江戸ロココ

  休みの日だったが、朝から新快速に乗って姫路へ。市立美術館で開催中の『生誕250年記念 酒井抱一と江戸琳派の全貌』展を見に行った。酒井抱一は江戸中期の、さあどう言えばいいか。画家でもあり、俳諧師でもあり、吉原に通い詰めた粋人でもあり・・・姫路藩主の弟でありながら早くに隠遁し、風流韵事に遊んで一生を終えたこの人を評するなら、「江戸でもっとも幸福だった人」。その境遇にあやかりたいという不純な動機ではなく、この日は抱一一代の傑作『夏秋草図屏風』(東京国立博物館蔵)を見たいという切なる気持ちがあった。

  だいぶんはやく着いたつもりだったが、開館前のロビーはすでに百人近くの客でいっぱいになっていた。先着百五十名様限定という『抱一和菓子』プレゼントにひかれたのか、と邪推してもみたが、よく考えればこの貴公子はいわば「郷土の偉人」なのであった。当人は終生江戸で暮らしていたのだけど。

  さてお目当ての『夏秋草図屏風』は堪能した。優美な曲線を描く薄の葉には朝顔が巻き付き、葉越しにうなだれる白百合がのぞく。銀泥地の効果も素晴らしく、驟雨のあとの爽やかな大気の質感が、風に舞う蔦の葉の音楽的な動きとあいまって見る身をすっぽり包み込んでしまう。そうそう、この蔦紅葉の茶色・赤・黄の取り合わせも佳かった(展覧会では絵はがきを買って帰ることが多いのだが、実物の色彩の鮮やかさに比べると複製のそれはいかにも貧弱でこの日はやめにした)。澁澤龍彦はどこかでこの絵のことを「日本美の極致」といっていた。清麗にしてしかも閑寂。「幸福の王子」の内面は、きっとロココ的な憂愁と諦念によって(それは銀色の霧の如くである)しっとり濡れていたに違いない。

  あとの出品はまあおまけのようなもので、ぶらぶらと見て回る。亀田鵬斎との合作(鵬斎の詩と書に抱一が描く)が何点も見られたのは嬉しかった。鵬斎は江戸の儒者。独特の書が有名で、また大酒飲みとしても知られている。大好きな人物である。抱一の弟子である鈴木其一については、いちど当ブログで感想を記したことがある(「見る鶏 食う鶏」)。適度に装飾的で適度に克明で適度に抒情性があり・・・要は画格がおちる。とはいえ、いっそ対象の微密な写生に徹した作には意外な面白さがある。『朝顔夕顔図』のような小品がそれで、細やかにたどられた朝顔の蔓の線を見ていて、アルフォンス・ミュシャのポスターに出て来る女性の髪を連想した。

  好評のため売り切れだという図録は、予約しておけば増刷して家に届けてくれるとのこと。美術館を出て、公演の芝生に腰を下ろし、ペットボトルのお茶で『抱一和菓子』をいただく。この日の姫路は快晴で、芝生には強烈な日光があふれかえっていたが、目の奥にちらつく紅い蔦の葉の幻影はなかなか消えようとはしなかった。