日本的風景

 午前 いつものように六甲に湧き水を汲みにいく。三つある湧き出し口の二つは涸れてしまっている。この冬、記録的な豪雪にたたられた北陸・東北とはちがって近畿ではほとんど雪が降らず。降水量は平年の1%もないところさえあるらしい。夏の渇水が心配。とまれ、タンク四つの水を家まで運び、運転手の空男氏に新開地でうなぎをふるまう。

 この日は天気もよかったので、そのまま遊びに出かけることにする。行き先は丹波篠山。二月に入って一気に暖かくなり、しかも予報だとどうもこのまま寒さは遠のきそう。寒さ好きとしては一月の冷え込みの名残を惜しむつもりだった。

 地図で見る限り神戸からはえらく離れているようだが、中国道舞鶴道を乗り継いで、拍子抜けするほどの短時間で着いた。「風深」(ふうか)、「渡瀬」(わたりせ)など、変わった訓みの地名が多い。神戸を含む摂津とは、もともと文化圏を異にする地域だったのだろう。思えば、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路をまとめて兵庫県と括ったのは、多かれ少なかれ他の都道府県にも見られることだが、かなり乱暴な行政措置だったような気がする。

 車を降りると、思ったほど寒くない。城跡を中心に、歩いて一巡りしてみることにした。篠山の町は高いビルもなく、中心部にはコンビニ・チェーン店もなく(ただし郊外はいずこも同じ大資本の飲食店とパチンコ屋が国道沿いにたちならぶ、例の光景が広がっている)、まことにおっとりした、趣あるたたずまいで、日曜日でも観光客がまばらなのが、観光地の経済を度外視すれば、一介の客にすぎないこちらにとっては一層気分がよい。

 徒士の屋敷や河原町の妻入商家群は、むろんそれとして堪能したが(とくに河原町の商家。平入の家が続く町並みのほうが、全体の統一感では上かもしれないが、一軒一軒の妻入屋根の表情の違いが、より生気に富んだ華やかさをもたらしているように感じた)、そうした歴史的建造物のあいだにはさまる、最近の表現でいうところの「昭和な」雰囲気の建物や看板がまた楽しい。

 歩いていると、空男氏が「古本屋があります」と教えてくれた。はじめて訪れる町、しかも由緒ある城下町で、偶然見つけた古本屋に入る。旅というものはこうでなくっちゃいけません。

 今出来の小説本の類が多いお店だったが、いかにも本好きという店主の人柄が伝わってくるような、丁寧な分類が好もしい。何冊かもとめたうちでは、小林信彦の『コラムは踊る』『コラムは誘う』を収穫とすべきか。これで小林さんのエンターテインメント時評のシリーズはすべてそろったことになる。

 そうこうしているうちに日は傾き、さすがに気温が下がってくる。そのまま猪鍋を楽しみたかったが、この日は丹波栗の菓子と、箱寿司を土産に買って帰った。明日仕事があったからだが、実は午前中の水汲みで、タンクを持ち上げたとき、腰をいわしてしまったせいもある。

 城跡にのぼって周囲を見渡したときの景色が今も目に浮かぶ。丹波から丹後に特徴的な、大地からぽこぽこもくもくと盛り上がるような山容の山並みが、盆地の景観のそこここに変化をもたらし、でも全体としてはこじんまりと一つの容器におさまったような安らぎも覚える。

 個人的には、断然海沿いの町が好みで、盆地に住みたいと思ったことは一度もないが、日本人の美的感覚をいちじるしく刺戟する地形であることは、この日体感できた、と考えている。