夢の余波(なごり) 栄華の記憶 

  大学院では漢詩文を専攻していたのに(ただし江戸時代の日本)、中国史に対しては映画や朝食にパンケーキを食べることや寝る前に腹筋をすることと同程度、というのは、たまに熱中してはまた長い間ほったらかしという程度の付き合いしかしていない(ということに今気がついた)。それでも関心が復活する時には、やはりお勉強でもなければマニアでもないので、自分の好きな時代のことにふれた本を手に取ることがつい多くなる。

  「藝林もつともバケモノに富む」という表現で明末清初への親近を表明したのは石川淳。ただし別の文章では、太平の時代になると史書を読む興味がにわかにうすれるとも書いていたから、これは学術文化に「バケモノ」輩出しただけでなく、治乱興亡をきわめた時代まるごとの「バケモノ」性をたたえた台詞と考えてよいだろう。

  号にわざわざ「夷」斎と付けた(「夷」は「あらえびす」の意)石川淳とは違い、こちとらちゃきちゃきの・・・なにわの贅六、どうも斬った張ったの時代とは相性が悪い。好んで読むのは、遼や金との緊張をずっと抱えてはおり、時には皇帝捕囚の憂き目すらみたこともあるものの、全体としては都市文化の華をひらかせた宋朝の歴史。

  文化の華といえば誰しもまずは唐帝国のほうを思い浮かべるだろうし、俗に「唐詩は酒、宋詩は茶」と言われて飲み助の当方としても唐に与する義理はなんとなく感じながらもやはり宋史(これは正史の固有名ではなく、宋を扱った本ということ)のほうに手が伸びるのだから、よくせき体質があっているというほかない。

  といっても、一つはっきりしている原因があって、それは歴史上の人物でいちばん親しみを覚える(なかの一人である)蘇軾がこの時代の人だからである。正確には、林語堂の伝記を読んでこの「中国の中世」に興味を持ち始めたと言ったほうがよい。だから、はじめはおのずと詩文・学芸だけに偏っていたのだが、だんだんとこの王朝が中華文明としてはまれな、商業文化、それはとりもなおさず都市文化ということだが、を花開かせた王朝だったのではないか、と思うようになっていった。世界史のおさらいをしているのではないから、教科書的な事項の羅列にはわたらないが、『清明上河図』を見ればこちらの言いたい雰囲気は伝わると思う。

  しかも大事なのはその都市文化の隆盛が、どこか端正で静謐な趣を失っていないことである。これは唐三彩と宋の青磁を対比させれば十分だろう。唐の文物は、あえて評するならどこか大味なのだ(貶辞ではない)。つまり彼の豪壮華麗に対するにこれの清麗瀟洒

  この絵柄には何か見覚えがある。そう、唐対宋はそのまま中華対日本と置き換えても通用するのである。もっともこれは創見でもなんでもない。たとえば最近読んだ小島毅『中国思想と宗教の奔流』(講談社版中国の歴史第七巻)は「この王朝と日本の伝統文化との関わりは特別である」としている。しかしこの「発見」は非常に刺戟的だ。冒頭にもどって、こちらの(元)専門である江戸漢詩の詩風を考える上での切り込み口になるのではないか・・・・

  と話が大きくなってきたのは、こればかりは唐流の酒がまわってきたせいに違いない。玉山頽るる前に茶に切り替えるべし。

  最後に宋史を語って飽きさせないのはやはり内藤湖南宮崎市定の両巨頭の本。あと、宋の時代に限らないが陳舜臣さんのものは全部面白く読める(なにしろ勉強ぶりがすごい)。宋の「小味」ぶりを堪能したいなら、これは漢文になるが蘇軾の『東坡志林』(絶品の「エッセイ」集である)。そして繁華な都市文化の夢をたどりかえすなら、これは翻訳が出ている『東京夢華録』(東洋文庫)。