隠れた古典 〜双魚書房通信④〜

 高校生のころを思い出す。古典(漢文)の授業の担当だったやたらと眉毛の長いその教師は、『史記』の「項門の会」のくだりを、一切の解説ぬきでひたすら暗唱させ、すらすらといえないようだと丸めた教科書で頭をポカンとやるのだった。

 今ならこんな無茶な教育は許されないだろうが、立派にオッサン世代にさしかかった現在でも古代中国語で書かれたその文章(の、正確には読み下し)がすらすらと口をついてでるのは妙なものである。

 評者は一九七四年生まれの三七才。少なくともこの世代くらいまでは『史記』に、たとえ学校教育をとおしてではあれ、親しんだ経験を共有しているのではないか。

 本書はそんな風に、日本人の世界観・歴史観・人間観に絶大な影響を及ぼしてきた『史記』の魅力を、それぞれに一癖も二癖もある『史記』びいき三人が存分に語った鼎談の記録である。

 鼎談ならではの長所は、自在に話題が飛躍すること。なぜ日本には宦官制度がないのか、といういわれてみればもっともな指摘や、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』における重大なミスなど、興味津々の話が盛りだくさん。

 もちろんその裏返しで、たんなる思いつきの放言に過ぎないような発言もある。自慢合戦のようで読者を白けさせる場面もないではない。

 『水滸伝』『三国志』『唐詩選』といった中国文学が日本文化におよぼした影響はこれまで何度も語られてきた。《『史記』と日本人》はひょっとすると、その規模(というのは作品自体、および影響の規模)の巨大さという意味で、従来の日本文化論の大きな欠落を補うテーマになるのかもしれない。多少の欠点は目をつぶっても仕方ないかな。

 学生時代に、古書店で買った江戸時代の版本による『史記』がある。結局ほとんど読みもせずに書庫の片隅にねむっているその本が俄然読みたくなってきた。

『史記』と日本人

『史記』と日本人