今日も明日も晴れだった

 田車子はもう十年越しの呑み友達。互いに家に遊びに行ったことは何度かあるけど、会わない時は半年近くも連絡もせず、顔を合わせれば昨晩の続きのように話が始まるという水の如き交わり。だから「いちど旅行に行きたいね」という話を、七年ほど前から会うたびにしてはいたもののこれまで実現ならなかったのは君子の行いでは無論なくて、たんなる二人のものぐさな性による。


 これで、温泉の外国のと基準をあげていくといつ行けるのか分かったものではない。先日これまた久々に一緒に呑んだ時に、場所は岡山、日は二週先の週末と勢いで決めてしまった。田車子、たまたま岡山に遊ぶ機会が最近重なって、少しは土地勘があるとのこと。あまり不案内な土地では気も重くなるかと避けて、初めての二人旅は彼に手筈を任せることになる。不精ではあるが、いったん腰を上げると実にまめなヒトであることはかねて知っていたからこちらはゆったり構えてついて回ればいいという、なんとも気楽贅沢な旅となった。


 金曜の夜に出発。向こうが仕事を片付ける時間を見計らって新神戸駅で待ち合わせた。なんといっても新幹線で三十分だから、難波辺りで呑んで帰神するよりもよほど余裕がある。九時前に岡山に着き、田車子が入ったことのある鉄板焼き屋で浅酌。こちらにとってはビール三杯ワイン二杯は呑んだというより嘗めた部類に属する。


 だからホテルでチェックインを済ませ、これも田車子周知のスナックに行ったときはほろ酔いともいかず、でもこの堅実なスタートの切り方が結果的には祟ることとなった。ママひとり、女の子ひとりの店で今時カラオケも置いておらず、そしてこれはまあ単なる偶然ながら我々以外に客もおらず(店に入ったのが十二時を越えていたせいもあるだろう)、おっとりと話上手なママと、そうそうこれが中々こちら好みの従業員のあしらいもほどよく、最後は田車子と二人、五時近くまで飲みつづけてしまった。


 ここまでは三宮でもたびたび経験している。そして翌日、というより続きの朝から動き出すのも鯨馬ひとり旅では珍しいことではない。災難なのは連れの方であって、十時にロビーで待ち合わせは無理、と連絡があって一時間出発を遅らせたものの、降りてきた田車子はさすがにげっそりした面持ちだった。もっとも食堂で朝飯を食べ(すこぶる不味かった由)、大浴場にも行ったらしいから、スポーツドリンクとプリン(!)だけでシャワーを浴びて済ませた当方に比べ、そりゃ眠たくもあろう。「昼過ぎまで寝てたかったワ」とぼやきながらも付き合ってくれるのが田車子の優しさである。


 駅までは路面電車で五駅。神戸にはない大きな道路の真ん中にある停車場で待っていると強烈な陽光が、じゅうじゅうと音を立てる感じで肌に染みこんでくる。昨晩のママが「滅多に雨が降らないので誰も傘を持ち歩かない、だからたまに降った時には客が全員ビニール傘を買って持って来てそのまま捨てていくので、傘ばっかりたまっていく」と話していたことを思い出す。


 岡山駅で桃太郎線というローカル線に乗り換えて吉備津駅で降りる。殷賑を極める岡山駅周辺からわずか数駅で鄙びた田園が広がる風景に包まれる。無論ここでも陽光はきつく散乱している。ここで備中一宮吉備津神社に参詣。国道に断ち切られながら一直線に伸びる松並木の中の参道を歩いて向かう。急な階段を登り、随身門を抜けた先に本殿がある。このブログでも何度か触れた『日本廻国記 一宮巡歴』の著者川村二郎さんが「掛値なしにただすばらしい」「ひょっとすると、最初に親指を折るかもしれない」と賛辞を惜しまなかった建築である。入母屋造が二つ前後に並んだ本殿は、全国でもここだけの建て方(吉備津造というらしい)。檜皮葺の屋根はどこでも優美な印象を与えるものだが、本殿そのものの堅牢かつ宏壮な造りと相まって、そして神域に充溢する光の射るような白さが建築全体と鮮明なコントラストをなして、まるで白昼夢を見ているようだった。


