素人包丁・月見の巻

 一気に秋らしくなったので、今年の名月はそれらしく眺められたのではないでしょうか。もっとも、せまじきものは宮仕え、当日はあり合わせで酒を暖めた程度。その代わりに、二日遅れの月見料理、中秋の懐石ごっこで一人愉しんだ。

 

 以下膳組の手控え。

 

【飯・汁・向】ひと月ぶりくらいに飯を炊いたので少し固め。こちらの方が好みではあるが、懐石の一文字はやはり所謂「びちゃ飯」でないと感じが出ない。汁は小芋六方・おくら・塩蕨、吸い口はへぎ柚。南部の玉味噌。向は鱧皮と胡瓜もみ。三杯酢の酢には酸橘をしぼって。

 

【椀盛】小鯛一塩・焼き茄子(白茄子の皮を剥いて)・干し椎茸・三度豆・生麩(胡麻)。吸い口は柚輪切り。

 

【焼物】鶉の山椒焼き。※幽庵地(味醂はごく少量)に漬けておく。焼き上がりに山椒の実(塩漬けしたのを塩出しして)をつぶしてあしらう。

 

 ・・・であとは小吸物、八寸となるわけですが、そもそも濃茶ではなく最後まで酒を呑むための料理であるから、このあと肴(強肴?)が続く。懐石「ごっこ」と称する所以であります。まあね、鶉(これは炉の時季だから十一月以降にのみ用いるべきもの)と胡瓜もみを平気で一緒にしているんだから、そういう点でも完全失格であります。

 

 ともあれこの続き。取りあえず酒肴としておきます。

 

【酒肴(一)】〆鯖。普通に醤油を添えたが、酸橘の汁と大根おろしと山葵を混ぜたので和えたら俄然「らしく」なった。

【酒肴(二)】海老と無花果胡麻和え。敬愛する『玄斎』上野直哉さんの本(『四季を和える』)から取った。海老は車海老を塩湯がきして殻を剥いておく。胡麻は練り胡麻白味噌・淡口・砂糖・出汁を合わせたもの。無論師匠(と呼ばせてください!)の足許には及びもつかねど、和え衣のこくが無花果の甘さをぴしっと抑えて、不思議と肴になります。

【酒肴(三)】子持ち鮎の煮浸し。炙って焼き目を付けてから、番茶で炊き、そのあと濃口・酒・ちょっぴり味醂・生姜でくっつりするまで。

【酒肴(四)】障泥烏賊造り。梅肉和えと酒盗和え(酒を入れて煮きる)とで。三つ葉を細かくしたのを混ぜる。かぼすもしぼる。

【酒肴(五)】柿と栗の白和え。柿は角に切って海水程度の塩水に浸けておく。栗は茹でて半分ほどつぶす。甘味は付けない。なのでこれもやっぱり肴になる。

【酒肴(六)】蛸の小倉煮。蛸は別に湯がいておく。小豆を煮て柔らかくなったら蛸の一口切りを加え、濃口・酒・砂糖少々で炊く。食べしなに露生姜。

【酒肴(七)】蟹と菊の酢の物。蟹はワタリ。塩蒸しして身をせせっておく。湯がいた干し菊と混ぜ、たっぷりの柚子果汁と淡口、隠し味程度の山葵。

 

 あとは折良く届いた青森の毛豆(味が濃い)と糠漬け・沢庵。酒はひやおろし三種で七合ほど。夕景はやくに呑みだしたのですが、気がつけばとっくに日付も変わり、慌ててベランダに月を探したことでした。

 

四季を和える―割烹の和えものの展開

四季を和える―割烹の和えものの展開

  • 作者:上野 直哉
  • 発売日: 2013/02/01
  • メディア: 大型本
 

 

 

ナは長月のナ

 めっきり連句興行も少なくなった。消閑の手すさびに最近は俳句を作る。近作ふたつ。

 

野分してすぢりもぢりとこの列島   碧村

野分の朝叛徒等處刑せられたり

 

 

花村萬月『帝国』(講談社

小沼丹『不思議なシマ氏』(幻戯書房)・・・たまにはこういう膝カックン的な小説、いいなあ。

フレデリックルノワールスピノザ よく生きるための哲学』(田島葉子訳、ポプラ社

フレデリック・マルテル『ソドム バチカン教皇庁最大の秘密』(吉田晴美訳、河出書房新社)・・・これでもかこれでもかというハリセン調。たまにはこういう扇情本、いいなあ。

○堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』(文春新書)

○木村妙子『三木竹二 兄鴎外と明治の歌舞伎と』(水声社)・・・いい評伝。ついでに石川淳『前賢餘韻』なぞも引っ張り出して読む。読書はこういう形で展開するのがよろしい。

ホッブズリヴァイアサン』(角田安正訳、光文社古典新訳文庫)・・・実はまだ読んでなかった(『ベヘモス』はなぜか読んだ)!

