神戸で平家物語を読むということ

  この夏土佐に旅行にいったとき、駅前広場の前に、ばかばかしいほど巨大な坂本龍馬の像が建てられていたのを見て、「郷土の偉人」ともなれば死んでからも地元奉公を続けねばいけないのだなあ、と少なからず龍馬に同情したおぼえがある。

  まあ龍馬ほどの人気を誇る歴史的人物ならば、像が新造されるのに特段の理由も必要ないのだろうが、ふだんそこまで認知されていない「郷土の偉人」を顕彰、とはつまり体のよい(そして大方は底の浅い)町おこしのネタに使うきっかけとしては、やはりNHKの大河ドラマが強力なのであろう。

  という時、兵庫区民としては最近の清盛および平家物語ブームを思い浮かべざるをえない。言うまでもなく兵庫区は、清盛が強引に遷した福原京を中心とする地域である。当の福原自体は今はかくれもない一大風俗街になってしまったが、当方の家がある平野の辺には響きもゆかしい雪御所町、上祇園町、下祇園町と並んでいて、かつて都があったのだと、まずは名から体得させてくれるものがある。もちろん兵庫区に限らず神戸一帯は、生田・鵯越・一ノ谷等々ひろく源平の戦の記憶に纏わられた地域なのだが。

さてしかし、平家一門の総帥たる清盛の影はというといかにも薄い。運河の側に清盛塚はあるが、参詣者の姿は見たことが無く、いつも白々とした廟域に潮臭い風が吹き通るばかり。それとして風情はあるものの、とても地元の住民が親炙しているとは言い難い。

  それを批判しているわけではない。むしろ敗走を重ね衰亡にむかって一直線に走り去っていった一族の記憶ならば、いかにもこうでなくちゃならないと一種の清々しささえ感じるくらいである。批判というなら、明治政府の威光がそのまま社殿神域の厳めしさに露わな湊川神社のほうに違和感をおぼえる(これは楠木正成が疎ましいというのでは全く無い)。

  それはさておき、際だって「名」に偏する形で残された伝統であれば、それをあらためて取り上げて玩味し、思いを寄せるには文学をそのよすがとするのが一等ふさわしい(言うまでもなく文学の本質は「名」、つまり虚に他ならない)。

  などという七面倒な理屈があってのことではないが、九月から平家物語を読む会に参加している。これは当方の発案ではなく、ちょっとした縁でお誘いを受けたのである。一応本職は教師であるからして、ナビゲーターというかチューターというか、進行を円滑にする役どころを仰せつかってはいるものの、参加者は教養の深い方が多く、とても偉そうに「講義」する余地などない。精々とばした部分の事件のゆくたてと人物のからまりを整理し、読みどころを指摘するくらいで、あとはみなさんと一緒に平家という大河を流れ下っていっているのだが、これが実に面白い経験なのですね。

  エピソードの細部は意外に記憶していたが、語られる出来事の性質に相応して語りの緩急文体の抑揚が精妙に変化するところに尽きない興趣をおぼえるようになったのが、十何年ぶりかの通読で目に立った変化であり、また一つの変化は転変や別離や恋情のあわれがひとしお身にしみるようになったこと。これは加齢によるものか、現在ただ今のこちらの生活感情をなにがしか映発したものか。

  『平家』のクライマックス(と書いたがさてどこをこの長大な物語のクライマックスと見ればよいのか)に出現するに決まっている、一門を沈めて入り日にかがやく西海の紅を思い描くと、昂揚とも区別しがたい胸騒ぎが今からわき起こってくるのである。


  それにしても・・・と愚考するのですが、平野商店街で喧伝する「平のきよもん」(ゆるキャラ、といわんか)、なんとかならないもんですかね。