四百年続く和菓子の家 〜双魚書房通信③〜

 美しい本である。中に収められた季節ごとの和菓子の写真もさることながら、語られる内容そのものが、美しい。

語り手である山田和市さんは約四百年(!)つづく京の干菓子司「亀屋伊織」の跡取り息子。和市さんのお父様で十七代目に当たるという。

 「亀屋伊織」は茶事に用いられる干菓子を専門に作っている。といってもほとんどの人にとってはそれがどんなものか、想像も付かないだろう。評者ももちろんそうである。本文の記述によれば、「干菓子の種類は、砂糖蜜を煮詰めた有平糖、木型に寒梅粉やみじん粉という糯米の粉を詰め込んで作る押物、洲浜粉と砂糖を練った洲浜、味噌餡や梅肉餡をはさんだ煎餅、砂糖を寒梅粉でつないで練った生砂糖など」、ということになる。

 世をあげての「スイーツばやり」とか。一般にもてはやされる菓子が、クリームや洋酒や果物をふんだんにつかって妍を競うが如くであるのにくらべればずいぶん地味な気がする。和市さんご本人もこう言っている。「私どもの作るお菓子は、そういった場に自然と溶けこみ、邪魔にならないお菓子でありたいと思っております。きばって作ったお菓子はどうしても主張をしてしまいます。/「作りすぎないように」/家族お互いにそう声をかけ合って私どもは仕事をしております」。そうした干菓子の特質を形容するのに、語り手は「ざんぐり」という表現をなんども用いている。

 毎日毎日、干菓子作りに心を傾けているひとでなくては出てこない言葉だろう。つまりは、空疎なかけ声ではない、みっちりと実質のつまった「伝統」というものの手応えがこの言葉遣い一つにも感じられるということである。和市さんはまた、有平糖のひねり具合に、父が作ったのか母が作ったのかがあらわれるとも言う。これも、ふだんは薄っぺらにひびく「文化」なる語の本来のありようを垣間見させてくれる話である。

 四季折々の景物、とくにその移り変わりを重視する心のはたらき、一つの技術がたえず絵画や能など他ジャンルとの交響をめざしていくという傾向、それらをふくめて日本文化の特徴的なあり方がそこここに見て取れる一冊である。

 話がいささかかたくなった。はじめに書いたとおり、数々の干菓子の写真(とくに79頁の「兎」と「豆」が秀逸)を眺めているだけでも楽しい。読み終わってしっとりと心が鎮まっていることに気づく、そんな本。

亀屋伊織の仕事―相変わりませずの菓子

亀屋伊織の仕事―相変わりませずの菓子