苅部直『基点としての戦後』(千倉書房)

○ベン・ハバード『図説 毒と毒殺の歴史』(上原ゆうこ訳、原書房)・・・読んでるときに、またもノビチョクによる暗殺事件あり。

○レザー・アスラン『人類はなぜ〈神〉を生み出したのか?』(白須英子訳、文藝春秋)・・・神は徹頭徹尾人間の自己投影である、というテーゼからスタート。多神教一神教⇒汎神論という、目も彩なばかりの弁証法的展開に鼻白むが、イスラエル人が徐々にヤハウェを「唯一神」に仕立てていったという仮説は興味深い。面白く読めたが、我が神道なぞはどうなるのか。宗教以前ということか。

坪内祐三『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』(幻戯書房)・・・結局物書きとして何がしたい人だったのだろう(『靖国』は立派な仕事です)。谷沢永一的なコラムニストが求められなくなった時代に生まれ合わせたのが不幸だったということか。そうかな。

○川戸貴史『戦国大名の経済学』(講談社現代新書

井上順孝『世界の宗教は人間に何を禁じてきたか』(河出文庫

荒俣宏『新編別世界通信』(イースト・プレス)・・・『ジャーゲン』のサブテキストとして。中学生のときに読んで分からなかったのも宜なる哉。

○川北稔編『イギリス史上下』(山川出版社

○マイク・サヴィジ『7つの階級』(舩山むつみ訳、東洋経済新報社

小倉孝保『100年かけてやる仕事』(プレジデント社)

デイヴィッド・ロッジ『作家の運』(高儀進訳、白水社)・・・やっぱりブッカー賞をめぐる内幕が面白い。

大宮勘一郎・橘宏亮『ハインリッヒ・フォン・クライスト 「政治的なるもの」をめぐる文学』(インスクリプト)・・・ご贔屓クライストの、しかも『ミヒャエル・コールハース』も取り上げられていたので嬉しい。この出版社、気合い入ってるねえ。

○J.B.キャベル『ジャーゲン』(中野善夫訳、国書刊行会)・・・『夢想の秘密』『イヴのことを少し』と日本語で読める「マニュエル伝」の中ではこれが一等性に合った。“ファウストの遍歴”モノが好きなんですな、結局。せりふなどは大分凝っている(優雅にして慇懃無礼)と思われるが、もう少し訳文はなんとかならなかったものか。

○水野祥子『エコロジーの世紀と植民地科学者』(名古屋大学出版会)

 

ジャーゲン (マニュエル伝)

ジャーゲン (マニュエル伝)

 

 

 

 

余は如何にして死体となりし乎

 夏は怪談。というのも実はよく分からない結びつきながら、伝統は重んじるたちだから連休中はそれ関連のものばかり読んでいた。いくら名手・傑作揃いといっても、岡本綺堂あるいは内田百閒(その他色々)ばかりではやっぱり飽きてくるから、こういう時はアンソロジーに限る。東雅夫さんが選んだ「文豪ノ怪談ジュニア・セレクション」など、これがほんとにジュニア向けか、という充実の編輯ぶりです。ただ名作選の限界で、どうしても作品の顔ぶれがどこかで見た感じになってくる。そうなるとかえって『青蛙堂鬼談』や『冥途』に戻りたくなるから不思議なものだ。

 

 で、怪談にも飽きるとゾンビ本・ゾンビ映画に切り替える。似てるって?私見によればこの二つは全く世界が異なるのである。幽霊はコワイが、今どきゾンビ映画見て本気で怖がる大人は少ないだろうし(グロいのが気持ち悪いというのは別)、またゾンビは哲学になっても幽霊では哲学できないでしょう?

