一週間のヨーロッパ(4) Antonio was here

 寝しなに『強力わかもと』をがりがり齧って炭酸水をがぶがぶ呑んだおかげか、胸焼けもせず二日酔いも無し。昨日のビールとチーズで朝食としたが、パンと果物も買っておけばよかったと思うくらい快調な目覚めだった。

 午前十一時の飛行機でデュからヴェネツィアマルコ・ポーロ空港に飛ぶ。航空会社はエアベルリンというLCC。スポーツバッグをひとつ預けようとすると驚くなかれ六十ユーロもかかるとのこと。大きさなら充分機内に持ち込み可能なのだけど、化粧水・保湿ローション・シャンプー・香水・ファブリーズ・防臭スプレーなどを入れてるので預けるしかなかったのだ。もちろんここで全部捨てて、現地で調達するという手もある。しかし旅先でドラッグストアを探して歩くというのも気ぶっせいなものだし、イタリアでは品揃えも大したことがないだろう(純然たる偏見)と観念して六十ユーロを支払う。美人の受付嬢に「どんなけ高価なシャンプー使ってるのよ!」ときゃらきゃら笑われてしまった。

 途中アルプスを越える。白く雪を冠ったところでも稜線がくっきりとたどれる。実際の標高はどれくらいなのか知らないが、かなり上の方まで人家の屋根が続いているので驚いた。山を抜けた途端に広大なロンバルディア平原。ぼーっと眺めていると、反対側に座っていた芒男につつかれた。指さす窓の外を見ると、写真や地図で見たとおりのあの街の形がそのままに海に浮かんでいる。周囲のドイツ人もてんでに窓に取りついては歓声をあげている。

 空港では大学の後輩・空男がお出迎え。当ブログの読者にはおなじみの、水汲み運転手氏である。大学のプロジェクトのために五月からヴェネツィア大学に研究員として滞在中ということで、案内役をお願いしていた。正確に言えば、空男がヴェネツィア(金沢とならんでいちばん住みたい街―当ブログ「幻としての都市」参照―)に行くことになったからこそ、こちらもついでにヨーロッパへの旅を思い立った、という事情がある。

 せっかく着いたと思えばすぐに素通りですか、と例によって空男がぶつくさ言うのを聞き流してバスでメストレ、そこから列車に乗り換えてパードヴァへ。デュも例年になく暑い夏だったらしいが、さすがに南の陽光は格別。からっとしているから暑さはまだ耐えられるとしても、日差しで参ってしまいそう。

 パードヴァでの目的は、まあほとんどのツーリストがそうだろうが、スクロヴェーニ礼拝堂のジョットと、聖アントニオ教会。絵画的興味があるのはもちろん、イエスとマリアの生涯を描いたフレスコが祈りの場にめぐらされているという、その空間の聖性あるいは祝祭性を体感してみたかった。

 強烈な陽光の下、しずかな街を歩く。ようやく空腹をおぼえてきたので、手近に見つけた店に入る。天井が高く、清潔で近代的で…つまりはあまり「いわゆるイタリア」らしからぬ店。ビアンコ、ロッソと一杯ずつ呑み、ブロッコリーとイワシのパスタを食べた。清潔で近代的な味であった。

 さすがに大学の街、旧市街の広からずまた狭からぬ通りに並ぶ建物の風情がいい。しっとり落ち着いていて、おのずと声高で話すのが憚られるという感じ。道の敷石のすり減り方も目を和ませる。オレもこういうところで勉強できていたら学問を大成させていたはずなのに、と調子の良い空想にふける。

 スクロヴェーニ礼拝堂では、すべての手荷物を預けさせられる(やれやれ)。見物は総入れ替え制。手前の部屋でしばらく温度調整(壁画の傷みを防ぐためだとか)をしてから中へ。堂内は思ったよりも小ぢんまりしていた。その分近くに絵を見ることは出来るのだが、いかんせん三十分にも充たない時間の制限があるので、マリアの方は諦め、イエス伝のみじっくり見て回ることにした。

 フレスコ画独特の貧血したような淡い彩りと線の固さとが相まって、精神性が直接こちらの神経に触れてくるよう。最高傑作と言われるユダの接吻の場面、ユダを見据えるイエスの視線の厳しさにおいてその特質は最も顕やかである。キリスト降架におけるマリアの悲嘆の表情も忘れがたい。天使の顔はおしなべて可愛らしくないが、あの不可思議な生き物(?)の実体は案外こういう雰囲気に近いのかもしれない。夕暮れどき、金色の光線がけむる礼拝堂でひとり眺め続けられたらなあ。せめて画集を買って渇を癒やすとしよう(礼拝堂でも売っていたが、高かったので買わなかった。一体にイタリアの本は日本より高いのではあるまいか)。

