南部ひとり旅(1)聖地巡礼

 今回は八戸中心の旅なのに、三沢ではなく青森空港発着で予定を組んでしまったところに、当方の無知があらわれていた。空港からバスで青森市まで。そこから電車を乗り継いでいくと、八戸での昼食は無理そうである。ならば二月ぶりの青森で食べていきますか。


 と市場が並ぶ古川町の食堂で昼食。時間が出来たのでゆっくりビール・清酒を飲む。蛸・縞鰺・鮪・生鮭の刺身も天ぷらも旨かった。小鉢の鰊の麹漬けがまた清酒によくあう。


 さて青森駅からは青い森鉄道で八戸まで。ちょうど中間という見当の野辺地あたりではまだ真っ白な雪が高く積もっている。八戸はそこでJR線に乗り換えて二駅目が本八戸。こちらが市の中心部に当たるらしい。ただ駅前は商人宿くらいで、繁華街からは離れている(といっても五分も歩けば着く)。


 ホテルに荷物を置いてから街歩き。呑み屋横丁の多いことで有名らしいが、横丁に限らず人口規模に比して居酒屋の数は多いようである。こういう町、つまり飲み助の多いところは信を置ける。お目当ての店はすぐに見つかった。黒ずんだ格子窓が夕暮れのなかでいい風情。向かいのコンビニに入り、開店の六時に暖簾がかかるのを待ってさっと飛び込んだ。


 というのは予約を取らない家だからである。『ばんや』。今や全国的な有名店と言っていいんだろうな。翌日も翌々日も、地元の方に『ばんや』で呑んだというと、決まって「あそこは入りにくいからねえ」ということばが返ってきた。実際、見る間に広くない店内はいっぱいになっていた。


 当方はというと、ネットやグルメ本ではなく種村季弘さんの文章に描かれたこの店がイメージの中でいわば聖化されていて、八戸に行くならここ、と決めていたのである。『食物漫遊記』『日本漫遊記』参照。『ばんや』のために八戸を滞在地に選んだといった方が正確なのかもしれない。


 拭き込まれて黒光りするカウンターの上に大鉢が並び、その後ろの壁に本日の魚が書かれている。厨房には中年男性ひとり、カウンターでは白髪の女性(女主人?)と細っこい若者が客の応対をしていて、この女性がまた、『ばんや』のような店にはこういう人以外にはあり得ない、という容貌物腰の方で、この雰囲気だけでも呑める。


 でも肴は頼みます。お通しは子和え(野菜に鱈の子をまぶしたもの。郷土料理)。大ぶりの大根・人参が品良い味付け。あとは鮎並の造りと煮物(蕗・蕨・身欠鰊)、烏賊の共和え、馬肉と牛蒡の煮込み、焼き鰯を頼む。尤物はこの鰯で、大羽のやつが二尾付いている。腹をほじるとぼろりん、という感じであぶらがこぼれてくる。そのあぶらに包まれているのは無論のこと高雅な苦みのはらわた。


 こんな肴で清酒のすすまない方がおかしい。種村大人も「鳩正宗という地酒にうつつをぬかした」と書いている。ここは底に藍で二重丸を描いた利き酒用の大ぶりの汲み出しに盛りきりで出す。東北の地酒は種々あったが、折角だから青森のだけを頼んでいった。えーと、八仙を四銘柄、そのあとで豊盃を呑み稲生(いなおい)をいただき、杉玉というのも頼み、田酒を呑んだのはおぼえている。焼き鰯の頃には燗酒の徳利を傾けていた。なにせ「うつつをぬか」すまでだから、これくらいは当然というところ。肴もしっかり胃の腑におさめていたせいか、乱れることもなし。これは主観ではなく、二軒目に連れて行かれたバーでも、極上稀品のバーボンを呑んでいたから確かである。連れて行った方が先に酔ってたような。これは『ばんや』で隣に座ったおっさん二人組、といっては失礼か、さる金融機関の部長次長という立派な仕事をされてるお二人で、「よく飲むなあ」「ではついでにもう一軒」と誘われたのだった。


 そのバーでも当たるべからざる勢いで呑んでおりますと、「明日の予定は決まったか」「車が必要なら出すぞ」とまでの親切・・・ではあるが、このままずぶずぶご厚意に甘えたのでは、気儘なひとり旅の本旨からはどこまでもズレていってしまう。丁重にご辞退して、その日はそそくさとホテルのベッドにもぐりこんだのだった。


 週末で賑わってはいたのだろうが、帰る途中、酒客の姿がやたらと多い。それも観光客ではなくいかにも地元の人間らしいのが、くだをまくのでもなくふらふらするわけでもなく、しかし店から店へと巡っているという雰囲気である。明日の夜も明後日の夜もこの町にいる(いられる)のである、と思うと、しびれるような快感が身ぬちを突き抜けた。

 

 

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