川のほとりに鮎の宿 〜徳島一泊旅行(1)〜

 『鯨飲馬読記』、七月はじめの記事として徳島旅行記をお届けします。

 旅行といっても一泊なのですが。

 移動時間がなるべく短くて済む町、ということで岡山か徳島か福井というところまでは絞り込んでいたのだが、さる食いしん坊の友人にたまたま旅行の話をしたところ、「おまえが喜びそうな料理屋がある」と強く推してくれたのが徳島だったのである。

 神戸から徳島までは高速バス。三宮まで出て、ホテルのホットケーキモーニングを食べ、ゆっくりコーヒーを呑みながら出発時間を待つ。雨粒は落ちてきていないものの、今にも崩れそうな曇天。雨の中はじめての町を歩き回るのも悪くないぞ、と自分に言い聞かせる。

 明石海峡大橋を渡るのは二年ぶりくらいか。前は出張、つまり普通車で渡ったのでそれほど意識はしなかったが、バスだと車高がある分、車道横のケーブルが間近に見える。それが橋の中央に近づくにつれ、急勾配で上に伸びてゆく。

 こちらは高所恐怖症の気味有り。しかし人間の心理はまことに複雑な動き方をするもので、ついそのケーブルの上に立っていたらという想像が働いて、バスの座席にいながら一人でリツゼンとしてしまう。この恐ろしさは翌日、実際の体験となって襲来するのですが。

 さて徳島駅に着くと、すぐ駅前のホテル・サンルートに荷物を預けて、今度は徳島市バス佐那河内線神山高校行というやつに乗り込む。目指す料亭(「虎屋壺中庵」という)はここから四十分ほど西に向かった先にあるらしい。

 バスは失礼ながらいかにも鄙の赤字路線という感じ。つまり賑やかに方言の会話を交わす老人と、定期試験帰りか、午前なのにやたらと数多い高校生という客ばかり。

 明らかに場違いな旅行者の風体に居心地の悪さを感じながら、立葵凌霄花が目立つ山道の風景に気持ちを集中させる。

 朝宮というバス停で降りた時には乗客は当方ただ一人となっていた。時刻は十一時五十分。バス停のすぐ側、川縁に店の所在を確認できたので、予約まで十分ある時間を使って、これもバス停の真ん前にそびえる朝宮神社に参詣した。「そびえる」というのは、本殿までかなりの勾配の石段を登って行かなければならないからである。お宮そのものはまあこれということもない建築だったが、石段とその周りの石垣に組まれた青緑の石が雨に濡れていよいよ荘重な艶を見せているのは思わぬ景物だった。

 さて肝腎の壺中庵。塀をめぐらせた数寄屋造の一軒家である。門から玄関までの庭の緑が濃い。庭木の葉にもびっしりと水滴が付いている。

 玄関を明けると和服の女性が迎えてくれた。そのまま二階の座敷へと案内される。車でしか来られないだろうから、神社境内にあったこの店の駐車場に一台も止まっていなかったことからして、相客はないのでしょう。怪しいほどの静けさ、といっても横を流れる川音は相当なものである。座敷のしつらいはさしたることなし。

 料理は以下のとおり。

○梅酒
○先付 手長海老とオクラと青梗菜の冷製(ちょっとゼリーが固いかな?)
蓴菜(ほんの少しだけ酢の風味がするだけ。酒の肴にはうってつけ)
○八寸 鱧手毬寿司(飯の加減がよろしい)・ずいき胡麻和え・鱧の子(鯛の子?)ゼリー寄せ
○椀  鮑しんじょ・椎茸・三度豆・柚(しんじょには微塵に刻んだ鮑も混ぜている。椎茸の立派なのと、汁が気取って言えば一瞬響いた旋律のように淡い味付けであるのが気に入った。むろん酒の相手としては絶好の加減だからである)
○造り 鯛と鱧(鯛は山葵醤油で、鱧は煎り酒で。あしらいは芽甘草と生海苔。最近の天然鯛は養殖の生け簀まわりに集まって餌のおこぼればかり食べているから脂くさくてよくない、という話を聞いたことがあるけど、さすがに鳴門の鯛は格が違う、といいたい。鱧は生。ねっとりした歯触りと煎り酒の香ばしさがよく合う)
○焼物 鮎塩焼き(待ってました、というところ。近くの川で主人自ら釣ってくるのだそうな。二尾付いている。骨をどうとるか、なぞこざかしい技は弄せず(もっとも少々酔いが回ってめんどくさくもなっていた)、アタマからむしゃむしゃとやる。いうまでもなくワタの部分が一等旨い。蓼酢の力もほとんど借りずに平らげる)
○炊合 冬瓜・車海老