 礼拝堂が属する僧院の二階がミュゼになっていて、ここはまたここで気の遠くなるほど仰山の絵を収蔵していたのだけど、ジョットを堪能したあとではゆっくり鑑賞する気分にもなれず、早足で見て過ぎるのみ。それにまだ聖アントニオ教会の見物がまだ残っている。

 駅を入り口とするならば、教会はパードヴァのいわば奥座敷に位置する。旅行前に見たガイド本では「イタリア一の聖地」と紹介されていた。その「イル・サント」は折しも夕陽を浴びて、薔薇色の石は燃え立つように見えた。いささかも威圧的な雰囲気がないのは、ゴシックの尖塔ではなくビザンチン風の丸屋根を戴いた稜線のためか。ともあれ内部を拝見。

 ちょうど夕べのミサが始まったところと見えて、司祭のラテン語の詠唱とそれに和する信者の声がゆるやかに堂内に流れていた。キリスト教には親和感も同情もおぼえない人間ながら、他人様の信仰に土足で踏み込むほどの鈍感さはさすがに、ない。祈りの邪魔とならぬよう、つつしみながらあちこちを見て回る。ケルン大聖堂のあの圧倒的な威儀はない。天井など、こまやかに彩色されてはいるけれど、騒がしくなく全体にintimateな空気が充満している。

 アントニオという聖者に関してはまったく予備知識がない。幼児イエスを抱く姿で表象されることが多いようである。表情も穏やか。あえて譬えるなら、街角のお地蔵さんのような雰囲気のひと。アントニオさんなら異教の神を引き合いに出しても許してくれそうな気がする。言い換えるならば、これは我と石で胸打つヒエロニムスや、夜毎の悪夢と苦闘するアントニウスフロベール『聖アントワーヌの誘惑』のほうの「アントニオ」です)のような、どう見てもリビドー過多のヒステリー患者、といったおぞましいタイプとは対蹠的ということであって(アッシジのフランチェスコに通じるとさらに言い換えてもよいかも知れない)、そう考えていくと、イタリアの人たちがこの聖者に寄せる敬仰の思いが内密な波動を作り出して聖堂を荘厳しているのはなるほどそうあるべきだ、と納得した次第。

 教会を出たあと、隣の植物園へ。一体に植物園か動物園か水族園を見せていたらすこぶる上機嫌でいられる、という人間なのでもちろんここは愉しめた(ホントはもっとゆっくり時間をかけて回りたかったのだが)。しっかりした温室の中にゲーテが感嘆したという大きな棕櫚の木が立っている。ワイマールくんだりからイタリアまでやってきて、一本の棕櫚に心躍らせているゲーテというおっさんが、私は好きだ。

 ハーブ園で草花が強く匂っていたのが印象的だった。

 駅前の飲み屋でビールを呑んだ後、列車でヴィチェンツァまで戻る。ここで芒男の友人であるフランチェスコと落ち合う。フランチェは、日本に来たことはないけれどこの地で日本人の先生に茶道を学び禅に関心を寄せる好漢。

 ホテルにチェックインしてからフランチェの案内でヴィチェンツァの街を散策。綺麗さでいえばこれほど綺麗な街はないだろうが、意地悪な観察者ならばブルジョワ臭がほんの少しばかりきつ過ぎると感じるのかもしれない。こちらはそこまで神経質ではないが、パードヴァの閑雅のほうが好みに合うかなとは思った。とはいえ、夕風に吹かれながら瀟洒な邸宅がどこまでもつづく石畳を歩くのが心躍る経験でないはずはないので(心なしか観光客もおとなしめ)、フランチェが連れて行ってくれた食べ物屋(生ハムの味が―それにヴォリュームも―すばらしかった)で、アブルッツォのモンテプルチアーノのグラスを揺らしていても、そのあと屋上のカフェから端正な屋根の連なりを眺めていても、まるで自分が俳優として舞台にあがったような妙な昂揚を感じ続けたことだった。

 フランチェに御礼として一保堂の煎茶を渡す。寡黙で礼儀正しいこの男と、互いにたどたどしい英語で禅のserenityについて語るのはしかし、たいがいの難儀であった。臨済公案とはかくの如きものか。ま、美女が前を通ればどこまでも視線でおっかけてたのはさすがにイタリア男の面目を失わなかった、とも付け加えなければならないが。ともあれ、ありがとう、フランチェ。

 最後は芒男とふたり、ピスタチオのジェラートを食べ(広場は深夜までひとで賑わっていた)、ホテルに戻って寝る。イタリア初日からいい見物が出来た。
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