 

○マキシム・クロンブ『ゾンビの小哲学 ホラーを通していかに思考するか』(武田宙也他訳、人文書院)・・・なんかは、ま、中身に別に新鮮味はないんだけど、ゾンビという存在がいかに「問題的」なのかはよく分かる。吸血鬼だの狼男ではこーはいかんでしょーが。

 

 じゃ、ゾンビが発生させる(という表現を使いたい)テーマとはなにか。むろん、いわゆる哲学的ゾンビ(外面の反応は完全に人間と同じだが、意識を持たないという仮定の存在)とか、「不気味の谷」とか、カニバリズムの問題が一方にある。鯨馬は正直こちらの方にあまり興味が無い。やはり面白いのは、《ゾンビがいる世界》である。それはつまり《破滅しつつある世界》である。

 

○ダニエル・W・ドレズナー『ゾンビ襲来 国際政治理論で、その日に備える』(谷口功一他訳、白水社)・・・なんかがどんぴしゃ。叙述は結構いちびっているけど、リベラルやネオコンや社会構成主義など、リアルな「枠」に則して分析していて面白い。なかには「ゾンビ疲れ」なんてタームも出てきたりして、こうなったらいやでもコロちゃん騒動を想起せざるを得ないのだが、結局のところユダヤキリスト教的世界観の持ち主でなくとも、終末ないし破滅に否応なく惹かれる(蠱惑される?)のが21世紀的感覚のであるらしい。そういえばコロちゃんがらみの議論でも、なにか悲観的な見方をいうと様になり、逆に楽観的な見通しを述べるとアホのように見えるのは、あれは事態が悪化した場合に「これで日本も終わりです」論だと「そら見てみろ」と威張りやすい(終熄しちゃったらみんな問題を忘れてしまうから楽観論者は威張れない)だけでなく、「一朝ことあれかし」的なアポカリプス待望のあらわれとは言えまいか。

 

 それにしても映画・アニメのゾンビはもう頭打ちなようで、パロディにするか(『ボディ・ウォーム』『ゾンビランド』)、ひたすらSFXでたたき込むか(『バイオハザード』)、いずれにしても古典ゾンビ映画の戦慄はいささか薄れつつあるというのが実感。それに比べて、小説はヴィジュアルのインパクトを持たないぶんまだまだ鉱脈が尽きてるわけでもなさそうで、

 

マックス・ブルックス『World War Z』(浜野アキオ訳、文藝春秋)・・・などは、少し前の作になるけど、未だにこのジャンルでは乗り越えられてないんではないか。まあ、ゾンビ物に限らず小説では世界破滅テーマは存分に揉まれて練られてきたジャンルだもんな。底力が違うのかも知れない。

 

 それ以外の本も少しだけ。

 

冨田恭彦『詩としての哲学 ニーチェハイデッガー・ローティ』(講談社選書メチエ

フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(阿部重夫訳、ハヤカワ文庫)

○鯨井祐士『藤沢周平の読書遍歴』(朝日出版社

○『古井由吉 文学の奇蹟』(河出書房新社

ジャン・デュビュッフェ『文化は人を窒息させる』(杉村昌昭訳、人文書院

レベッカウィーバー=ハイタワー『帝国の島々』(本橋哲也訳、叢書ウニベルシタス、法政大学出版局

狩野博幸『江戸の美しい生物画集成』(河出書房新社

○ジョゼー・サラマーゴ『修道院回想録』(谷口伊兵衛訳、而立書房)

鈴木大拙神秘主義 キリスト教と仏教』(坂東性純・清水守拙訳、岩波文庫

田辺聖子田辺聖子の万葉散歩』(中央公論新社

磯崎憲一郎『日本蒙昧前史』(文藝春秋

黒鉄ヒロシ『天変地異』(PHP研究所

○小川敏男『漬け物博物誌』(八坂書房

末木文美士『日本思想史』(岩波新書

平山蘆江『蘆江怪談集』(ウェッジ文庫

柴田元幸アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書

 

WORLD WAR Z

WORLD WAR Z

 

 

 

ゾンビ襲来:国際政治理論で、その日に備える

ゾンビ襲来:国際政治理論で、その日に備える

 

 

 

 

