『詩という仕事について』(J.L.ボルヘス)〜双魚書房通信 ⑥ 〜

  《魔術師 魔術を語る》

  「詩とは何か?」―その答えを20世紀文学最大の守護聖者の一人である巨匠が解き明かしてくれるのではないか。書名を見てそう考え、手に取った人も少なくないはずだ。実をいうと評者もその口であった。その期待にこの一冊は答えてくれただろうか?

  単刀直入にいえばその期待は愉しく裏切られた。ボルヘスはハーヴァードの詩学講義の冒頭であっさりとこう宣言する。


   題目は「詩という謎」で、アクセントは、もちろん、二番目の単語の「謎」にあります。したがって皆さんは、肝心なのは「謎」であるとお取りになるかもしれない。あるいは、一層悪いことに、その謎の正解をどうやら見つけたと、私が勝手にそう思い込んでいるとお取りになるかもしれない。実際には、皆さんにお教えするようなことは、私には何もありません。


  無愛想といえば無愛想。そう思う一方で、そうだ、そうこなくちゃいけない、ですよねーと激しく同意する私もいる。老作家にしても、いったんこう尻をまくってしまえば(ボルヘスの語り口は今の引用で分かるとおり、こんな下品な表現とはほど遠い、温柔典雅なものである、念のため)あとはのびのびと詩について語ることができるわけで、隠喩、叙事詩、詩の翻訳、思考と詩の関係といった話柄が、一見気の赴くままに、しかし子細に見るならば実は精緻に配置され、とはいっても大学教師のしかつめらしい理論癖とはおよそ対照的なスタイルでゆるやかに語られる。ボルヘスが「特別の愛着を抱いて」いるイギリス文学はじめ、様々な詩作品から自在に引用し(自在というのは、もうこの時に彼の視力は失われかけており、記憶に拠るしかなかったからだが)、ほとんど玩物喪志とさえいいたくなる(むろん讃辞である)微細さでそれを鑑賞(嘆賞)する。講演だからこれらの詩をすべて講演者は朗誦したはずである。聞けないのが残念。

  味噌は一篇一篇の詩に加えるコメントにあるのだけれど、それを探すのは読者の愉しみ。ここでは巨匠がさらりといってのけた詩学の秘術を紹介しておく。


   私の信ずるところでは、生は詩から成り立っています。詩は、ことさら風変わりな何物かではない。いずれ分かりますが、詩はそこらの街角で待ち伏せています。いつ何時、われわれの目の前に現れるやも知れないのです。


  評者の信ずるところでは、エズラ・パウンドの物騒で鋭利で、やたらと実践的な『詩学入門』(冨山房百科文庫に沢崎順之助訳あり)と双璧をなす詩学の書。鼓直訳。

詩という仕事について (岩波文庫)

詩という仕事について (岩波文庫)