 祭神は吉備津彦崇道天皇の時代、四方を征圧するために遣わされた、いわゆる四道将軍のひとりだが、周囲の田園風景を高みから見そなわすようなこのたたずまいを眺めていると、吉備津彦はこの国のゲニウス・ロキ(土地の精霊)、それも勢威を張った強大な神霊であったに違いないと自然に感得される。


 ただ神々の起原を探れば盤根錯節たる伝承の古層に行きあたるものである。本殿を囲む廻廊、ふたたび川村さんの形容を借りると「無限に内部へ向かって巻きこむその線の運動が、外部に向かって展開される時、廻廊の蜿蜒たる連続になるのではないか」というその廻廊を右に折れた先に御釜殿なる小さな建物がある。吉備津彦に殺された温羅なる鬼の首が床下に埋められているのだという。中に入り、真っ黒に煤ぼった(釜の下には薪がくべられて煙を吹いている)天井を見上げていると、吉備津彦こそが温羅なる鬼=異民族なのだという、これまた白昼の妄想がむらむらと湧き上がってくる。それだけ力を持った荒ぶる神でなかったならば、あれほど見事に風土に調和してしかも霊威のいぶきを伝える社が建てられた筈はない。


 惚けたように本殿の屋根を眺め、また廻廊を歩く当方を田車子はのんびり待っていてくれた。駅に向かって帰るさ、以上のような感想を我ながらすこぶる不得要領な表現でもらすと、既に二回この宮に来ている田車子は「ここは何度来てもいいね」と鷹揚に頷いてくれた。


 ワシも、またここに来ようと思う。


 さてゆるーく計画を立てての歩き回りは、失礼ながら田舎の鉄道を使った場合はえらく時間の不経済なもので、備中高松および総社ではそれぞれ小一時間の乗り継ぎ待ちをくわされた。ま、四十のオッサンふたりがせかせか歩き回っても仕方ないので、駅前のスーパーなどを見学して時間をつぶす。さすがは岡山のスーパー、鰆の切り身や真子・白子が豊富に並べてある。蝦蛄好き(ほとんど熱狂に近い)の当方が、なぜ蝦蛄はちっとも売ってないんだろうと不審がったら、「子どもが見てトラウマにならんように置いてへんのちゃうか」。


 田車子は蝦蛄嫌いなのである(「フォルムが無理」とのこと)。 


 さて総社から南に下って倉敷に着いた頃にはすでに日盛りは過ぎ、といっても目が痛くなるようなまぶしさはさほど変わらず、乾いた風に吹かれるといっぺんに涼しくなるのを頼みに美観地区まで歩いていく。乗り継ぎに手間取ったため、昼食の時間には間に合わず。出店で買った天ぷら(薩摩揚げみたいなの)やコロッケで缶ビールを呑んで済ませた。


 ここからまた別行動で、鯨馬は大原美術館、連れは猫カフェへ。猫は嫌いではないが、猫毛にアレルギーがある人間はおそろしくて入れない。


 大原美術館。当方が喋喋するまでもない名品ぞろえで、いちいち感想を述べていったらきりがないだろう。またこちらもさすがに昨晩以来の疲れが出たのか、すべてを丹念に見る気分ではなく、どちらかと言えば館内の薄暗さをいちばんの馳走くらいに感じながらあっさりと回っていった。おかしなもので、こういう調子の時はモネやルノワールの色彩はいかにも重苦しく、ルオーの視線も執拗に過ぎ、有名なエル・グレコの『受胎告知』でさも敬遠して(エル・グレコは好きな画家なのだが)、逆にユトリロモディリアーニやブラックの静謐さが染みるようだった。なかんづくドランの静物。ひっそりと、しかも充実していてよかった。