うつせみ

最近は取りつかれたみたいに八戸ばかり。で、なんとなく青森の方はあっさりとした付き合いという感じだったが、今回は二軒もいい店に出会えた。一泊で二軒というのはかなりの打率ではないでしょうか。

一軒目は古川の市場近くにある立ち飲み屋『十七番』。これは夜ふらつきながら見つけた。しかも開店してまだ二日目。こういう発見の仕方が堪らない。メニュー豊富で何よりお昼からやってるのが嬉しい。次は向かいにある本店(?)の『JustinCoffee』からニボリタン(煮干し入りナポリタン)の出前取ろうっと。

二軒目はイタリア料理の『AlCentro』。青森の名店であり、今更ことごとしく出会いというのは当方が鈍だっただけの話。でも素晴らしかったな。アスパラのパルミジャーノなぞ、のたうちまわるような旨さでした。徹底して青森の食材で揃えてるのも気持ちよく、また一体に、鮑と蕪、甘鯛(松笠焼き)と茄子、また帆立と焼きリゾット(洒落た焼きおにぎりみたいな)など、食感の組み合わせが楽しい。シェフの顔つきもいい。値段は仰天するくらい安い。今度は倍以上払って心ゆくまで食べまくりたい(空港行きのバスの時間が迫っていたのだ)。

 次の旅を思うと気もそぞろ、まるで神戸で仕事をし、炊事洗濯している自分がまぼろしのようでもある。


池上俊一『ヨーロッパの想像界』(名古屋大学出版会)・・・学術的「超」大著なのだが、澁澤龍彦種村季弘の文業に親しんできた人間ならすらすら読める。宮下規久朗さんが「池上氏の集大成」とどこかで言ってらした。まさしくその通り。これで九千九百円はいかにも安い。今回はこれが紹介できればもうそれでいいようなものである。
○J.B.キャベル『イヴのことを少し』(垂野創一郞訳、国書刊行会
○本多不二雄『神木探偵』(駒草出版
○フィリップ・ポール『人工培養された脳は「誰」なのか』(桐谷知未訳、原書房
○『武田百合子対談集』(中央公論新社)・・・ああ、『富士日記』読み返さねば。これをしないと夏という感じにならない。
○森川裕之『京ぎをん 浜作料理教室 四季の御献立』(世界文化社)・・・FBであげましたが、この胡瓜もみは発見でした。
佐伯彰一『作家の手紙をのぞき読む』(講談社)・・・上手いなあ。別に技巧的な名文というのではないのに読ませる。文学史的雑知識がちりばめられ、文学史的スケッチがあちこちに出てくるが、篠田一士ほど水っぽい感じはしない。
橋本治『九十八歳になった私』(講談社)・・・爆笑哄笑のうちに読み終える。合掌。
清水義範『考えすぎた人』(新潮社)
○イザベラ・トゥリー『英国貴族、領地を野生に戻す』(三木直子訳、築地書館
○アリス・ロブ『夢の正体』(川添節子訳、早川書房
鈴木棠三『日本俗信事典 植物編・動物編』(角川文庫)
○三谷博『日本史の中の「普遍」』(東京大学出版会
○アンデシュ・ニューマン他『性的虐待を受けた少年たち』『性的虐待を犯した少年たち』(太田美幸訳、新評論)・・・性的虐待の被害者は加害者になる、という俗説がまさに俗説に過ぎないことがよく分かる。21世紀の世界は合理主義どころか、神話論理の横行する「中世」だということも透けて見える(このコロナの空騒ぎひとつとってもよく分かるが)。
○久水俊和・石原比伊呂『室町・戦国天皇列伝』(戎光祥出版)・・・一般向けの読み物とあって、研究者が苦心してそれぞれの天皇の個性を浮き彫りにしようとしている。日本史の授業では「色々おりました」で済ませるところが、これほど個性強烈な面々ぞろいだったとは。それにしても、朝廷と幕府と有力守護と寺社勢力とがちんちんもがもがやっていた室町って面白いなあ。なんだか江戸時代の勉強しながら、もひとつハマりきれなかった理由が分かった気がする。

 そして、ようやく読みました!

