ペンよく人を誅殺す 〜双魚書房通信②〜

  罵倒文学史 19世紀フランス作家の噂の真相』(アンヌ・ボケル、エティエンヌ・ケルン/石橋正孝訳/東洋書林 

  《十九世紀の中葉から二十世紀初めにかけてのフランス文壇の消息を、人物関係に光を当てて活写した文学史。》

  うーん。これではイカニモ読みたくなくなるような書き出しだな。こう変えてみてはどうだろう。

  《一見お上品なフランスの文士達の交友を裏側からのぞいた、一風変わったジャーナリスティックな報告書。》

  まだパンチに欠ける。いっそのことこう謳ってみようか。

  《放送禁止用語連発!文豪総出演で奏でる、罵詈雑言と呪詛と脅迫と中傷の一大交響曲。フランス文壇の『闇』をセンセーショナルに暴露した奇書!》

  下品に過ぎるだろうか。しかしこの本を通読した印象はきわめてこれに近いものである、いや実物はこれを上回るかもしれない。まずは訳者による要領よい紹介を引く。


  現在より遙かに狭い世界であった(十九世紀フランスの:引用者注)文壇の内部では、ジャーナリズムの発展と出版部数の増加を背景に、作家同士の嫉妬と憎悪が渦巻いていた。エゴが極度に肥大し、我こそが最も優れた作家だと信じて疑わない彼らは、自らの不遇と他人の成功を不当と感じ、ささいなことからいがみ合い、足を引っ張り合い、疑心暗鬼に陥った。そして、彼らは作家の名に恥じることなく、その憎悪の念を見事な表現として後世に残してくれたのである。本書は、そうした数々の罵倒とその内幕を、異性関係、名誉、富、世代間闘争、イデオロギー対立など、十四のテーマに分けて紹介した(後略)


  古典主義に対するロマン主義の華々しい勝利に始まって、その後高踏派やら自然主義やら象徴主義やらが台頭し、二十世紀につづく・・・という形で語られる教科書型文学史ではけっして見えてこない、一風変わった、いやこの上なく生々しくグロテスクで滑稽な、文壇という生態系における文士の生態観察を我々は手に入れることになった。

  それにしても詩人・劇作家・小説家・批評家の錚々たる面々の、互いを攻撃する文言の猛烈なこと。関西ことばの「えげつない」という形容詞がまさにぴったりくるあくどさである。いくつか例をお目にかける。

  「あなたを殺したい、殺害してやりたいと思う折が時々本当にあるのです。」(批評家サント=ブーヴが小説家・詩人・劇作家でありかつ自分の師でもあったユゴーに送った手紙の一節。この頃、サント=ブーヴはユゴーの妻に横恋慕していた)

  「衛生の観点から、あの這い回る生き物には/好きなように噛ませておきたまえ。/蛇をたたいたつもりで/カメムシを潰さないようにしたまえ。」(詩人ミュッセが愛人である女流詩人サンドの家にいりびたる批評家を攻撃した詩)」

  「食用に適さない豚」(レオン・ブロワのゾラ評)

  『女の一生』のモーパッサンは梅毒からくる眼疾に苦しんでいた。かつて彼が冗談の種にしたある伝記作家は、モーパッサンと同席した晩餐会で眼疾が死に至ったケースを列挙し、そのために「モーパッサンの鼻が文字通り彼の皿の中に落ちた」。

  王政主義者のバルベー・ドールヴィイユゴーを罵って言う、「彼は体制が変わるたびに輪廻転生を繰り返してきた。(中略)ヴィクトル・ユゴーに比べたら、ピュタゴラスなど、不動の足なし男にすぎない!」ピュタゴラスは霊魂の不滅と生まれ変わりを説いた哲学者である。

  「訳者あとがき」でもふれられているが、こうした猛烈な文学的テロを生き延びた勝者の伝記として出色なのが、鹿島茂パリの王様たち』である。本書とあわせよめば興趣は倍増するはず。


罵倒文学史―19世紀フランス作家の噂の真相

罵倒文学史―19世紀フランス作家の噂の真相


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