ひな料理

  独身男に桃の節句は関係ないというなかれ。少なくとも飲み食いという観点からする限り、私見ではひな祭りは端午の節句に優ること数等、というよりお話にならないのである。五月五日ときいて連想される食べ物などない・・・・といいたいが、まあ柏餅があるのは認めるとして、あれは菓子としてもそううまいものでもない。別にひなあられのほうがうまいわけではないけど。

  語呂合わせでもないが、致命的なのは酒肴の趣向があの日にはないこと。ひな祭りだってそうじゃないか、と反論が出そうだが、まがりなりにも白酒はあるし、ちらしずし、ぬた和えなら十分酒のアテになる。ことによいのは蛤の吸い物で、酒(清酒のことです)を呑むのにこれ以上ふさわしい肴は見いだせないくらいである。くやしかったら柏餅でぬる燗をのんでみろ、というものである。

  雰囲気もいいよ。杯をあげるなら、目をむいた鍾馗さまの絵姿より、おっとりほほえむ男びな女びなのほうがよっぽど気がきいているのはわかりきった話である。

  ま、理屈はさておいて、今晩の「ひな料理」の献立は以下の如し。ただし酒呑み向けのものです。

 【三月三日の酒肴】
  メインはやはり蛤の吸い物。湯木貞一さんは蛤から出る出汁にかつおの出汁を混ぜるとしているが(『吉兆味ばなし』)、「飲んべえ仕様」なので、もっと淡泊なほうがいい。かつおのかわりに昆布を使う。清酒は汁全体の二割ほど入れる。醤油は用いない。あしらいとして色よく塩ゆでした菜の花を貝の横にそえる。

  ちらしずし。ふだん夕飯に米粒は食べないけど、今日はしかたないか。ただし、これもデンブやら甘辛く煮いた椎茸やらは入れない。代わりに菜の花を、吸い物に入れたのより細かく刻んだものと蓮根を薄く切った後、酢水にさらして菜の花と同じ大きさに切ったもの(だから火は通していない)、あとは酒と牛乳、塩、味醂をいずれも少し落とした玉子を、油を使わずに菜種にしたものを具にした。玉子は菜箸を何本もつかって細かく細かく炒り上げる。油を入れないので、テフロン加工などの焦げ付かないフライパンを用いないとあとが大変ですから注意。早く酒を飲みたかったので、そのまま食べたが、この時季ならまだ蒸し寿司にしてもいいかもしれない。


  ひなあられはさすがに肴にならないので、工夫を要する。少々高いが車海老をおごります。殻をむき、塩湯にさっと湯通しして色を出したあと、すぐに冷水にとり、文字どおりアラレに切っておく。帆立貝柱も同様に下ごしらえしておく。独活も同様。こちらは変色しないように、酢水でアクをぬいておきます。以上三種を混ぜ合わせ、少し辛子をきかせた黄身酢で和える。海老の赤が消えないように黄身酢は少なめ。若布をそえる。 


  あとは何だろう。桃の節句・・・桃・・・もも・・・とかなりこじつけながらとりのもも肉を使う。苦し紛れは承知の上ながら、これをたとえば唐揚げにしたのではあんまりにも藝がない、そもそも酒の肴にならない。というわけで、もも肉を竹串かなにかで突いて、薄口醤油とこれはたまたま家にあった濁り酒でつけておく。これは白酒のかわりのつもり。半日くらいおいたほうがいいかと思います。卵白を泡立てたものを薄くまとわせ、もう一工夫として、卵白の上に紅白のしんびき粉をまぶして揚げる。これでだいぶんそれらしくなったような。

 以上四品。酒は地元の「瀧鯉」の純米原酒。職場から歩いて帰る道すがら、鼻先にぴしりと差し込んできた、どこかの庭の沈丁花のきつい香りとつながるような、芳烈な酒である。桃の節句とはいいながら、雪も舞った今日の寒さにひとしきり・・・楽しみました。