安田謙一『書をステディ町へレディゴー』(誠光社)・・・これは夏季休暇で、冷房の効いた部屋でひっくり返って読むべき本であった。音楽関係の情報はほとんど訳わからんのだが、なんだろうこの心地よさ。鯨馬と生活圏(とゆーか漫歩圏か)が重なっているみたいなので、どこかで著者と遭遇することを期待してます。ちなみに、なんとなくうらびれたオッサンを想像してたのですが(失敬!)、裏見返しの写真を拝見するに、めさダンディーなオジサマだったのが、またなんか外された感じで、これも笑えた。

 さてそろそろお盆。皆様は如何お過ごしの予定ですか。鯨馬は夏の休暇(といってもたかだか四日)に備えて、若島正さんの『乱視読者』シリーズをチェックしなおして書名をリストアップし、また新訳が出た『モーセ一神教』、それにアランの芸術論ふたつ(『芸術論20講』『芸術の体系』、いずれも光文社古典新訳文庫)を入手しております。それと高橋宏幸さんの手になるオウィディウス『変身物語』(西洋古典叢書京都大学学術出版会)第二巻も。これはイキがよくて、大古典も愉しんで読めます。あとはビールと酒とワインとシェリーとバーボンとラムと・・・。

 

 

ヨーロッパ中世の想像界

ヨーロッパ中世の想像界

  • 作者:池上 俊一
  • 発売日: 2020/03/05
  • メディア: 単行本
 

 

 

書をステディ町へレディゴー

書をステディ町へレディゴー

 

 

うににまみれるうりに淫する~コロナに抗して孤独旅②~

 前日の夜においたしなかった(ちょっとだけした)功徳で、朝早くから目覚める。これ幸いと市バスに飛び乗って陸奥湊駅へ。陸奥湊の朝といえば『みなと食堂』。あまりに有名すぎる店なので実は今まで敬して遠ざけていた。店前に行列が出来ているのも気ぶっせいでしてね。この日も行列があればやめておくつもりだった。

朝食その① 平目漬け丼・・・いちばんの名物。飯の上に切り身がびっしり。真ん中には卵黄。魚の色はうっすら染まっているくらいなのに、口にするとしっかり味が付いているのが不思議。半分はそのままで、もう半分は卵黄をまぶしながらかき込む。よくぞ瑞穂の国に生まれける。
朝食その② 生海胆丼・・・朝飯のお代わり、それもコメの飯をお代わりするなぞ、普段の食生活からすれば異常であるが、この季節に八戸に来た上からは、これくらいせねばならんのだ(さすがに飯は減らしてもらいましたが)。後半は何故か目をつぶって食べてしまう。よくぞ瑞穂の国に生まれける。

 毒食らわば皿まで。海胆食らわばトゲまで。二度あることは三度ある。その②があるなら③もある。「余はこの時すでに常態を失しなつてゐる」(『倫敦塔』)。

 倫敦塔をさまよう夏目漱石のごとく、余の足はいつのまにか駅前の市場へと向かっていたのであった。

朝食その③・・・気がつけば余の前には焼き海胆、〆鯖、筋子、焼き鰈、漬け物、メカブの汁が並んでいるのであった。丼飯を取らずに缶ビール及び冷酒としたところに、いくばくかの理性を見て取って頂きたい(冷酒の二杯目にはそこはかとない狂気を感じて頂きたい)。

 中心街に戻った時点でまだ8時半過ぎ。時間に余裕があるので、櫛引八幡宮方面のバスに乗ってみた。市街からかなり離れた場所なので、これまで行けなかったのだ。

 mamoさん曰く、「霊媒師の友人が言うには『あそこはホンモノ』」。生来不敏にしてホンモノ/ニセモノの別は分からぬながら、森厳な空気と深い杉木立は結構なものでありました。

 再び中心街に戻って、銭湯で汗を流すと、不思議なものですねえ、何故かもう昼飯の時分どきになっているのですねえ。

 というわけで。

昼食  ロー丁(鷹匠小路)『ぼてじゅう』・・・立派な作りの鮨や。ここでもやっぱり海胆を頼む。大盛りでお願いします。ビールは早々に切り上げて、冷酒をくいくいやる。海鞘もお願いします。あ、鮑も。これで八戸夏の三人衆は制覇せり。

 中略して晩飯。といっても略するほどのこともなくて、百貨店の食料品売り場と本屋を何軒か回ってホテルでうとうとしたら、もうそういう時間だったのだ。不思議と食慾があるのは要するにとち狂っていたということであろう。