「おでんでん」という面妖な名前の、しかし結構いける地酒(佐那河内村で米から作っているらしい)を何度もお代わりしていると、「茄子うるかです」と出してくれる。これが素晴らしい。油で炒めた茄子を贅沢にもうるかで炊いた一品。おそらく味付けにはうるかしか用いていない。それくらい苦みとコクが効いた味で、これならば飯のおかずにも合う、炊合が出たから後は汁と飯になるはずなので、酒はここで切り上げてこれも飯用に一箸ぶんとっておくか、お代わりを頼むのもはしたないようだし・・・と我ながらしみったれた計算をしていると、鰻が来た。

 もちろん天然のやつを蒲焼きに。茄子うるか以上の傑作である。タレは濃すぎず(だから早速酒のお代わりを頼んだ)。歯を当てたときはまるで上等の地鶏の腿肉のようにしっかりしているのに、そのくせ舌ではほろほろと崩れていく。透明な脂がじゅっとしみ出た瞬間、しっかり甘味を味わうべくとどめる余裕もあらばこそ、反射的に呑み込んでしまっては後悔することを繰り返していると、あっという間に半身が消えてしまう。慌てて箸先を香の物に切り替える。胡瓜・白瓜・人参の糠漬け、きちんと漬けているのがわかる。ここで酒は切り上げ。

 鰻の残りで飯を食べ終えると、グレープフルーツのゼリー(半分に切ったままの形で、果肉を取り除いてゼリーにしたものを戻している)が出てあとは水羊羹とお薄。

 この間、料理を運んでくる女中も女将もほとんど無言。女将に至っては「川音はいつもこれくらい響くんですか」というこちらの質問に「ええ、そうです」とにこりともせずに切り口上で返すのみ。ここを紹介してくれた友人から「旨いことは旨いが、しかし愛想は期待してはならない」と忠告されていたので、そのことばを思い返すとかえって女将の対応が可笑しくてついこちらの表情がゆるんでしまう。おそらくは酔っ払っていたと思われてたんだろうな。

 抹茶のあと、濃いほうじ茶を運んできてから、これまた面妖なほど物音がしない。こちらは朝早くから動いていたこともあり、酒に満腹と条件が重なって眠気耐え難し。

 次に予約が入っているという様子でもなさそうなので、店の者が来ないのを幸い、三十分ほど畳にひっくりかえって午睡を愉しませてもらった。目覚めても川音は変わらず。勘定の催促も来ず。このままどこまで居座れるか。能面のような女将さんの柳眉をさかだてさせて見たくもあり。

 と思いながらも、下に降りて勘定を済ませる。往復のバス代を入れても安いんちゃうかな。まあ、鰻がある季節でないともったいない気もするが。

 店を出て、帰りのバスまではまだ三十分以上ある(やはり寝ておくのだった)。村のちっとも便利らしくない古ぼけたコンビニで缶コーヒーを買い、しきりに近寄ってくる蜂と格闘しながら、岩波文庫の『エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話』を読む。今回の旅では古本屋には寄らないことを固く決意していたので、時間つぶし(といったのでは一代の詩宗に失礼ながら)にヴァレリーを二冊持ってきていたのだった。あと一冊は平凡社ライブラリー版の『セレクション』下巻。瀬戸に臨む城下町で港町セート生まれの詩人に親しむというのも我ながらくだらない語呂合わせながら、しかし、梅雨空のもやもやに配するにはくらくらするほど明晰な散文を以てする他はない。といささか自負の念がなくもない選択なのである。

 かつて『全集』で読んだ時とくらべ、どれもより上質の翻訳になっているようだが、「樹についての対話」がことに秀逸。ヴァレリー独特の、《本質》を求める知性の律動がいつか官能的な触手の愛撫にも似てくる、その散文のダイナミクスが、〈樹〉の生のありかたと二重写しになってくるところが、矢も楯もたまらず美しい。この言葉でもって壺中庵の鰻の味を分析してもらいたかったものである。

 まだここまでは昼飯だけの話。徳島に戻らねばなりません。

 ホテルでチェックインして早速街歩き。幸いまだ雨は落ちてこず。とりあえず眉山にロープウェイで上る。乗客は当方と柄の悪そうな男子高校生のみ。山頂でヤンキーの集会でもあるのかと思いきや、ビアガーデンのバイトなのだった。

