四国二分の一周② 宇和島〜夢の街〜

  やっぱり疲れてたんだろうな。予定の電車には間に合わず。三時間ほど閑が出来たので、やむなく「高知といえば桂浜、てな典型的な観光客の一人」となることにする。

  桂浜を忌避していたのは、前回旅行からだいぶん経っているので観光施設が整備されている、ということは無残に荒らされているだろうと気疎い気持ちが先立っていたからだ。土佐最大の観光資源である坂本龍馬大河ドラマもあったことだし。

  しかし実際の桂浜は何にも無かった。二三しょぼくれた土産物屋はあったが、派手に飾り立てることもなくひっそりしているのがいい。本当をいえばこれもないに越したことはないのだが。

  しばらく海を見て、傍らの水族館に入る。ここがよかった。海遊館やわが神戸の須磨水族園のような、立派な設備を具えた広大な水族館はむろんそれで楽しめるけれど、小さな水槽がほの暗い中にひっそり並んでいるほうが、何か水棲生物の秘密にこっそり触れているという水族館本来の「キヤキヤした」昂奮をもたらしてくれる。

  規模が小さいからといって莫迦には出来ない。ここはいわば「源泉掛け流し」方式、つまり桂浜は遊泳禁止だからその分清浄な海水を直接各水槽に流し込んでいるのだ。当然濾過装置は必要なし。アクアリストにとっては垂涎の環境である。

  微かに酔いの残った足でゆっくり見ていった。多くの水槽の説明が懇切丁寧に展示魚介の調理法にふれている。この態度、いいと思います。いっぺんに魚に親しみがわく。たとえば有毒魚として有名なゴンズイ。これも食べられるとは知らなかった。

  という調子で書いていったのではきりがありません。場面は一気に宇和島行きの特急列車の中へ。ちりめんじゃこを酢飯にどっさりのせた駅弁を肴に缶ビールを一本ゆっくり呑むと乗り換えの駅に到着。ここからは普通列車。いかにもローカル路線という感じの一両車は四万十川と何度も交差しながら北西方向へ向かってごとごと走っていく。水の蒼さもさることながら、白々と広がる河原の風景が心に残った。

  寂寞(じゃくまく)と灼けゆく昼を鮎の川
  淵の青とろりと鎮む昼うなぎ

  四時間弱の乗車で宇和島駅に降り立つ。改札を出たとき、「あ、ここはまたくる」と直感した。駅前に何の風情があるわけでもないが、高知から行っても松山から行っても、漢字の「人」を逆さまにした形で線路を奥に引き込むように終点となる町の地理的位置が、三方を山、一方が海に開ける町自体の構造と相俟って何かしら人をほっとさせる。

  駅前のホテルに荷物を下ろし、和霊神社宇和島城を見て回る。和霊神社宇和島藩の家老山家清兵衛の御霊を鎮めるために創建された宏壮な社で・・・とくだくだ説明するのはめんどくさい。興味あるかたは石川淳の『江戸文学掌記』所収「山家清兵衛」を参照されたし(講談社文芸文庫で手に入る)。ともかくこの社(小高い丘の上にあり、前を綺麗な川が流れる)から、向うに宇和島城天守をのぞむといい気持ちになれる。

  途中、商店街を歩いたのだが、ものすごく立派なアーケード(規模は高知とほとんど変わらないのではないか)はほとんど誰も歩いておらず、商店にしてもいずこも同じパチンコ屋を除くと開いているのは十分の一ほど。まるで白昼夢を見ているような不思議な光景だった。真珠や鯛の養殖で栄えた町はいま、凋落しつつあるのだろうか(ただし市民病院があるあたりは散策していないのでわからない)。

  夕飯は魚を主体の割烹でとった。こちらと同年の店主は以前、新神戸オリエンタルホテルの京料理やで修行していた、とのこと。どこまで行っても神戸の縁がつながってくる・・・。それはさておき、ここではよく食べた。名物のじゃこ天、ふかの湯ざらしから始まり、つくり盛り合わせはよこわ、鰺、生雲丹、それにしまあじ。このうち、一本釣りの鰺と雲丹が絶品だった。雲丹は最近名高い由良雲丹と同じ赤雲丹だそうだが、こそっというと神戸のどの店で食べたやつよりここのほうが段違いにぷりっとしていて爽やかな味でした。

  ここらへんから狂乱状態となり(酒にあらず)、活け蟹の一匹蒸し(地元ではアカガニという、渡り蟹のような身の種類)、はしり貝(ぬるっとしてしかも香ばしい。酒の肴に最適)、地海老の塩茹で、天然鰻の白焼きときて、おきまりの鯛飯(松山とは違い、鯛のつくりを飯の上に載せ出汁をそそいで食べる)のころにはさすがに動けないほど満腹。

  しかしここでホテルに帰っては鯨飲の名がすたる。店主にショットバーを知らないかきいてみると、同級生がやっている店を教えてくれた。歩いてほんの一、二分のところである。中は鄙にはまれな(失礼!)しゃれたつくり。ここではバーボンの水割りを呑む。マスターははにかんだ口調で宇和島がいかに観光地化に不熱心かを語っていた。いい資源はもっているのだけれど、のんびりしすぎているのだそうな。町並みにはたしかに古色はないけれど、でもいずれ「何もない」ことの魅力が評価されるようになりますよ、とこちらが慰めるはめになった。このバーで、横になったマスターの同級生に、今から冷やし中華をたべにいかないかと誘われたのを必死になって辞退し、ホテルに戻る。大浴場で一時間ほど体をほどいていると、少し「食べ疲れ」もとれ、一時間ほどレーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』(ペヨトル工房)を読んで寝る。これは土佐の古本屋で買った本。旅先で読むには、この、「メタフィジックもなければおそらくポエジーすらない」奇妙な小説はぴったりくる。明日は寝坊しないようにしなきゃ。