Q.E.D.

 月末まであと少しあるけど。

○田中マリコ『文楽に連れてって!』(青弓社
○中本千晶『熱烈文楽』(三一書房
 文楽の啓蒙書はまだまだ必要である。二書を読んで改めてそう感じた。この種の中では、三浦しをん『あやつられ文楽観賞』が、いい。さすがに文章がいい。というのは、ヘンに調子を落としていない、ということである。「蒙を啓く」という姿勢がそもそもある種の精神の傲慢なあり方を示しているとしても、「古典を現代に向けて」啓くという書物のなかに、非常に調子の低い、ほとんど低俗卑陋とさえいいたくなる文章で書かれたものが多いのはなぜか。むろん単に拙劣な言語能力しかない、というのが分かりやすい理由である。しかしその底には、これだけ調子を落としてやらないとどうせ分かりはしないだろうという優越的な表情が透けてくるようで索然とすることも少なくないのである。

○金子信久『江戸かわいい動物 たのしい日本美術』(講談社)・・・書名から明らかなようにこれも「伝統を失ってしまった現代の日本人にゆたかな伝統の遺産を啓蒙する」という種類の本。それがいけないと言っているのでは全くないので、どうして江戸というとキッチュ(奇想といってもよい)な側面ばかりが強調されるのだろう。構図や色彩の洗練、とはつまり普遍的な質の高さこそ受け継ぐべき遺産だと思うのだが。

○谷川渥『江戸のバロック 日本美術のあたらしい見かた』(河出書房新社)・・・も同じ感想。「正統なしの異端」という表現が思い浮かぶ。

○布目潮渢訳注『茶経』(講談社学術文庫
○布目潮渢『中国名茶紀行』(新潮選書)
○大津真作『異端思想の500年 グローバル思考への挑戦』(学術選書73、京都大学学術出版会)
○圀府寺司『ユダヤ人と近代美術』(光文社新書

 渡辺保氏の本をまとめて読んだ。
○『仁左衛門の風格』(河出書房新社
○『女形の運命』(筑摩書房
○『名女形雀右衛門』(新潮社)
○『昭和の名人豊竹山城少掾 魂をゆさぶる浄瑠璃』(新潮社)・・・この本の中で、山城少掾の死で文楽は脈が上がった、と渡辺氏は言う(こういう言い方ではない)。渡辺氏の著書の底には常に「近代とは」という執拗な問が流れている。だから(というと飛躍するようだが、本書を読めば分かる)この結論もそれとして正しいのである。

○フランソワ・ビゼ『文楽の日本 人形の身体と叫び』(秋山伸子訳、みすず書房
○内山美樹子『文楽二十世紀後期の輝き 劇評と文楽考』(早稲田大学出版部)
 二書を続けて読んだのは偶然だが、これは幸いなる偶然だった。ビゼ氏の本は過剰な意味づけとも感じられる考察がやがて洞察にも近づいていく(もう少し浄瑠璃のドラマについて語ってほしかった)。内山氏の本は「古典」「芸術」という措辞が頻出するところがしんどいけど、これほど精細かつ率直な劇評は貴重。小声で言うけど、こういう教授が指導教官でなくてよかった。

○ビルギット・アダム『性病の世界史』(瀬野文教訳、草思社文庫)
氏家幹人『大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代』(平凡社ライブラリー
マイケル・ウォルツァー『解放のパラドックス 世俗革命と宗教的反革命』(萩原能久監訳、風行社)
四方田犬彦『土地の精霊』(筑摩書房
○磯田道史『近世大名家臣団の社会構造』(東京大学出版会
○小島秀信『伝統主義と文明社会 エドマンド・バークの政治経済哲学』(京都大学学術出版会)

森雅子西王母の原像 比較神話学試論1』(慶應大学出版会)
 面白かった。特に、女媧という怪物はスケールがでかくて大好きなので読んで愉しめた。ということを前提にして感じた疑問を書く。筆者は西王母とオリエントの古代女神を比較するに当たって、Aという女神には○○・△△・□□という特徴がある、そしてそれは西王母にも見いだされる、と話をすすめていく。よくある論法なので、色んな本で気になっていたのだが、これは論理的に何の意味も無い「論証」ではないか。少なくとも○○・△△・□□がA女神が備える諸々のアトリビュートの内にあって本質的というか、他とは違う特別な意義を持つものだという証明が無いと論が進まないはずである。文献乃至考古学的証拠による実証ではない分、論理の階梯は丹念に上がっていってもらわないと困ります。

 最近小説を読むのにひどくエネルギーを使う(面白くなくなったというのではない)。

○メアリ・シェリー『最後のひとり』(英宝社)・・・というのに、文章筋立てともにこてこてした十九世紀小説に手を伸ばしたのは我ながら面妖なことである。作者、作者の夫(詩人のシェリーね)や夫妻の親友(バイロンね)そっくりの登場人物や、臆面もないご都合主義がいっそほほえましい。タイトル通りの滅亡モノなのだが、文字通りに地球上ただ一人になってしまってからすぐに小説が終わってしまうのが惜しい。存分にスペキュレーティヴな展開出来るのに。
佐藤亜紀『吸血鬼』(講談社)・・・「フランケンシュタイン」の次は吸血鬼である。佐藤氏は新作が出るたびに読み続けている数少ない日本人小説家。やはり元領主婦人の肖像が眼目ということになるのだろう。主人公が凄惨な決断をしたところをクライマックスにしなかったのもよい(人間としての時間が流れ始めるのはいつでも「その後」だ)。ただ、冒頭の怪異的描写がまさしく圧倒的なだけにどうしてもこの側面に関しては尻すぼみになった感が否めない。これだけの文体、今の日本で佐藤亜紀以外の誰が振る舞ってくれるか。

吸血鬼

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