樹影譚

  今日は休日。朝から晴天。 
  ですが、事情があり、怏々として心楽しまぬまま朝食の食卓につく。
  浮かぬ顔には不釣り合いに献立は豪勢で、ほうぼうのちり鍋と真魚鰹の幽庵焼。ウドの胡麻酢和え。昨日、スーパーでほうぼうが五尾で498円だった。いくら旬は終わったとはいえ、これは安い。で、買って帰り、ちり用に三枚に下ろしたが、胸中のむすぼれに食欲もわかず、そのまま冷蔵しておいた。
  食事のときに、ほとんどテレビは見ない。ゆっくりと食べ終えて、茶を飲みながらふとテレビを置いてある壁のほうに目をやって驚いた。
  部屋の白い壁に、精巧な切り絵のような木の影がくっきりと映っていた。マンションの入り口に植えられ、バルコニーのすぐ前にまで枝をのばしている欅である。風が吹くのにあわせて影はこまかく揺らぐ。
  10分ほど見惚れていると、すうっと影は消えていった。太陽がのぼって影の角度が部屋の位置を逸れてしまったのだろう。
  植わっていたのが欅でよかったな、と思う。このあたりで一番多く見かける楠では葉叢が密にすぎて枝の線が見えないだろうし、桜や樫では葉が大きすぎたり厚すぎたりで、枝のそよぎはやはり隠されてしまう。
  この時刻に太陽が照っていること、そして自分が家にいること、と条件がそろわないと見られなかった、そう考えると気持ちにも陽が射してくるような気がする。
  欅がもっと、二階の拙宅を越すくらいに大きくなれば、やはりこの繊細な影の絵(抱一の『夏秋草図屏風』を版画に仕立てたような感じ)は見られなくなる。けれどそのときには、目の前に大木(?)の幹がすっくと立ち、バルコニーのある部分がずっと緑陰に染まることになるわけだ。すてきな話ではありませんか。
  さてすこし気持ちを持ち直して、昼は王子公園に用事を済ませに行く。帰りがけ、穴子料理の『韋駄天』に立ち寄る。
  ここは大学院生時代、よく通った店だ。学生のくせに生意気なようだが、アルバイトをやたらしており、金はまずまずあったのだ。それで研究者にはなれずじまいに終わったわけだが。
  マスターと昔の話をしながら瓶ビールを三本空け、穴子の天ぷらやでんすけ穴子の鍋のついたお膳を平らげた。
  晩はほうぼうの残りでアクア・パッツァもどき。「もどき」というのは、昨日下ろしたほうぼうのアラでフュメをとっていたので、それを加えたところ、アクア・パッツァとブイヤベースの中間のような仕上がりになってしまったから。ともかくもうまい。
  上機嫌でボルドーの白を一本空けてしまった。合いの手は、王子公園から帰ってずっと読んでいた、かつてのイギリス政界一の人気男(だったらしい)ダフ・クーパーの自伝『Old Men Forget』(いかにもイギリス人らしいタイトルだ!)。
  読みながら自伝伝記についてすこし考えていたのだが、その話はまたいずれ。


  タイトルは、いうまでもなく小説家・丸谷才一の短編から。