片道千円の旅

  朝鮮通信使が恍惚とし、かのシーボルトが絶賛した瀬戸内の海は、前日からの大雨と風で黄土色に波立っていた。

 まあ、おかげで他の観光客も無し。
 久々の三連休だからどこかに行こうと思い立ったものの、思い立って金沢や長崎に行けるものでもなし、片道千円、二時間以内という制限を設けた上で旅先を探してみた。
 条件にぴったりだったのが、播州室津谷崎潤一郎が『乱菊物語』の舞台にしたこともあり、また池内紀さんの「室津断章」の、真夏の真昼のように静かな文体に惹かれていたせいもある。
 飾磨から山陽電鉄網干線に乗り換え、駅での停車時間がやたら長い電車で網干駅まで行き、神姫バスを待つ。駅前と駅に近い大通りに、どちらも白々と立派な「メモリアルホール」があたりを睥睨するがごとく建っているのが笑えた。ロオデンバッハ真っ青の現実ですな。
 さて室津は案の定観光客は一人もおらず。それどころか、およそ町に人が歩いていない。民俗資料館のたぐいは月曜ですべて休館。
  もっとも、「何もしない」ための旅だから、意地っ張りではなくこれを奇貨として町をぶらつく。
  西から東に向けて馬蹄形に刳りこまれた湾をとりまくように建つ民家の多くは櫺子窓、格子戸をもうけている。中には木口の新しい家もある。「室津千軒」の栄華はいまに影をとどめているかのようである。
  町の南の高台には賀茂神社がある。檜皮葺流造の本殿と回廊は重要文化財の指定を受けているとのこと。折から落ちてきた陽光の下で、屋根の曲線をしばらく堪能する。
  神社の南側はそのまま播磨灘に面した断崖で、一部は海に下りられるようになっている。階段状に突き出た岩にこしかけて鏡をくだいたような瀬戸内の海つらをぼおっとながめているうちに眠り込んでしまった。
  一時間ほどの昼寝から目覚めると空腹をおぼえる。町中に食べ物屋は、もののみごとに無い。このまま晩まで辛抱するか、とバス停を目指して歩き出した国道沿いの旅館に「定食」の看板。やれうれしやと戸を開けるがしばらく誰も出てこない。何度か声をかけた後で、手をふきふき出てきたおばさんは不審顔。まあ、午後も三時にひげ面の男一人だしなあ。ともかく何か食べられるか聞いてみると「穴子丼ならできますけど」との返事。やれうれしやと、ビールを飲みながら穴子丼を待つ。「尾頭付き」の立派な穴子であった。
  ゆっくりと遅い昼食をしたためて、旅館を出る(谷崎潤一郎司馬遼太郎がよく使っていた宿らしい)。バスの時刻まで一時間余り。これなん田舎の旅の定番、とかねて用意の一冊、ジェラルド・ダレルのThe Garden of the Godsを取り出す。《現実の楽園のルポルタージュ》ともいうべきこのすばらしい本、まだ読んでいない人がうらやましい。あの至福の時間が待っているのだから。集英社が出していた池澤夏樹さんの翻訳(三冊)は、すべてなぜか絶版。おいそれとは入手できないだろうが、ヤフオクで探すか、原書を買うかしてでも読む価値あり(現にぼくも三冊目の日本語版がどうしても入手できなくて原書を注文した)。
  詩的な文章に陶然としているうちにバスが来た。
  宿は新舞子というところにある。ここにも、もちろん観光客の姿は無し。宿の目の前では、川の増水が流れ込んで茶色く濁った海が三角波を立てて浜に打ち寄せていた。
  風呂は最上階(といっても三階)。風呂からは入り日がちょうど正面になる。豪勢ですなあとつぶやきつつ潮風に吹かれてまた湯につかる。
  夕食は懐石仕立て。献立は、何かの記録にもなるかと思って煩を厭わずここに引き写しておく。日本料理に興味のない方は以下は飛ばして下さい。

