらんが詠んだものとして何も不自然ではないのである。師匠のこの句は、「觴干せば」から罰ゲームのような場面を連想して作ったのではないか、と思う。
 それにしてもこの句、読みようによっては、というよりかなり露骨にエロティックである。桃色ジイサンの面目躍如というところか(師匠、言いたい放題で済みませぬ)。どう続けるか。おそらくこのままワ印的光景で継いでしまったら、歌仙中もっとも大胆な飛躍の続くべき名残折表が、低回趣味に沈淪してしまいかねない。
 初めに考えたのは「水漬く骸に片袖ぞなき」。つまり、いきなり心中、それも男が逃げて(片袖を形見に切り取って)花魁の骸だけが河原に寄りついているという場面に飛ばしてみたのである。
  凄みとあわれが寄り添っていい句だと思うが(我ぼめはお許しあれ)、「伝説となる敗残の兵」にしても「觴干せば絶句十篇」にしても、やや強く張った、構えた句作りなので、同趣向を避けるために涙を呑んで片袖は捨てた。

小梅の寮に咳のかぼそき  碧
*「寮」は別荘。小梅村あたりには風雅な別荘も多かったとか。商家の旦那の囲い者になってが、肺を病んで療養中・・・とまでストーリーを作らなくても、咳まで品のある声がのどやかな田園の、瀟洒な住まいからきこえてきたとするだけで充分です。道行く人が「あれは元女郎だね」とか勝手に妄想しているわけ。芭蕉は恋は必ず二句続けるべし、と宣っているが(そして、実際彼の恋句はみな見事なのだが)、逆に三句以上続けるとくどくなるようにも思う。ここは恋離れを師匠に催促申したつもりである。

深川やあはれ乞食の返り討ち 桃
*こちらの気分をちゃんと汲み取ってくださった(と思いたい)。自注では「どことなく黙阿弥調」とあった。

波ともなしにきしるゴンドラ 碧
*初案は「榎の木の下はたゞ蝉しぐれ」、「三町さきの犬の遠鳴き」。作ってからふと、小梅―深川ときたので、そろそろお江戸散歩も打ち止めにせねば、と思った(それに後者は「猿の啼いたか」とも重複する)。どこか日本ならざる場所へ。といって地名が三句続くのもうるさい。深川=水の町からの連想。

満潮に歎きの橋も浸されぬ 桃
*師匠の自注「ごく自然な流れです」。そのとおり、この句に関して特に付け加えることはない。ただ、ゴンドラ・歎きの橋とヴェネツィアの景が二つ続いたので、①舞台を他にうつす②人情・人事を詠む、という条件を自分に課して付けることになる。

衣冠たゞして諫奏に出づ 碧
*「諫奏」は臣下が天子の面を冒して忠言を呈すること。ま、決意の朝というところ。前句を心象風景ととらえて付けた。「ただ歎いているだけだったが、事態の深刻(凄惨、苛酷、急迫エトセトラ)さに、憤りをおさえかね、憚らず申し上げます」。詠んだ時はまったく意識していなかったのだが、今見ると、大震災の余波がここにも暗く響いているような気がする。詩とは不思議なものだ。

  次が名残の月の定座(名表十一句)です。いやに緊張した場面から、師匠がどのように月を出してくださるか。まるで韓流ドラマの幕切れのようですが、気を持たせたままこの項つづく(二十二日現在、まだ句は来ていない)。

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