 お目当ての『鬼門』も『南部もぐり』も一杯だったので、居酒屋系は諦めて少し気取ったような店に入る。ここでは、

夜①・・・生海胆、船冷鯖刺し、糠塚胡瓜、なめた鰈煮付け

 しかし海胆も銀鯖もここでは実は当て馬的な役回りなのであった。本命は糠塚胡瓜。初めて食ったときに驚倒した覚えがあり、これが品書きにある店を探し歩いた挙げ句の再開である。

 いわゆる胡瓜の1.5倍ほどの太さ。皮はむいて供する。ワタをとるとメロン顔負けの涼やかな香りがよろしく、取らずに出せば高雅な苦みを楽しめる。いずれにせよ、シャクシャクとパリパリの中間のような食感は凡俗の胡瓜には真似手のないもので、味噌を付けてかじっているといつまでも酔わずに呑めるという気持ちになってくる(←すでに酔っている)。八戸でもごく限られた地域でしか採れないのだそうな。これはいつまでもそうあって欲しいもの。

夜②・・・なので、八戸では毎回訪れるおでんや『蜘蛛の糸』でもこれがあったのに驚喜する。冷酒もいいが、麦焼酎オンザロックスなぞにも抜群に合う。もっとも胡瓜にコーフンしていると、横のお客さんが出前で取ったから、とパスタを分けて下さった。海胆のクリームパスタである。なんだか胡瓜にうつつをぬかしているのに、海胆氏がヤキモチをやいて押しかけてきたような按配であった。

夜③・・・八戸の夜はこの日まで。種差海岸の風景をぼんやり思い出しながら、みろく横丁で「としろ」(鮑の内臓の塩辛)をなめつつ、三たび糠塚胡瓜。「もうこのシーズンは海胆はいいかな」などつぶやきつつ。

※翌日の八食センターでは性懲りもなく生海胆をいちまいぺろりと平らげておりましたが。

 

我火星人なりせば~コロナに抗して孤独旅①~

 えんぶり以来、ということは半年も経っていないのだけど、合間の大騒動を考えると随分久々という感じがする。

 八戸駅からそのまま鮫駅まで乗り、バスで小舟渡まで。種差海岸で「いちばん海に近い食堂」として有名な『海席料理処 小舟渡』で昼食という心づもり。

 近いどころか、海の上に突き出したという造りで、失礼ながら漁師小屋に毛の生えたような建物がよくうつる。まさに目の前の岩に波がくだけるのを見ながら何はともあれビールをぐいっとやる快感は言うまでもない。今朝はあまり上がらなかったとのことで、お目当ての生海胆丼は注文できず。代わりに定食を頼んだのですが、これは定食というよりコースですな。まず出ましたものを書き連ねてみる。

 ・小鉢
 ・つくり・・・わらさ、帆立、鯣烏賊、岩牡蠣、生海胆、牡丹海老
 ・酢の物・・・海鞘酢
 ・焼き物・・・帆立、鯖塩
 ・椀・・・いちご煮

 わらさの造りなぞ、名詞大のものが四切れ。それでも鰤・間八系が苦手な人間があっさりと平らげたのだから、当然だけど、新鮮で旨い。ビールでは間に合わないので地酒の小瓶を頼み、光る海をほけーっと見やりながら魚をつまむ。あらためていちご煮(有名ですが念の為。海胆と鮑の潮汁です)は飯の相手ではなく酒のアテ向きだと思った。薄味の具合といい刻み込んだ大葉の香りといい酒客泣かせ。

 なんて言いながら酒をお代わりしたあと、鯖の塩焼き(堂々片身ぶん乗っかっている)で飯を二三口。「前沖」のサバがあるのに飯を食わないという手はない。

 すっかり腹がくちくなったので、午後は少し時間をかけて種差海岸を歩く。前回、初の八戸旅のときには海霧が上まで這い上るような天候で、震えながら暗い海を見たおぼえがある。うってかわって今日の眺めは豪快そのもの。滑らかな天然芝、または峻険な崖の先に白波がくずれる光景は、たしかに宇宙人でも感動するであろう、と実感。

