夏の食卓

 酷熱甚し。せめては夕餉の膳の上にだに涼風呼び込まむ。

○新蓴菜の山葵酢・・・山葵くらいは本物使いましょう。もちろんキリキリ冷やしておく。
○空豆・・・名残の時期だが、まだ緑濃く綺麗な豆だった。
○ずいきの酢味噌・・・これもちべたーくして食べる。
○焼き茄子と三度豆の山椒味噌和え・・・煎りたての黒胡麻を擂りたおしたのを、味噌と同量混ぜる。これはほの温いくらいがよろしい。
○鱧の子の玉〆・・・鱧の子は結構生臭いものだから、一度湯がいて水にさらしておく。玉葱の極薄切りを最後の最後に入れて、しゃりしゃりの食感を残すように煮上げる。仕上げに青柚子の皮をすりおろしてかける。
○しめ鯖・・・『分とくやま』の野崎洋光さんの本で知った方法で作ってみた。いきなり塩をまぶすのではなく、まず砂糖(!)をまぶして脱水し、その後で塩を馴染ませるのである。もし甘味が移ったらこれ、意地にも我慢にも食えたもんではないよなあ、と内心びくびくしながら砂糖をびっしりふりかけていった。結果は大成功で、塩でタンパク質が変性していないから、身のヤケもなくまた締まりすぎることもなく、いい具合に〆られた。本職はやっぱりすごいです。

 昼過ぎの東山市場はそこそこの賑わいだった。


 六月の秀逸は
橋本治百人一首がよくわかる』(講談社
でした。文楽(読む物としての)や義太夫(聴くものとしての)といったとっつきにくい文藝ならともかく、百人一首なんてそれこそ小学生だって遊ぶくらいのものだし、と分かった気でいるオトナが読むといちばん愉しめると思う。さらりと語って、奥行きは、深い。
 まず目を引く工夫は百首の訳である。橋本治はこれをなんと現代短歌の形で訳してしまったのである。奇計というべきかコロンブスの卵というべきか。一首だけ引く。


  花の色は 変わっちゃったわ だらだらと ひとりでぼんやり してるあいだに


 なんでもないようで、口調や文字遣いにも細心の工夫が凝らされているのが分かる。これで百首訳しおおせたんだからすごいよ。ま、中には「これなら訳さなくても同じではないか・・・?」と思ってしまうものもなくはないけど。
 右のページには原典と現代語訳が並び、左に解説というか鑑賞の文が続く。これもさすがは橋本治、おざなりに知識を並べてお茶を濁すようなことはしない。もう少し精密にいうと、きちんと基本のところはおさえた上で、味わう際の勘所を指摘してゆくのである。
 読み筋の基本は、「二首を一つのペアと見なす(と定家が考えたとみなす)」というもの。これによって耳慣れたはずの歌から清新な匂いが立ち上ってくる。
 これぞ正調橋本節、というか文学そのものというような、ひやっとするような評言が時折さりげなく呟かれる。すれっからしの読者にはここがいちばん受けるかもしれない。たとえば、業平の和歌では―


表現はオーバーにしてもいい―それが似合うなら、ということですが、どうも、「美男じゃなけりゃ詠めない歌」です。


 まったくうまいこと言うよ。引用していけば切りがないから、あと一つだけ。紀友則(「しづ心なく花の散るらむ」)から。


一度散りはじめた桜は、休むことなく、ずっと散り続ける。それを「落ち着かないな!」と思って怒っているのではない。桜が散るのに合わせて、いちいち騒ぎまくる人もいないでしょう。「花は落ち着かないな」と思う人は、その分、落ち着いている。そのギャップが、人生です。


 舌を巻くしかない。
 短く薄い本だけど、そして題材は、もう一度言えば誰もが知った気になっている古典だけど、贅沢な読書の時間となることは請け合います。

 その他の本も。

池内紀『亡き人へのレクイエム』(みすず書房)・・・追悼文集。池内紀なのだから、人物のスケッチ(なるべく線は少なく、そして勁く優雅に)が見事なことは当たり前である。たとえば森浩一とか川村二郎とか。しかしそれ以上に目を引いたのは、死との親和性をそっともらす池内さんの独白。こういう側面もあったのだ。加齢のせいばかりではないはず。
ポール・ジョンソンソクラテス われらが時代の人』(中山元訳、日経BPマーケティング発売)・・・少しばかり向日性が目立ちすぎる気もするが、魅力的な中年男としてのソクラテスの姿をきれいに差し出してくれた。イラストのソクラテスがまた可愛らしいのだが、そのイラストレーターは「死後くん」という筆名(でしょうな)なのである。こういうセンス、わしには分からん。
○樋口雄彦『幕臣たちは明治維新をどう生きたのか』(洋泉社
金子民雄『ルバイヤートの謎 ペルシア詩が誘う考古の世界』(集英社新書)・・・スーフィーに近いとされるオマル・ハイヤームが逆にスーフィズムの人々から嫌われていた、など面白い情報、少なからず。しかしタイトルの意味は解せない。
○池上英洋『「失われた名画」の展覧会』(大和書房)・・・絵、それも名画の盗難やら焼失やら紛失やらって、詩情に富んでますね。企画で勝ち。
○小熊正久・清塚邦彦編著『画像と知覚の哲学 現象学分析哲学からの接近』(東信堂
○アミン・マアルーフ『レオ・アフリカヌスの生涯 地中海世界の偉大な旅人』(牟田口義郎訳、リブロポート)
三遊亭圓生圓生江戸散歩 上下』(集英社
戸田学上方落語の戦後史』(岩波書店)・・・分厚い本だけど半日で読み上げてしまう。
宮下志朗書物史への扉』(岩波書店
○バリー・パーカー『戦争の物理学 弓矢から水爆まで兵器はいかに生みだされたか』(藤原多伽夫訳、白楊社)
○伊藤邦武『九鬼周造と輪廻のメタフィジックス』(ぷねうま舎)
○田中宣一『名づけの民俗学 地名・人名はどう命名されてきたか』(吉川弘文館
武田雅哉, 加部勇一郎, 田村容子編著『中国文化55のキーワード』(ミネルヴァ書房)・・・さすが武田雅哉が編集してるだけあって、じつに面白い。梅雨の日の好読み物として推したい。「世界文化シリーズ」(おほけなき名付けだこと)の一冊だとか。他の国のも読んでみようかな。
○中村稔『西鶴を読む』(青土社
○ユーディット・シャランスキー『奇妙な孤島の物語 私が行ったことのない、生涯行くこともないだろう50の島』(鈴木仁子訳、河出書房新社)・・・造本も瀟洒だし、紹介されてるエピソード(というか「島」をめぐる奇譚集という趣)も味わい深い。それとは別の感想で、最近文章を読んでて「あ、この人自分と同年代か下だな」と感じることが多く、またその予想はほとんど外れない。なんというか、やっぱりポストモダンなんですな、どこかで自己言及的な口吻が出てくるのだ。見ようによってはずいぶん傲慢な書き方なのである(この著者はさほど鼻にはつかないが)。自戒もこめて記す。
松山義雄『続狩りの語部 伊那の山峡より 』(法政大学出版局
アテナイオス『食卓の賢人たち』(柳沼重剛訳、岩波文庫

 ここしばらく小説の名前が上がらないな、と思いだしてみるに、新刊はほとんど読まず(手にも取らず)、イーヴリン・ウォーとかカルヴィーノとかグラックとか、ここだけぐっと古くなってスタンダールとか、贔屓の作者のものを読み返してばかりいたようである。小説とはそういうものではないか。と開き直っておしまい。
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