 雨は降らねどさすがにどこまでも空は煙って、晴天なら見えるという紀伊半島・淡路島は展望台からも望むべくもない。ややしおたれた気分で展望台横のモラエス館に入る。ここも相客は無し。説明役のボランティアをおぼしき地元のおばさんと二人きりという、気詰まりな状況ではあったけど、たまたまこちらが副領事(のち総領事)モラエスの赴任地だった神戸に住んでいることもあり、また彼の『日本精神』も読んでいたこともあって、いわゆる観光案内的な型どおりの口上は聞かずに済んだ。おばさんはラフカディオ・ハーンと比べてモラエス知名度が低いことをしきりに口惜しがっている。地元の方としては当然の反応ながら、こちらは隣国スペインの豪壮(と傲岸)を持たないままひっそりと世界史の表舞台から身を退いたポルトガルという国に似つかわしい慕わしさがある、モラエスの牛のような優しい眼はしっとり濡れたこの街にふさわしいものだ、と考えつつ、しかしそれを言うのは旅行者の立場としては不躾にあたるだろうと、沈黙気味におばさんの慨嘆にうなづいていた。

 モラエス記念館の外壁もまた、朝宮神社と同じ青黒い石で作られている。「徳島の青石は有名、他の土地ではこれをふんだんに使うのはかなりの贅沢になるらしい」とおばさんが教えてくれた。礼を言って館を出る。

 ロープウェイで一緒だった高校生はいかにも着心地の悪そうに白シャツ・蝶ネクタイのボーイスタイルに着替えている。これから本格的な夏になれば、山上の風に吹かれてジョッキを空けるのはさぞ心地いいだろうが、今日のような天気ではさすがに客は来ないだろう。手持ち無沙汰の従業員たちを横目に、一人でビアガーデンを独占も風流かとも一瞬思うが、酔狂の過ぎたるは悪趣味の如し。そのまま山を下る。

 山下を囲むように伸びる寺町の一角で、かつて藩主の飲用に供していたという錦龍水を味わい、あとはひたすら街を歩き回る。昼は友人の紹介で有名店に行ったのだから、夜は店の入り口の印象だけで判断して飛び込むつもりなのである。鷹匠町・栄町という盛り場の道筋を二周したあげく、「地魚」「地いか」「地たこ」「地とり」とだけ品書きに書いてあった小体な店に入る。名前は『瀬戸際』。アイロニーが効いていてよろしい。

 カウンターのみ、有線では演歌、奥の席では地元サラリーマンらしいおっさん二人がちびちびやっている、と、まあここまではいいが、店の壁あちこちに「有名人」の色紙が貼られているのを見て厭な予感。

 予感が裏切られたのは幸い。「誰それが来た」式の話は一切無しに、腰の低い奥さんが丁寧に給仕してくれる店であった。主人はときおり調理場から顔を出して、ぽつりと会話に口をはさんでくる。ここで食べたのは「地いか」刺身(針イカ。半分は山葵醤油で、半分は黄味醤油で)、「地たこ」天ぷら、「地魚」いさきの塩焼き、それに大鉢から酢の物とおから(このスタイルは実は好きではないけど)。

 「ウチみたいな小さな店だと、地物しか買えないから結果としてこういう品揃えになった」と奥さん。「全国各地の名物を揃えた店は結局どこにでもある店にしかならないですよ」と答えながら、昼間は酒ばかりだったので奥さんの勧めによって鳴門金時の焼酎を呑む。

 二軒目は『瀬戸際』で教わったバー。天井がこころもち低めで、奥に長い造り。女性がシェイカーを振っている。落ち着いた空気で、店の人も構えず出しゃばらず、いい感じのバーだった。

 三軒目もバー。バーテンが徳島ラーメンの店も教えてくれたのだが、もともとラーメン嫌いでもあり、その上「時々地元の人間でも『濃い』と思う」と聞いたのでは尚更行く気にはならず。別に教えてもらったバーに入る。開けて半年くらいながら、客あしらいはこなれてまずまず。横に座った、台湾から来たという身長百九十センチ、体重百キロ(!)の巨漢が、たどたどしい日本語で「阿波踊り、とてもカッコイイ」としきりに繰り返していたのは徳島のために慶賀すべきことだった。

 
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