大著二つ

  三宮での待ち合わせまで少し時間があったので、ジュンク堂で新刊をチェック。来てよかった。まさか出ないだろうと思っていた本があった、それも二冊。

  ロザリー・コリーの『パラドクシア・エピデミカ』(高山宏訳、白水社)はルネサンス期を主として、書名通り西洋のパラドックスの構造と歴史的変遷を網羅した、化け物的記念碑的な文化史の大著。この本には思い入れがある。一言に形容・分類してしまえる本ではないが、日本のレトリック思想の研究を生涯の目標としている人間にとっては、ある意味これほど力強い《導師》はそうはおわさない。他にはそう、クルティウス(もちろん『ラテン的中世』のクルティウス)=ルネ・ホッケ(もちろん『文学におけるマニエリスム』)の、これも巨人的師弟が匹敵するくらいか。

  高山宏氏が、他の書物でも繰り返しロザリー・コリーに対する讃仰を語っていたからきっといつか翻訳が出るだろうとは思っていても、常に二百冊(!)の翻訳プログラムを抱えているという高山氏のことだから、いつのことになるかまったく分からぬ。ということで、原書をじりじり読み進めていたのである。著者の花火のような才気煥発な文体に加え、本文の随所で引用される、まさにパラドックスに満ちた詩文の数々(これがこれで一大鉱脈なのだが)に相当以上に難渋していたところにこの刊行。

  せっかくここまで読んできたのに!とはちっとも思いません。高山宏バンザイ!白水社に拍手!そしてロザリー・コリーの霊よ安かれ(コリーは研究者としての絶頂期に事故で急逝した)。ばりばり読むぞ。しかし書評はしない。こんな大事な本はいわば自分の武器庫のさらに「奥の院」にしずかに鎮座していただき、繰り返し参詣しては霊告を授かるにすぎたことはないのだ。

  双魚書房通信で取り上げるつもりなのは二冊目、これまた大著の『皇帝フリードリヒ二世』(小林公訳、中央公論新社)。著者はE.H.カントーロヴィチ、『王の二つの身体』を書いた人である。

  コリーの本が「自家用」とすれば、こちらは純然たる趣味の本といおうか。なんとなれば、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世は、当方が愛してやまないヨーロッパの歴史的人物《御三家》で(ちなみに残りはタレーランと聖フランチェスコ)、しかも今まで日本語でよめる伝記はなかった(はず)。積年の飢渇感がここに一気に癒されることになったわけ。多少の興奮は当たり前でありましょう。これはじっくり書評に向けて読み込んでいきます。ただいま第三章まで読み進めていますがたいへん面白い。

  ・・・とはいえ二段組みで七百ページを超える文字通りの大著である。何度秋の長夜を灯火親しんで明かせばよいことやら。重たいからベッドやソファで仰向けになって読めないだろうしなあ(居眠りして取り落としたら顔面崩壊である)。

  読書も、というより読書はりっぱにスポーツなのである。