 ここに東洋館があることすら知らなかった。バーナード・リーチ濱田庄司河井寛次郎の器がずらり。これだけでも見に来る価値がある。


 次来るなら雲が厚く垂れこめる冬のさなかがいいかもしれない。いや「晴れの国」にはそういう日はそうそうないのかな。


 なおこの日、美観地区の一角にある何とかという建物で、世界の教育文化大臣の会議があったとやら。伊勢志摩サミットにも関連する会合だそうで、美観地区だけでなく、駅前から警察官と警察犬であふれかえっている印象だった。


 倉敷から岡山へは快速で十五分。備中高松で電車を待っていた時間よりも早く着いてしまう。駅近くの広大なイオン・モールの地下で食料品を見て回る。鰆は専門のコーナーが作られているくらいなのに、蝦蛄の姿はどこにも見えず。まあ、飯のオカズになるものではないからな、こういう家族向けのショッピング・モールには不向きなのだろう、と自分の不安を押さえ込むように理由を考える。朝昼ともまともに食事をしていない鯨馬は、夕食の店で「蝦蛄で一杯呑む」ことにこの旅の成否を賭けていたから、おそらくは日本一の蝦蛄の名産地の魚売り場でこいつを見かけなかったことに、まるで吉備津神社の鳴釜神事で釜が鳴らなかった(上田秋成吉備津の釜』で有名。釜が鳴らないのは凶兆とされる)ような、暗澹たる気分に傾いていくのを隠せなかったのである。蝦蛄に寄せる我が思い、読者よろしく察せよ。


 少しは仮眠を取りたいという田車子の希望があり、「岡山料理」と名乗る店の予約は遅め、九時に入れた。結局は昨日と同じ時刻のスタートであるが、明日もお互い用事はないのでのんびりしたものである。もっとも鯨馬は、「それまでに店の蝦蛄がすべて売り切れていたらどうしよう」という焦りを禁じ得なかった。こうなるとほとんど妄執に近い。


 蝦蛄は、あった。定番の蝦蛄酢に始まって、天ぷら・フライ・丼と蝦蛄料理がずらりと並んでいたにも関わらず、蝦蛄教徒は酢の物だけで満足してしまった。なぜか。他のサカナ類が素敵に旨かったからであり、また次来る時の愉しみを少しでもたくさん残しておきたかったからでもある。けして蝦蛄嫌いの田車子に気を遣った訳ではない、と思う。


 食べたもの。鰆(典雅な香り)・ママカリ(少し品の無い味だが、その分旨みが強くて後を引く)・鯵・蛸・障泥烏賊の造り。全体に魚の身は明石辺りよりも柔らかめか。無論鮮度が悪いのではなく、これこそ瀬戸内の味というものである。蛸の天ぷら。下津井という漁港が名産なのだそう。昨日は蛸ぶつで食べたが、こうして火を通した方が甘くて香ばしくて一段上のような気がする。鰆の西京焼き。芳かつ醇。酒に合うような漬け加減。蝦蛄酢。子持ちで無かったことを一点の憾みとする。次は連れの目を気にせず(ありゃ、やっぱり気にしていたのか)むしゃむしゃやりたいものである。白瓜のわさび漬け。黄ニラのピザ(サラダのように山盛りにして出す料理もあるらしい)。焼き穴子。鰆の真子の煮付け。 


 こう書き出してみるとたったこれだけしか食べなかったのか、という感じ。岡山の地酒をやりながら、すっかり満腹した気でいたのだったが。やはり疲労が出てきていたのか。


 二日目も十二時過ぎまで飯を食って、またしても昨日のバーに繰り込む、と言うところまではなんとか意気を見せた格好だったけど、泡盛を二杯飲んだら急激にカラダが火照ってきた(女の子の出身が沖縄で、泡盛をご馳走する約束をしていたのだった)。そういう意味ではなく、昼間の日焼けが効いてきたらしい。横を見ると田車子の目も半分閉じかけている。これは退散するしかありません。


 翌朝は駅前で土産物を買う。こちらは鮨やで「岡山ばら鮨」の弁当を作ってもらって上機嫌。何せ乗ってしまえば十五分の楽園ですからな。寸暇を惜しんで、さあ今度はひとり旅を満喫するつもりであります。



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