 唐突に宇宙人が出てきましたが、ここを訪れた司馬遼太郎が「宇宙人が来たら、真っ先にこの海岸を見せてやりたい」と景色を評した由。さすがに国民作家だけあって、褒め方もむやみに景気があっていいですね。人っ子ひとりいない(ように思えるくらい、長い長い海岸なのです)のそこここで足を止めて潮音に聞き入っていると、珍しく感銘は句ではなく歌の形を取って出た。お笑い草にご披露。


 太平の海の揺り越す白波の岩噛むときにすさびては果つ


 市街に戻り、ホテル内の温泉で体をほどいてしばしうとうと。だいぶお腹も空いてきたかな。

 この日は八戸の知人であるmamoさん(2020年2月「鬼が笑う門」をご参照下さい)がコーディネートしてくださった。まずは待ち合わせの前に、ブックセンター横にお囃子の練習を聴きに行った。例にもれず八戸の夏祭り(本来は秋祭り)である三社大祭も中止となっている。不思議と、冬のえんぶりの囃子よりもゆったりしていてどこか哀調を帯びている。えんぶりの方は北国の冬をはね返すために、もしくは予祝の芸として力強い節回しとなったのかな。ともかくこども達が大人やにいちゃんねえちゃんに指導されながら太鼓叩いている眺めは、この町の贔屓として頼もしい光景である。

 さて待ち合わせ場所は長者まつりんぐ広場。ここにあるむやみに背の高い倉庫では三社大祭の山車三基の制作中。そしてmamoさんも鍛冶組のメンバーとしてそこに加わっている。祭での巡行自体は取りやめだが、展示用に作っているとのこと。

 Google先生にあれこれ訊ねていたから概念的には分かっていたが、やはりこの山車の大きさ、華麗さには圧倒された。そしてmamoさんの説明を聞いて、何から何まで(機械で動く仕掛けの工夫まで)町の方々の手弁当による作業で作られると聞いて一層圧倒される。

 うつくしい話。それだけに尚更今年の中止は悔しかっただろう。鯨馬も、復活第一回目のときには何とかして駆けつけたいものだと思う。

 八戸は横丁の町でもあります。とはいえ、みろく横丁の屋台村以外はやはり観光客には(鯨馬のような厚顔なヤツでも)なかなか入りづらい。なのでmamoさんが夕食に選んでくれたのが狸小路にある店だったのは嬉しかった。

 『origo』。ナチュラル系のワインで合わせるビストロだそうな。その意味でも自分では選ばない店である。ここでは我が輩の八戸師匠格であるmamoさんに色々教えてもらうおしゃべりがメインのような趣だった。といって料理がイケなかったどころではなく、前菜の豚レバーの低温燻製も、鴨のロースト、それにカイノミのローストも堪能したのですが、なにせこの店量が多いのですね。というか、普段ならさらっと平らげてもっとワインをぐびぐびやってるはずの鯨馬ですが、昼間に強烈な日光にさらされながら小一時間海岸を歩きづめに歩いた人間はここらで急速に眠くなってきた。

 日本酒バーも最近できたんですよ、面白い飲み屋もありますよとオスピタリテをいっさんに振りまいてくださるmamoさんには本当に申し訳ないが、八戸初日は初戦敗退。次は必ず朝まで呑みますから!(つづく)

 

四国水族館に行ってきた

 六時過ぎに家を出て、開館前に着いたはずだが、なんじゃこの長蛇の列は。当然館内も大混雑で、こりゃいつクラスターが出てもおかしくないわなと少々ビビりつつ回った・・・からという訳ではないが、もひとつ食い足りない。「○○の景」という展示(しかもサカナの説明は一切無し)がしゃらくさいし、中途半端な大きさの水槽が多く、仰ぎ見る愉しみやのぞき込む愉しみがあまり味わえない。何を目指しておるのか。

 とまあ、ワルクチを並べ立てたくなるのですが、曲がりなりにも神戸から半日で行ける場所に折角新しい水族館が出来たのですから、屋外と屋内を自由に行き来できる開放感と、なんといっても瀬戸内の海景を背にした抜群の眺めとをここでは評価しておきましょう。これからの磨き上げに期待。