「始」「酢」「菜」と献立にはあったが、要するに前菜の三種盛りは、
?宇治豆腐(おくら、新蓴菜、うすい豆、ランプキャビア)旨出汁
?もずく豆鰺南蛮漬(落とし芋、いくら、セルフィーユ)
?白和え(湯葉とほうれん草、赤こんにゃく、空豆、クコの実)
椀盛りは、
?玉子豆腐、鱸焼き目、白瓜、蕨、昆布、木の芽
造りは、
?鮪、平目、鳥貝、間八
小鍋立ては、
?若草鍋(うすい豆のうらごしを出汁でのばす。具は鯛・蒸し穴子・帆立・紋甲烏賊・しめじ・白葱・水菜)
蒸し物は、
?鰆粥蒸し、べっこう餡(賀茂茄子、紅葉麩、小柱、絹さや)
焼き物は、
?甘鯛サラダ焼き(筍、アスパラ、才巻海老)
焼き物別盛りで
?蛍烏賊、若布、茗荷の酢味噌
油物は、
?飛竜頭東寺揚げ煎り出汁(スナップえんどう、大根生姜おろし)
飯は
?新生姜と浅蜊の釜飯(鶏そぼろと薄揚げ)
これに香の物と赤味噌の汁、果物が付く。

  日本料理にひとかたならぬ関心を持っており、そして早晩日本料理は滅びると確信している(ここでいう日本料理とは、居酒屋で出すような、「創作和食」のたぐいに非ず)者として、最末期の日本料理の姿の記録として貴重だと思ってあえて載せた。他にも最近食べた懐石仕立ての献立をお持ちの方はぜひ教えていただきたい。
  さて、料理屋の月旦を趣旨とするブログではないから、上の品々のすべては論評しないが、?の小鍋は如何かと思う。うすい豆のうらごしを出汁としたのは季節を生かす工夫としても、具材のたとえば紋甲烏賊。あんな、歯ごたえしか取り柄の無いような烏賊には、下地の味はうまく乗らない。つまり、食べると単に、湯引きの烏賊の歯触りだけが口中に広がる。これならずんだ和えにしたほうがよかった。
  またたとえば水菜。水菜の少しアクの強い苦みとこの出汁も、どうもとけあわないものを感じる。
  そもそもこの小鍋、最近懐石仕立てのところでもやたらと出すが、旨いと思って食ったことが一度もない。のみならず、食膳が修学旅行生の朝飯めいて、色気のないことおびただしい。無きに如かず。
  甘鯛のサラダ焼きも、甘鯛の身の柔らかさを引き立たせるのなら、上に塗ったポテサラはもっとこんがりと焼き目をつけるべきだ・・・とひとりごちつつ、「堀部安兵衛」という地酒を呑む。濃醇にして辛口。こちらは文句なくこちらの好みに合った。
  翌日、窓から浜をみると一面に海草が打ち上げられていた。駅まで送ってもらった車中で、宿の人は「海草はすぐに腐って、イソバエがたくさん湧く。処理するのにも手間がかかるし、塩分がふくまれていて、なかなか肥料にもならない。まったくの厄介者だ」と話していた。
  三宮ではジュンク堂書店に寄って、山尾悠子の新しい短編集『歪み真珠』と保苅瑞穂の書いたヴォルテールの評伝をもとめて帰る。時間があるのであちこちの階を見て回る。これは買わなかったが、ミシュレフランス史の翻訳が出ている。藤原書店さん、やりますなあ。オルハン・パムクの新刊、『ブリキの太鼓』の新訳、その他その他。ジュンクのフロアにたってつらつら考えてみるに、ぼくが読みたい本をすべて買って読むには、今の3.7倍の給料と11.4倍の休日が必要となる計算。
  つまりここにある本のほとんどはふれあう機会もなく通り過ぎていくことになるわけである。
  そう考えると、本棚の上に檸檬型の爆弾を仕掛けたくなってきた。
  さあ、今回は鯨飲馬読ならぬ、「牛涎馬齢」ブログ、最後までお読み下さりありがとうございました。皆様の貴重なるお時間をば長々と掠めとった段、平にご海容願いあげます。