美食の不幸

  生まれた大阪もけっして水はいいところではないが、神戸に来て、水道水のあまりのあまりさにびっくりした。さいわい灘区に住んでいたので、少し探すと湧き水が見つかった。まさに「六甲のおいしい水」。兵庫区に越してきた今も、一月に一度は、大学の後輩に車を出してもらって汲みに行くことにしている。もちろん料理にも使うが、お茶珈琲はこの水でないと呑む気がしない。
  今日も朝から水汲み。灘区まで車を出したついでに、前から気になっていた国道二号線沿いのチーズ屋さんに寄ってみた。店の名は「angiolino」。チーズやハムの品揃えもなかなか、何より店の人が親切に教えてくれるのが好もしい。
  チーズ一つとパンチェッタを買って店を出ようとすると、ジェラートのケースが目に入った。昼ご飯前ではあるが、ピスタチオとパルミジャーノのダブルをふらふらともとめてしまう。後輩はチーズのシングル。店の前の椅子に座ってアイスを食べる。
  「おっさん二人が午前中からアイスなめてていいんですかね」と後輩。後輩とはいってもむくつけき三十男である。
  「心頭滅却すれば火もまた涼し、です」。強がってみたものの、目の前を通り過ぎてゆくオバサン達の視線はたしかにこたえた。
  水汲みのお礼をかねて、家の近くにある懐石の店で昼食をご馳走することにする。例によって、献立は記録しておく。
  
  向付 生海胆、胡麻豆腐、加減醤油、山葵
       木盃で酒  
  椀盛 鱧、蓬麩、三度豆、青柚
  造り 鯛、あおり烏賊、鮭
  八寸 鯖きずし、糸もずく、ばい貝、鱚かぴたん漬、薩摩芋栂尾煮、ルバーブシロップ漬
  焼物 真魚鰹西京焼
  煮物 焼茄子、揚げ豆腐、うるい、木の芽
  香の物 飯
  水菓子 西瓜
  菓子 蓬餅
  抹茶

  隅々まで神経の行き届いた品々でした。合いの手は菊姫大吟醸の古酒。料理と切り結んで一歩も引けをとらない風格。昼下がりの酒という気分がまたこたえられない。悪徳の歓び、という感じであった。ここは初見参だったが、すぐ近くで安心して食べられる料理屋が見つかったのはうれしい。贔屓にするつもり。
  陶然と家に帰って、郡山の古本屋で見つけた、『明治ものの流行事典』、J.アメリーの『さまざまな場所』を読みふける。後者は都市論的エッセイ。訳者の池内紀さんは、解説でW.ベンヤミンの都市論(たとえば「ベルリンの幼年時代」)とはまったく性質を異にするものだと書いていて、それは正しいと思うが、ぼくがベンヤミンの批評文の最高傑作であり、都市論の白眉でもあると考える「ベルリンの幼年時代」に匹敵するくらいの、すばらしい文章である。それにしても、都市を語ることばにはどうして色濃く《死》の影が射すのだろうか。