○バレリア・ルイセリ『俺の歯の話』(松本健二訳、白水社)……マキ、あなたにおすすめです。
○井奥陽子『バウムガルテンの美学』(慶應義塾大学出版会)
高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史戦後文学篇』(講談社
○ヴィクトル.I.ストイキツァ『絵画をいかに味わうか』(岡田温司編訳、平凡社
○マイケル・バクサンドル『ルネサンス絵画の社会史』(篠塚二三男訳、平凡社
○エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ『気候の人間の歴史Ⅰ』(稲垣文雄訳、藤原書店
マリオ・バルガス=リョサプリンストン大学で文学/政治を語る』(立林良一訳、河出書房新社
○伊藤邦武他編『世界哲学史』(ちくま新書)……中央公論からも哲学史叢書出てるし、講談社の選書メチエでも出てたよね。テツガクばやりなのか。で、このシリーズは「世界哲学」に力を入れている。今のところはヘーゲル的なギリシャ・ローマ(⇒中世)⇒ヨーロッパ近代という図式に接ぎ木したという感は否めないけど、心意気をかいます。
○青山拓央『心にとって時間とは何か』(講談社現代新書
○オリヴィエ・ゲズ他『独裁者が変えた世界史 上下』(神田順子、原書房
安田喜憲・荒川紘『龍の文明史』(八坂書房
○多田英俊編『鴻池幸武文楽批評集成』(大阪大学出版会)……いやあ、歯に衣着せぬどころか、金剛砥で歯を研ぎに研ぎまくった上で真っ向から噛み割くような批評。文楽への愛情が、ヘンな日本語ですが壮絶に伝わってきます。これに比べれば鯨馬の四国水族館評などは絶賛といってもいいくらいである。
○阿部泰郎『中世日本の王権神話』(名古屋大学出版会)
○荒井健・田口一郎荻生徂徠全詩1』(平凡社東洋文庫)……同じ東洋文庫から出てる『徂徠集 序類』の訳注と合わせると、だいぶん徂徠研究も進むのではないか。
○ヒューム『自然宗教をめぐる対話』(犬塚元訳、岩波文庫
佐伯泰英『惜櫟荘の四季』(岩波現代文庫
○松尾恒一『日本の民俗宗教』(ちくま新書
藤森照信『近代建築そもそも講義』(新潮新書
ウィリアム・トレヴァー『聖母の贈り物』(栩木伸明訳、国書刊行会
安田謙一『神戸、書いてどうなるのか』(ぴあ)……若島正さんの書評でこの著者を初めて知った。ユルイようだけどなんだかヘンに骨格正しい日本語で、癖になる。新刊の『書をステディー町へレディゴー』(このタイトルでまず膝がかっくん、となる)も読んでみよう。
○白井明大・有賀一広『日本の七十二候 旧暦のある暮らし』(KADOKAWA
濱田啓介『国文学概論』(京都大学学術出版会)
○ヒュー・ルイス=ジョーンズ『ファンタジーの世界地図』(栗原紀子訳、東京堂出版
○J.M.クッツェー『イエスの学校時代』(鴻巣友季子訳、早川書房)……『幼子時代』に続く第二作。ダビードはますますイラつかせるガキになり、イネスはさらにわがままになり、そのぶん二人に振り回されるシモンが実にあわれ(で可笑しい)。ドミトリーというヘンタイの殺人犯が執拗にシモンたちにつきまとい、ケッタイな長広舌(犯罪哲学?)をふるうところがなんともいえず不気味。第三作は『The death of Jesus』(!)らしい。いずれ鴻巣友季子さんの名訳で愉しめるのだろうが、四年も待たされるのはつらいなあ。久々に原書買うか。
三浦しをん『仏果を得ず』(双葉社文庫)
○藤原昌高『美味しいマイナー魚介図鑑』(マイナビ出版)……最近贔屓の居酒屋の主は珍魚好き。で、当方が生まれてこの方聞いたこともないようなサカナがよく出てくる。少しは勉強しましょう、と手に取った本。著者は、サカナ好きには紹介不要ですね、あのぼうずこんにゃくさんであります。
泡坂妻夫『家紋の話』(KADOKAWA
安藤礼二『列島祝祭論』(作品社)
○モリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』(柴田元幸訳、文藝春秋
○ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』(細井直子訳、河出書房新社)……これもマキ向きだな。

 

烏賊はどこか哲学的。

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FFXのサンドワーム がおった。

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