四国二分の一周③ 松山〜ブンガク的感想〜

  松山まではのどかな田舎の風景を見ながら、普通列車で四時間弱。さっそく路面電車に乗って道後温泉のホテルに向かう。切符は一日券。四百円で乗り放題はすこぶる使いでがある。

  さて道後温泉は十五年まえに変わらず、右を見ても左を見ても「坊っちゃん」の文字。松山に来た人間の大半が思うことだろうが、『坊っちゃん』のいたるところであれだけ主人公に悪口を並べたてられていながら、なおかつそれを観光資源とするのはいかにも不可思議である。坊っちゃんが四杯(だっけ?)食べた天ぷら蕎麦を売り物にするならまだわかるがね。伊予人のしたたかさのあらわれだろうか、それとも国民作家・漱石の人気を証すものだろうか。

  もっとも、こちらは漱石にしても正岡子規にしても、それに最近ではむしろこちらが観光の主役ともいいたくなる秋山真之兄弟の『坂の上の雲』の司馬遼太郎にしても、関心が薄い文学者ばかり。となれば見るところがなくなるなあ、と嘆息してから近代日本文学の作者で故郷を讃えた者はほとんどいないことに気がついた。

  好んで行く金沢(多分いちばん多く訪れた町)出身の泉鏡花(大好きな作者だ)も室生犀星も、故郷はそれこそ「遠くにありておもふもの」としてむしろ遠ざけられているし(それでも金沢や和倉を歩いていて、鏡花の小説の一節がよみがえるのは甘美な経験ではある)、逆に上方の風土をたたえた谷崎潤一郎は江戸は日本橋蠣殻町の生まれだった。あるいはひたすら東京を描き続けた永井荷風が繰り返し讃仰したのは、文明開化に汚される以前の幻の江戸だった。

  てなことを、温泉町の食堂でビールを呑みながらぼおっと考える。ここは鰯がうまかった。「ほうだれ」というのだそうな。「頬が垂れる」の意か。煮付けで呑み、その後茶漬けにしても食べる。

  市中に戻って古本屋を三軒回る。イギリスの古い生活道具を解説した本の他はめぼしい収穫無し。ただ愉快な光景には出くわした。その名も「坊っちゃん」という古本屋で、立ち読みを続けるスポーツ刈りの小学生に店主が執拗に注意をうながす(警告を出す)のだが、小学生も「はーい」と返事しては執拗に立ち読みをやめない。攻防の行く末をみとどけたかったが、時間の都合であきらめる。ねばれ、がきんちょ。


  夜はいささか魚にも食傷して、焼き鳥。黒服の客引きに店をきいてみる。にいちゃんは「週末一人だと大丈夫かなあ」といいながら丁寧に教えてくれた。五時半の開店と同時にその店に入ったのだが、予約がいっぱいとかで七時までならといわれる。ここで長居するつもりもないので、コの字型の掘りごたつ式カウンターに座り込み、薩摩地鶏、はつもと、皮、つくねなどを頼む。タレはびっくりするほど濃いがこれはこれでよい。「新商品 蓮根の天ぷら」とある。焼き鳥屋で蓮根とは・・・?しかも変哲もなく天ぷらにするのが何かウリになるのか・・・?と種々の疑問をかかえつつ、しかし注文してしまう。蓮根の天ぷらは大好物なのである。

  運ばれてきた件の天ぷらは、やはり変哲もない蓮根の天ぷらであった。蓮根そのものはかすつかず、甘味もあって旨かった。悪くない雰囲気だし、腰をすえてもよかったけれど例の時間制限があるのと、感心するくらいに男前でしかも感動するくらいに頭の回転のおっとりした(堆肥か何かがつまっているのでは?)店員が何度も注文を間違えて、なかなか酒が出てこなかったのとで、あまり酔いもせずに店を出る。ああいうのを天使的な白痴というのか、それとも白痴的な美貌とでもいうのか。

  なんとなく気勢をそがれた感で、おとなしく二軒ほど飲み屋をまわり、夜風に吹かれてぶらぶらホテルに戻る。商店街では和太鼓の演奏が響いていた。久々に熱い珈琲をすすりながら和太鼓をきく。

  さあ、明日が最大の難物。なにせこちらが行きたい所はぜんぶまわった上で、バスが発車する昼過ぎまでをどう過ごすか。